「狂気」セッション あわさんの映画レビュー(感想・評価)
狂気
クリックして本文を読む
鬼才デイミアン・チャゼル監督が描く『セッション』は、音楽教育という枠を超えて、狂気すら帯びた師弟関係と「一流とは何か」という問いを突き付ける作品だ。音大教授フレッチャーの指導は、常軌を逸している。人格否定や家族の侮辱、さらにはイスが飛ぶほどの暴力的な言動――現代社会では到底許容されないであろうそのやり方に、観ている側も身構えずにはいられない。
一方で、そんなフレッチャーに認められたい一心で、血反吐を吐くまでドラムに打ち込むニーマンの姿は、執念を超え、もはや狂気に近い。交通事故で全身血だらけになってもステージに立とうとする場面は、人間の限界を超えた執念と自己破壊の表象であり、観る者に畏怖の感情すら抱かせる。
この作品の恐ろしさは、フレッチャーのやり方が「完全に間違い」とも言い切れない点にある。平凡な指導では突出した才能は生まれにくい――その信念には一理あり、私たちもまた「限界を超えるためには何が必要か」という不穏な問いを突き付けられる。『セッション』は、努力・狂気・信念が渾然一体となった、人間の極限を描いた衝撃のドラマである。
コメントする
