6才のボクが、大人になるまで。のレビュー・感想・評価
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初めて「僕の映画」と思える作品に出会った
映画を観る前は、もっと深い、ズシリとくる感動が待ってるんだろう、と密かに期待していた。しかし、いざ映画を観てみれば起承転結の起も承も転も結もないような映画で、なんだこれはと衝撃を受けた。もちろん、悪い意味ではない。
そこにあったのは、起承転結に溢れた「映画的」人生ではなく、実際に12年の歳月を経て描かれたあまりにもリアルな、生々しい人生。あまりにも淡々と、静かに時間が過ぎていく。だからこそ、彼ら4人の家族は本物だった。
そしてなにより僕が感銘を受けたのが、映画の中の主人公が自分と「同世代」ということ。冒頭の彼は6才、時代としては9.11から間もない2002年。そして12年後の2014年、彼は大学生になる。自分とまったく一緒。しかし彼と僕の人生は似ても似つかない。親の離婚もないし、居を転々とし、友達との出会いと別れを繰り返してきたわけではない。しかし、彼が自分とまったくの同い年なんだという事実だけで、僕はどうしようもなく彼に仲間意識を抱いてしまった。彼が過ごした12年と、僕が過ごした12年、どちらも同じだけのかけがえのない時間が詰まっているんだと、そう感じた。親世代の人が観ると、我が子の成長やらを思い出すだろう。きっとそういう人は多い。同世代の僕からすればこれは自分があの時どうしてたかな、とかこんなことがあったなぁ、とか、一種の回想録のような感覚だった。間違いない、これは「僕の映画」だ、そう思えた。
この映画の1つの楽しみ方として、「時間の流れ」がある。12年かけて撮影された今作には、当時の時代を象徴する様々なものが登場する。ゲームボーイアドバイスspからXbox、そしてWiiといったゲーム機の変遷だったり、Appleのデスクトップパソコンだったりする。
おそらく観る人各々が各々の見方で時の流れを感じるのだろうが、僕は音楽で、それを感じた。映画の冒頭に流れるColdplayの「Yellow」。これはまさに主人公が6才だった当時に流行っていた曲で、その後も時が進むにつれてその当時流行っていた曲がかかっている。こういった風に、今作の中には様々な「時間」の要素が詰まっている。わざわざテロップで「半年後」とか「5年後」などと入れる必要もない。何故なら実際にそこにはそれだけの年月が流れているから。観客も自ずとそれを感じるはずだ。
全てが偶然うまくいったようなものだ。たまたま4人の役者が揃い、たまたま12年間、誰1人として欠けることなく撮影することができた。脚本だって最初から全て決まっていたわけではない。年月が経つに合わせて少しずつ完成されていったのだ。そんなまさに奇跡のようなこの作品を、僕は決して忘れないし、忘れられない。疑いようのない、傑作だ。
メイソンと父親がGood☆
特別な事件が起こるわけではないけれど、ステキな映画でした(▰˘◡˘▰)
メイソンと父親が良かった!
小さい頃からの映像をずっと見ていたので、自分もスッカリ母親気分になり、メイソンが家を出て行く時に泣いていた母親の気持ちが良く分かって一緒に泣いてしまいました( i ³i )
ようやっと好きな本を書く時間が許された日。
ボクの周りでも最近、とみに多くなったパパと離れた子どもたちの話。アメリカではなんと50%もの子供たちがそんな環境にあるというが、映画はトスカのようにドラマチックではないが見どころ豊富、いろいろ考えさせられた物語。
全編35ミリで撮り続けたとというだけに、12年間の子どもたちの成長以上に機材の継年変化は凄まじく、映像制作にはいろいろ苦労したようだ。しかし、あえて淡々と描かれた時間と映像は継ぎ目なく、却って観るものにきめ細かく沢山の事を語り続ける。しかし、描こうとしているものは決して時間の継起ではない。むしろ瞬間瞬間の持つ意味を積み重ね織り上げている。ここら辺りがこの映画の見どころでありポイントだろう。
いささか長い映画だが、powerMacやX-Box等の変遷
、ゲームとSNSでサイボーグ化されつつある高校生たちの画一的な(舞台はテキサス州ヒョーストン周辺)郊外住宅での日常生活。
さらに、イラク戦争とブッシュ批判のパパとパパの仲間、オバマ応援の選挙サポート、アストロウズを応援するナリーグ観戦やハリー・ポッターミュージアムでの熱狂。
レアー化された映像の積み重ねだが、映画はまさに21世紀アメリカ、いや、サイボーグ化された子どもである事を実感する頭のいいメイソンの呟きはまさに現代の日本人若年層そのものの姿に繋がる。
特に惹きつけられたのは二週間ごとに遠方から会いに来る父親の状況変化とユーモアある言葉と心配り。
15才のサマンサの誕生日には、パパは避妊についての話を姉弟二人に懇々とする。「まずは決してセックスしないこと、するときは絶対にコンドームを忘れないこと」。そして翌日メイソンとの男同士二人だけのキャンプでは、「女の子と1対1になったとき、いったい何を話したらいいの?」というメイソンの質問にパパは言う「彼女を質問責めにして、答えを熱心に聴いてあげるんだ。そうすれば必ずライバルを引き離せる」。
パパの両親の家でのメイソンの15才の誕生日パーティー。そこにはパパの新しい奥さんと生まれたばかりの彼らの弟も参加する。パパからのプレゼントは彼が編集したビートルズのブラックアルバムとメイソンにとっては初めてのスーツ。お爺ちゃんからは散弾銃と射撃訓練、おばぁちゃんのプレゼントは名前入りの聖書。
18才のメイソンの高校卒業パーティーはパパの家族もお爺ちゃんたちもみんなママが苦労して手に入れた家に集まる。パーティーの後、パパはメイソンだけを連れ彼の昔仲間のライブハウスに行く。そこでは往年のもて男だったミュージシャンたちのお祝い演奏。そして、メイソンは一緒にヒューストンにいくはずだった恋人に振られた話を打ち明ける。「お前がブレなければシーナみたいな女は山ほど寄ってくるよ。自分に得意なものがあれば女はいつでも選べる。」と写真が得意なメイソンを励ます。この言葉はママに振られたギタリストパパの実感でもあるだろう。しかし、言葉の裏には、幼い子を残しアラスカに逃げた彼の悔恨とママへの深い想いも込められている。
そしてなによりもこのドラマは、夫とわかれキャリアアップまでして、ひとり子育てを続けた、ママの苦労物語と言っていい。
新たに結婚した二人の夫からは、家財道具も持ち出せぬまま、子どもたちをワゴンに放り込み、逃げ出して行くママ。パパのいない子どもたちを守り続けるのは施設でも学校でもなくママだけなのだ。
テキサス大学の寄宿舎に行くという別れの日、その日をママは「人生最悪の日」と言った。この言葉もまた意味深い。巣立った子どもたちとの別れの日だが、懸命な子育ての最終日でもあり、ようやっと好きな本を書く時間が許された日でもあるのだ。
12年の歳月がもたらすもの
ビフォア・ミッドナイトのシリーズの監督が、同じ役者を使って撮影に12年の歳月を費やしたという映画。
自分のお気に入りは2つある。1つはラストの、さながらビフォア3部作を彷彿させる、メイソンとニコールが歩きながら会話しているシーンからエンドロールまで。
もう1つは、メイソンが母の下を離れて1人自分の入学する大学へと旅立つシーン。
前者は物語を通して監督が伝えたかったことが示される場面であり、それを観客に実感させる「仕掛け」も面白い。
対して後者は12年という歳月の重みを最も感じさせる一幕。殆ど女手1つで我が息子を育ててきた母が人生の喪失すら感じて流す涙、メイソンが乗る車についた幾つもの傷跡、そしてガソリンスタンドでカメラを構える彼の姿。
特にガソリンスタンドのシーンは凄まじい。そこだけ見れば何てことはない、ただ18歳の少年が写真を撮るだけのシーンなのだが。そこにあるのは彼が歩んできた12年間。12年という歳月が何気ないカットの1つ1つにここまで深みを与えるとは。
加えて、メイソンが周りの人々から少しずつ影響を受けている描写も良い。時の流れを感じさせるゲーム機やパソコン、歌謡曲の変遷については言わずもがな。
たしかに起承転結などといった言葉とは無縁の、劇と呼ぶにはあまりに退屈なプロットかもしれない。だが、だからこそこのプロットにはリアリティがある。真に人の心を揺さぶるのは、整理され計算された起承転結ではなく、洗練されたリアリティなのではないか。そのリアリティを支えるのが、役者たちがそれぞれの役に寄り添って生きてきた、まさにその12年という歳月なのだ。
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