「テーマ」野火 公的少年パブリックボーイさんの映画レビュー(感想・評価)
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映画しか見ていないので、その範囲でしか言えませんが。
主人公の田村は非常に優しい人物として描かれています。芋を盗もうとして上官に殴られる永松をかばって、田村は自分の芋を差し出して許しを請います。その直後、アメリカの機銃掃射で日本軍の基地は火の海になり、永松はどさくさに紛れて田村の芋を奪おうとします。
恩を仇で返されたわけですが、その後再会したときも、永松の境遇を不憫に思った田村は、再び芋を差し出します。一度裏切られた相手に二度も親切にします。このときに主人公に感情移入できる人もいれば、仕返しをするくらいに思う人もいるかもしれません。
田村にしても芋をあげた直後に襲ってきた空腹で、「あんなやつにやるんじゃなかった」と後悔するわけですがw
しかし、このことが後に田村自身を救うことになります。
いよいよ空腹で、千切れた人間の四肢を目の前にして、ムシャぶりつきそうになっているときに永松に再会します。そして猿の肉をもらって食べることで命をつなぎます。猿の肉というのは嘘で本当は人肉です。
騙されて人間の肉を喰わされるわけですが、千切れた人間の四肢を目の前に自分の倫理観と戦って、絶命するかもしれないところを救われたわけです。
安田を殺して食おうとする永松を、田村が止めようとすると、永松は「じゃ、俺がお前を食うか、お前が俺を食うかどうするんだ?」と詰め寄られます。極限まで追い詰められて、生き延びるためにどちらか一方が食われるしかない状況のように思われます。
しかし、お互いに殺し合うことはありませんでした。田村は永松になぜ自分を殺さないのか?と聞きますが答えは返ってきません。長く行動を共にした安田を食べようとするほど、人として壊れているように思える永松が、田村を食べなかったのはなぜでしょうか。
田村は自分さえ生き延びればいいという発想とは逆の、いわば人間としての感情を失わないことで、逆に生き延びることになります。フィクションなので、お人好しが都合良く生き延びられたと言われればそれまでですが、少なくとも作者は極限の状態でも人間性への可能性を読者に提示したかったのかなと。
近頃は攻めるか攻められるか、殺すか殺されるかといった二者択一的な思考が流行っているようですが、そうじゃない第三の可能性もあるのではないか。そんな問いが発せられているように思えます。
第三の可能性とは何かと聞かれれば難しいのですが、なぜ永松が田村を殺さなかったのか?そのへんがテーマになるのかなと。