野火のレビュー・感想・評価
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監督の情熱
大岡昇平の執念は、文学とかそんなものをはるかに超えたものである。解釈不可能な事実。時代の証言。戦争の真摯な記録としか言いようがない。
水木しげるの「昭和史」「総員玉砕せよ」にあるセリフ『私はなんでこのような、つらいつとめをせにゃならぬ』がずっと頭から離れない。
塚本晋也監督の目線に共感した。
これが戦争。
何と戦っているのかもわからない、どこに向かっているのかも分からない。
それでも生きて日本に帰るというそれだけを頼りに、密林を彷徨い、追い詰められ、最後の最後は自分の倫理感との戦い…
この映画をグロいとかストーリーが無いとか、そんな言葉だけで終わらせてはいけない。
たぶん、そう思わせるのが監督の意図したところなのでは?
戦争はグロいしストーリーなんか無いのだ。
生きるか死ぬか、それしか無いからそれだけなのだ。この映画はそれで良いと思う。
最近の戦争映画モノは、変に綺麗て変なメロドラマやお涙頂戴や戦闘賛美ばかりでもう沢山です。
グロくて汚くて醜くて酷くて目を背けたいものが戦争だと、この映画は教えてくれていると思います。
ロバート・キャパも、「自分は戦闘を撮るbattleフォトグラファーでは無い、戦争そのものを撮るwarフォトグラファーだ。」というような言葉を残していますが、それに通じるものがあるように感じました。
人間の正気と狂気
極限状態における人間の正気と狂気を描いた作品。戦地の強烈な地獄絵図と恐怖を煽る音楽が印象的。途中で眠くなりそうな展開には少々不満が残りブレブレのカメラワークも酔いそうになったが観て損は無い。心に残る強い反戦メッセージを感じ取ることは出来なかった。
2018-156
もう観たくない
8月は何かしら戦争を考えさせられる。
生きたいという希望を、殺せ、殺せ、殺せなくなったら死ねに変えられてしまう。
人間以外は、変わらない。
ほとんど戦場しかない映画は苦手なので、もう見ることは無いと思う。
ただ、こんなことをリアルに体験する、見てしまう人がいなくなる事を祈る。
この映画を低評価する理由はひとつです。 「血糊がわざとらしかった」...
この映画を低評価する理由はひとつです。
「血糊がわざとらしかった」
ただそれだけのことでした。
「あっこれは血糊だ、作り物だ」と我に返ってしまったんですね。
続く殺戮シーン(※酷く出来が悪い)もダラダラ長くてグロ描写を全面に押しすぎです。
結局、趣味の悪いグロ映画としか認識できませんでした。
テーマやストーリーは面白いと思うんですけどね…。残念です。
ふむふむ
戦争映画といっても派手な火薬や殺し合いがあるわけではなく、退屈になって寝ちゃってしまうようなテンポとテンションで進んでいたのですが、むしろそれらが作品全体の独特な雰囲気となっていて、すぐ作品の中にのめり込んでしまい最後まで観てしまっていました。こういうパターンもまたいい映画なのでしょう〜
やりすぎてギャグになっている
塚本晋也の作品は好きなので前々から本作を観ようと思い、ついに観た。
とはいえ今まで観たことがあるのは『鉄男』『双生児』『六月の蛇』『悪夢探偵』の4作品しかないので、本作が5作目になる。
最近では俳優として『沈黙 サイレンス』で波に打たれる苦しそうな磔姿が印象に残っている。
ただなぜ今更大岡昇平なのかは疑問が残る。
筆者はこの手の戦争の悲惨さを伝える映画は既に時代に即していないと感じている。
戦時中南方の日本兵の多くが食糧難のために餓死や病死していたのは有名な話であり、ドキュメンタリー作品である原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』でも食人の話は出ている。
そもそも極限状態での食人は洋の東西を問わず枚挙にいとまがなく、緊急性を考慮されて裁判でもめったに裁かれない。
『野火』の作者である大岡昇平は、食料不足にあえいだ敗残兵の憂き目を身を持って知っているわけであり、刊行当時は日本全体が戦争のつらさややむにやまれない行動に及んだ兵士への同情もあった時代だと思われる。
実際原作の『野火』では主役の田村はキリスト教徒であり、その葛藤に苛まれている設定である。また刊行時は戦後6年しか経っておらず食料も日本全国に十分に行き渡っていたとは思えない。
しかし、今や東京がミシュランガイドで世界一星を獲得するぐらい飽食の時代である。
本作を観た時、現代の日本人は食人をした兵士に何を思うのだろうか?
食に何不自由のない現代の我々が彼らを人道的に責めるのはたやすい。
よく戦争の悲惨さや残虐さを後世に伝えなければいけないという人がいるが、ならば戦争の正当性や悲惨さに至る情状酌量の余地、戦地での美談もあわせて伝えるべきではないだろうか。
片方しか伝えないのは、筆者には公正とは思えない。
本作でもフィリピンの原住民が騒いだために錯乱した田村が銃で撃ち殺してしまうシーンがあるが、一方では現地の人々に規律と慈愛を持って接していた日本兵の話もある。
パラオで現地のパラオ人が日本兵とともに敵軍と戦おうとした時、日本兵が「お前ら蛮人が日本人と対等になれると思うな!」とわざと憎まれ口をきいて彼らを戦争に参加させなかった話があるなど、誇り高い日本兵は数多くいる。
しかし筆者は生まれてこの方そういう戦争時の日本兵の高潔さを謳った映画を観たためしがない。
これからは戦争時の日本兵に肯定的な映画も制作されるべきだと思う。
その意味において『野火』が刊行されて66年、この作品は既に使命を全うしているのではないだろうか。
なお前述したフィリピン人女性を殺すシーンだが、多分女性は一般人なのだろうか?キャーキャー騒ぐ声があまりにもうるさ過ぎる上に不自然過ぎてかえって笑えてしまう。
また日本兵が銃撃を浴びて死ぬシーンは塚本の過去の作品を彷彿とさせるようなおどろおどろしい残酷さに満ちている。
塚本自身は真剣なのだろうが、あまりに過激な残酷さはかえって異化効果を生み出し、こちらもなんだか笑えてしまう。
本作を出品したヴェネチア映画祭で残虐シーンはやり過ぎだと言われたらしいが、筆者も意味は違うが同感で、笑わせない程度にやり過ぎを抑えてほしかった。
主演の塚本はもちろん、安田役のリリー・フランキーも、伍長役の中村達也、永松役の森勇作など全員がそれぞれにいやらしい男でなかなか真に迫る演技を披露している。
ジャングルでの撮影も大変な苦労があっただろうと推察される。
塚本は脚本の参考にするため2005年11月にフィリピンでの日本兵の遺骨収集事業に参加したというから見上げたものである。
またその際の経験が本作に活かされているのだと言う。
塚本は、悪いのは相手で自分は正しかったと考えているうちは戦争はなくならないという旨の発言をしているが、悲しいかなこちらが戦争を望まなくても相手が仕掛けて来る場合もある。
そのようなパワーゲームの中で自国の自主独立を勝ち取るのは相当な覚悟が必要である。
だからこそ今重要なのは戦争の感傷に浸ることではなく、戦争を未然に防ぐために何が必要かを論理的に判断していくことだろう。
監督の力でできている映画。
生々しい作品を作るならば専門の役者って必要ない気がしてくる。
臨場感があるぶん暗くてよくわからない。
元気な時に見ないとつらい映画。
飢えの苦しさ…、生きることの辛さ。
戦争が終わっているのに、飢え続ける兵士たち。
明日生きられるか、生き絶えるかを緊張状態で過ごさなくてはいけないのが怖い。
死に様もリアルであるが故、緊張状態を体感できた。
人を猿と言い、人肉までも食うようになった兵士の姿を、決して「狂っている」とは言うことは出来ない。
生きたいという思いが、兵士をここまで追い込んでしまうのだろう…。
次元を超えた映像に、食い入るように観てしまった作品。
人生における戦争映画の最高傑作
まず第一にこの映画を反日映画だと安易に批判する輩がいるがそのような内容ではない。戦争には様々な側面があり、その中の戦争の悲惨さという側面を切り取った映画である。そのため、観た後は二度と見たくないが、傑作であることは間違いない。(普通、傑作は何度も鑑賞したくなるものだが、余りの悲惨さにもう一度観る勇気がなくなる、
つまりトラウマになる)
映画全体を通して主人公の視点から描かれており、生きるか死ぬかの緊張感が張り詰めていて、何度も途中で声が出てしまいそうになった。
風景となった死体の山、一方的に殺される日本兵、小さな芋の奪い合い
挙げ句の果てに食人行為
これほどまでに悲惨な戦争があったのかと言わんばかりの飾り気の全くない「リアル」、是非一度は映画館でみていただきたい。
ちなみに監督自身は「映画は一定の思想を押しつけるものではありません。感じ方は自由です。」と発言しており、私は「兵站、補給は大切だなぁ~」そして、「このような悲惨な戦争を戦った英霊に感謝、脱帽するしかない。」と感じました。(マヌケですみません。)
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