野火のレビュー・感想・評価
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戦争反対‼️
戦争末期、フィリピン。
敵はアメリカ、機銃掃射で、バッタバッタと
撃たれ倒されて行く。
さっきまで腹減ったとイモの取り合いしてた
連中が、腕や脚がちぎれて内蔵や脳が飛び出し
顔の皮むけた者もいて血まみれで死んでいく。
密林の中歩いて行くと
ハエがたかった兵士の死体がゴロゴロ。
たまたま転がる死体から生存者を見つけ、
保護する米軍の様子を見て、
田村は褌を抜いて白旗代わりに掲げて、
降参❗️と米兵の前に出ようと思ったが、
先に躍り出た日本兵が、
一緒に乗っていたゲリラ兵士によって
穴だらけになるほど撃たれ死ぬ
のを見たので、また彷徨う。
当地のゲリラ兵士が日本兵を忌み嫌う理由が
わかる描写もあった。
あんな日本兵が目の前に来たら恐怖しか無い。
そうこうすると、以前に会った永松に再会し、
猿の干し肉をもらい食べる。
俺が猿を仕留めるから、あのオヤジは
俺を殺さない、と。
アメリカ兵に殺されなくとも、
この島で熱病や肺病に罹り死ぬ。
田村も肺病病みだった。
また食べる物が無く飢餓で死ぬ者も。
近年、日本から民間の団体で
遺骨収拾に赴く方々のニュースを目にする。
あの密林の遺体の状況を見ると、
かなりのご苦労だと思う。
猿は同じ霊長類でも猿じゃなかったという
現実、事実。
田村自体、銃で撃たれた自身の肩の肉を食らっていた。
帰国できて小説家みたいのようだが、
あのハッハッハッと何しているのだろう。
実話なのか⁉️内地にいる日本人には知らなかった真実、なのだろうか、
戦死と一括りにされてもその理由は様々。
いずれにしても惨い。
久々に再見してみて
リアルタイムで観てから大分時間が経ちましたが、先日「ほかげ」を観てとても感動しました。同時に、戦争後に生まれて普通に生きていることのありがたさを改めて痛感し、戻ってきました。 世間的には「野火」のほうが有名で評価されてますか?わたしとしては「ほかげ」の方が好きだし感動しました。 どちらも、戦争の実態と、翻弄された人達(軍人、現地の人、日本に残った人)の姿を蒸せるような暑さの中で描いて、繰り返すべきではない戦争、犠牲になった人達への追悼、その上で成り立っている今の平和を強く感じさせてくれます。その中ですが、わたしは日本に残された人達たちの姿を追った後者の方により感動を覚えました。 塚本監督、本当はもっとダイエットして出演したかったのでしょうか?リリーさんとか全体的には細い役者陣だったと思います。 あの戦闘シーンは本当に怖いです。演出としても上手いなぁと思いました。見えないところから(相手を見せない)タマが飛んでくる。「地の群れ」でも感じたマジの恐怖です。味方の脳ミソ踏んづける辺り、ゾクッと画面を見入りました。 戦後を生き抜いた方々、日本を復興させてくれた方々、頭が下がります。あのような現地を体験されて、その後どのように精神的に立ち直ったのか、下世話で恐縮ですが興味があります。「野火」の塚本監督は戦後奇妙な後遺症(癖なのか?)が出ています。「ほかげ」の河野さんは完全にフラッシュバックが出ています。でも大森監督は幸せそうに夕食を食べれています。少なくともわたしだったら銃声(のような音も含む)がしたら普通ではいられなくなるような気がします。上司からの携帯着信音の比ではないです。
太平洋戦争末期のフィリピンが舞台。 これはもはや戦争ではなく、一方...
太平洋戦争末期のフィリピンが舞台。 これはもはや戦争ではなく、一方的な日本兵の駆除作業。 日本兵は降伏することさえも許されなかった。 そこまでやるかと思ったが、現地人に被害が及ぶので仕方がないことだったか。 あの状況で生き延びた主人公の悪運の強さには驚かされた。 また、リリー・フランキーの怪演も健在。
吐き気すら感じさせるほどの画で描いた、 南方の“戦争体験”
すべてが理不尽、全てが不条理、その中でかろうじて人間性を律した男の眼から見る“惨状”・・・。本作は第二次世界大戦の末期、フィリピンの戦線における日本軍の悲惨さを、生臭さを一切取らずに描いている怪作です。 ストーリーの舞台は、戦争末期のフィリピン戦線です。敗色濃厚で武器も食料もないなか、肺病を患った主人公:田村は部隊からは除け者にされ、野戦病院では重傷ではないと厄介払いされる。行く当てのない田村は病気の中、わずかな食料を持ってジャングルの中をさまよう。しかし、行くとこ行くとこ人間の所業とは思えないような、まさに地獄絵図の世界だった・・・てな感じです。 正直、あんま考えることはないかもしれません。 その画を見て、おぞましさを感じることに特化したような作品と自分は思うています。 理不尽な暴力、不条理な対応、白骨化していく死体、ウジがわいてるのに生きた人間、戦場の血生臭さ、そして生きるために仲間を手にかける味方。この世界には良識など一切ない。残酷で、おぞましくて、吐き気すら感じさせる世界。まるで自分も体験しているかのような感覚すら感じるくらい、 「それが戦争なんだ」と、言っているかのような説得力ある画です。 歴史資料を見れば、フィリピンも含めた南方戦線の困窮ぶりを知ることができます。自分もある程度は知識としてこういうことが起こっていたのは知っていました。しかし、たとえフィクションだったとして、ここまでリアルに再現した画は観たことがありませんでした。まさに「どれだけ戦争が、人間性を失わせる嫌なモノか」を強く訴えているように感じました。 しかも、これが“自主映画”であることにもっと驚きです。本作の監督で主演も務めた塚本晋也さんは、並々ならぬ思いで本作を描いたのでしょう。逆に言えば、自主製作という大きな制約があったからこそ、その“制約内での自由さ”を全面的に表現することができたゆえのモノかもしれません。 この映画は、グロテスクな描写を省かずに描いているため、かなり刺激的な部分もあります。苦手な人がいるかもしれません。しかし、自分は本作こそ必見であると思います。 87分という短さに、「戦争は嫌」だと思わせる内容がふんだんに盛り込まれているからです。 それは、一種の反戦につながると、自分は思うからです。
映像体験
ちょっと遠くのミニシアター迄出掛けて観て来ました。NHKの情報でやっていた為。その際、塚本監督が言っていました。実際の経験のトラウマは良く無いが、映像体験のトラウマは経験するべきだ!と。だから毎年8月に上映を続けますとの事でした。 流石にこの映画を観て良かったとは思わない。しかし実際にはこれ以上の悲惨さだった様です。監督も言っていました。悲惨過ぎて話せる(映像に出来る)レベルでは無いようです。そんな体験をしたのなら正常ではいられないでしょう。 ちょっと効果音がうるさ過ぎて苦手でした。後ろの先輩オジサン達は何回も椅子をビックとさせていました。
行き着く先の戦争
大局的でもなく、民衆目線でもない、でもこれも確かに戦争のひとつの形。
ハッキリ言って、分かりづらい部分も多い。
暗い画面や目茶苦茶に揺れるカメラ、聞き取りにくい台詞。
登場人物ほとんどが同じ軍服のため、見分けるのが大変。
大きな転換でも一連シーンでも、カットの繋ぎが上手くない。
劇中での説明が少ないので、場所や戦況などの知識が求められる。
画面から暑さが伝わりづらいのも惜しい。
しかしそれでも、迫るものがある。
グロ目の死体も出てくるが、それ以上に自然との対比が目に刺さる。
密林の鮮やかな緑の中を歩く汚い軍服は、画面のバランスとしては違和感を覚えるほど。
度々差し込まれる美しい空や雲も、状況に全くそぐわない。
でも実際にこうなんだろう。
人間の営みの如何に醜いかが、こんなにも分かり易く表現されているとは。
内容は物語というより、戦場という地獄を彷徨う様をひたすらに映す。
一部は夢や幻覚の可能性もあるが、どれも起こり得ること。
結局追い込まれてしまえば、国の戦争より個人の戦争になってしまうのはあまりに滑稽だ。
敵側の野戦病院に救われ帰還を果たすのも皮肉。
世界平和のような綺麗事ではなく、「こうなりたくないでしょ」と、“個”に訴える戦争映画でした。
毎年この作品が上映されている意味
この作品を見て、戦争に意義を求めるのは無意味であること、政治に無責任であるとこんな未来が待っている可能性があることを痛感させられた。 戦争をエンタメとして美化したり感動的に描いた作品が多いが、戦地での極限状態の緊張感、人の醜さを淡々と描いた今作の方が強烈に印象に残った。
第三の敵。
敗戦が濃厚となった時期に30を過ぎた老兵としてフィリピンミンドロ島に配属された作家大岡昇平の実体験をもとしたフィクションが原作。ご本人が人肉食を体験したわけでなく現地で聞いた事実をもとに想像を膨らませて書いたものだ。
原作では主人公は飢餓状態に追い込まれながらも人肉を食うか食わないか、宗教観を交えて延々と葛藤するその心理が描かれている。しかし、塚本監督はそこはあっさり主人公に食べさせる。劇中では騙されて食べるわけだが、当時の兵隊たちは食べるか食べないか葛藤する余裕もないくらい追い詰められていて、食べないという選択肢はなかったという。いかに戦争が人間をそこまで追い詰めてしまうのかと感じてそのように原作とは違う描写にしたとのこと。
本作のように日本兵同士でも殺し合って互いに人肉を食べたというのは確かにあったらしい。
補給路を断たれただけでなく、もともと人命を甚だ軽視していた日本軍では飢えから規律は失われて互いの食料を奪い合っていた。大岡昇平の所属部隊には備蓄食料があっていつ襲われるか警戒していたという。
当時の従軍兵の言葉に我々の第一の敵は米軍、第二の敵はフィリピンゲリラ、そして第三の敵は日本兵だったという証言もある。
それくらい当時の日本軍は崩壊していた。そしてそんな彼らが人間性を失うのも時間の問題だった。
これが先の戦争の実態。フィリピンの美しく自然豊かな景色とは対照的に日ごと行われた醜い殺し合い。そんな愚かな人間たちの行為をただ、自然はたたずんで見守っていた、昔から何ら変わらず。互いに殺し合う兵士たちの叫び声、怒号、銃声だけが静かな森の中では響き渡っていた。
主人公の田村は常に抗い続けた。物書きであり学のある彼は明治政府が植え付けた教育には染まっていなかった。このような愚かな戦争を否定し、けして自分は加担したくなかった。
自伝小説の「俘虜記」でも森の中で米兵に遭遇してもけして引き金を引くまいという原作者自身を投影した主人公の気持ちが吐露されている。
田村は無下に人殺しをすることを拒んだ。どんなに飢えても生草やヒルを食べて飢えをしのぎ、けして人肉だけは食べまいと抗い続けた。まるでそれが自分の人間性を保つ最後の砦であるかのように。
彼の行くところには常に野火が上がっていた。それは農民が行うただの野焼きなのか、あるいはフィリピンゲリラが自分たちを見つけたという合図なのか。それは知る由もないが、田村はその野火が自分を常に見張っている気がした。まるで自分の罪を見定めようとするかのようにそれは彼に付きまとった。
人肉食を繰り返す同僚兵士を殺して復員を遂げた田村、いまだ戦場でのトラウマに苦しめられている。そんな彼が庭先の焚火の火を見つめる。
自分は自ら人肉を食わなかった、自分は人間でい続けた、自分は罪を犯さなかった。果たしてそうだろうか、本当は猿の肉ではなく人間の肉だと知っていたのではないか。あれほどジャングルをさまよい一度も目にしたことがない猿の姿、人肉食の噂、自分は人肉だとわかってて食べたのではなかったか。
自分は罪を犯さなかったか。自分はあの無辜の女性を殺めたのではなかったか。あの戦争を否定しながらも暗黙により加担したのではなかったか。あの戦争に突入する大きな流れに抗えなかった、仕方がなかった。だから自分には罪がなかったといえるのだろうか。
あの日の野火のように燃え盛る焚火の火は今も自分の罪を見定めようとしてるかのようであった。
映像表現に唸る作品
「野火」みたいな映画を観るのは体力がいる。解説やら説明じみたセリフやらは一切無い。観る→感じる→考える→確かめる、のループの中で映画は進む。 更に観終わった後も自分が何を受け取ったのか、日常のふとした瞬間に振り返る。そんな映画だ。 大きな資金を得られず、インディペンデントに近い形で制作されているにも関わらず、野戦病院や戦闘、亡霊のような日本兵蠢く山道など、どれをとっても鬼気迫るシーンの連続。 特に田村が何度も追い出される野戦病院の、積み重なるように収容された傷病兵のヌラヌラとした動き。生と死の狭間を行き来する様子は鳥肌が立つほど不気味だ。 予算がなくても、絶対にコレを撮りたい!という思いと明確な絵を描く力が、素晴らしい映像表現に繋がっている。 自分のビジョンをしっかり持っている監督はやはり違う。意味を主張できない映像の羅列みたいな映画だと、やっぱ途中で飽きちゃうもの。 塚本監督は「野火」の中で、その想像を絶する戦場の光景を描きたかった、という。 そこにはただ現実があるだけ。そこから何を感じとるのかは観ている我々次第だ。 反戦?それも良いだろう。人間の愚かさ?それも良いだろう。 私はなぜか神の視点を感じた。田村は状況に翻弄される小さな命に過ぎない。田村の生死を決めるのは田村自身ではなく、もっと大きな存在のような気がしてならない。 例えるなら人間の撒いた水に流される蟻の列、その列でたまたま乾いた土の上にいた一匹の蟻のような、そんな存在に見えた。 だから私が感じたのは、命の哀れさ、ということになる。 野火という単語は「野原での火葬」という意味があり、遠い南方の島で息絶えた戦友達への弔い。それと同時に、死体を焼くことで甦りを妨げる訣別の意味もあるように思う。 また「野焼き」という意味にとれば、植物の環境形成をリセットする再生の象徴のようにも思える。 もう一度観たら、5年後に観たら、私の「野火」への印象はまた変わるように思う。毎年8月に観るべき映画、なのかもしれない。
戦争の残虐さと…
第二次世界対戦敗戦間際のフィリピンでの日本兵隊の話 日本勝利を信じ、天皇陛下の指示の基に敗戦濃厚がわかっていても戦う日本兵隊 こんなことを指示した天皇陛下をなぜ今も敬っているのかが分からない… 僕が天皇陛下だったら自殺するけど… 日本はつくづく変な国である
忽ち消え去る人間性に戦慄
Amazon Prime Video(プラス松竹)で鑑賞。
原作は未読です。
映像など、自主製作映画ならではの安っぽさが感じられ、クォリティー面では市川崑監督版には全く敵わないな、と…
しかし、生々しさは本作の方が断然上だと思いました。スプラッター映画かと思うくらいのグロ描写に圧倒されました。
餓えと渇きによって、人間性は忽ち姿を消してしまう。
人を極限に追い込む戦争の恐ろしさが胸に迫り、このような悲劇を繰り返してはならないと痛切に感じました。
現実に戦争が起きている今こそ、噛み締めたい作品。
毎年夏に再上映され続けているのも納得な名作でした。
意外と
機銃掃射が多いなぁ リリー・フランキーの顔色が良すぎるし肉多すぎてひくわー 主人公は一般人を殺すくせに芋に対する執着はない ただなんとなく生きているだけで、生に対する執着心を感じられない 執着心がないならこの過酷な状況下では死んでしまうぞな
激烈すぎて
最初に見た時には「もう、二度と見ない」と思いました。 しかし、今年も上映があると知り、この時間を空けておいて見に行きました。 最初に塚本監督の話がありましたが、この話を聞けただけでもよかったです。 塚本さんは好きな映画の一つに岡本喜八監督の「肉弾」をあげていました。私にとっての一番の邦画なので、とても嬉しかったのを覚えています。 きっと本物の戦争って、こんな感じなのでしょうね。
あったことを無かったことにしてはいけない
塚本晋也監督の熱意を ひしひしと受け取った きっともう一度観るには勇気がいるが 観た後のこの感情は忘れたく無い 生々しさと雄大な自然 人間はなんてちっぽけで なんて可哀想で、なんて自由なのだろう
日本兵たちは、如何にして餓死したのか?
2014年。塚本晋也監督・主演。 原作は大岡昇平の「野火」で市川崑に次いで二度目の映画化。 太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島が舞台。 田村一等兵は肺病を病み野戦病院へ赴くも軽病とみなされ病院をだされる。 米軍機砲撃により部隊はバラバラになり、田村は熱帯ジャングルを彷徨うこと になる。 この映画は日本兵が《人肉を食べた?!》実話として、 そこが鮮烈なのですが、この映画では猿の肉の干物と称する肉を 確かに食べさせられる。 その猿肉が、なんと猿はフィリピン人を指しているので驚愕しました。 原作によると、銃撃された日本兵の臀部が見事に削がれていたと言う・・・田村は 味方の兵隊が死体の臀部の肉を食べている・・・そう認識したそうだ。 《餓死した兵隊140万人》 太平洋戦争で戦死した日本兵は230万人(レイテ島は7万9000人と言う) しかしそのうちの60%の140万人は実は餓死したと言うのだ。 大本営の脳裏に日本兵を太平洋諸島に送り届けて戦わせる・・・彼らの3食の 材料の物資補給は頭に有ったのか? 戦争とは兵士と兵士、戦艦と戦艦が戦うだけのものでは無い。 海上の物資(兵器、燃料そして兵隊の食料)の補給確保がいかに重要だったことか? 太平洋シーレーン(海上輸送ルート)は、早々と銃撃を受けて、崩壊する。 (それにしても計画は片道切符・・・勝算はどこにも無いのだった) 軍部を責めることも怒ることもなく、田村一等兵が、自分の目で見て体験した事 だけを描いている。 味方の兵隊同士が敵ですらある。 小さな島・レイテ島で亡くなった兵士は7万9000人。 生還した兵士は僅か数千人だと言う。 戦後75年。 戦争の愚かさが身に染みた。
究極の終末世界なのに、生きる事への執念が全く描かれていない。つまり、演出が悪い
グロいだけの映画。戦場の怖さじゃないし、描かれている兵士達もデフォルメされすぎ。 終末はもう少し楽しく過ごさないと。 こう言った奴等が日本兵なら、ゆきゆきて神軍は凄い。 この主人公、気がつくの。遅すぎる。こう言った究極の世界で、ヘルメットと銃は必要全く無い。 少女終末旅行は、だからこそ、銃を持たせ、ヘルメットを被らせ、ケッテンクラートで移動させた。
人間性とは
”戦争は、あってはならないものだと思いました” 学校で書く作文なら、こう書くしかないだろう。 飢えで亡くなった日本兵も気の毒だし、 もちろん理不尽に殺されたフィリピンの方々も気の毒だ。 だけど軍の上層部が~って言うのも違う気がする。 なんだか、もういない人のせいにしとこうって感じがするからだ。 あってはならない事が起きるのが世の常。 コロナ禍っていう緊急事態での政府の対応は、 なんだか戦時中を思わせるものだったと思う。 たくさんの命が犠牲になって、それで何を得たんだろう。 兵器は日進月歩だけど、僕らのモラルはどうだろうか。 レイテ島のような極限状態ではないにしても、 自分の人間性を客観的に見つめていきたいと思わせてくれた作品だった。
芋から猿
第二次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。 肺を悪くし、部隊からお払い箱になった田村一等兵は、行き場もなくただ密林を彷徨う。 どこからともなく襲ってくる敵の恐怖ととてつもない空腹の中、目の前で仲間の日本兵が次々と殺されていくのを目の当たりにする。 体調の良い時に観てください。 体調良くてもキツいですが… 地獄。生き地獄。 とにかくずっと地獄。 グロ耐性ついてきた自分でもこれはグロかった。 グロいだけでなく、とにかく生々しい。 そこには生き死にしかない。 無数に転がる死体。 極限状態では敵も味方もない。 生きるか死ぬか。喰うか喰われるか。 義理も人情もそこにはない。 戦争映画というと画質を暗くしたりして、あくまで過去の話として描くことが多い。 ただこの映画はやけに明るい。 ドキュメンタリー、もしくは低予算自主制作映画のような画質は、まるで昨日今日で起こったことのように鮮明。 眩しいほど強烈なジャングルの緑とどギツい真っ赤な花。 対して、人間は真っ黒。 声は非常に聞き取りづらく少し気になったが、あえてそうしてあるのかなと思った。 戦場では会話の内容など重要ではない。 鳥や虫の声とそれをかき裂く銃声、目に映る凄惨な現場だけが全て。 終盤で海の向こうにキノコ雲らしきものが2つ見えた。 本当に終盤だったのだろう。 あともう少し、そういう時に限ってさらなる悲劇が起きる。 クライマックスには言葉を失った。 なんとなく分かっていた結末だけど、空いた口が塞がらなかった。 大岡昇平の原作小説、及び市川崑監督の1959年版も是非観てみたい。 なかなか観るのに勇気がいったが、平和ボケしている我々はやはり戦争映画を観ておかなければいけない。 戦争という毒に取り憑かれた者たち、彼らはもはや人ではなくなってしまった。 戦争から76年、これから次の世代に語り継いでいくのは私たちだ。
アホの考えた妄想。
こんな、日本の兵隊さんはいない。 日本の兵隊さんは、世界で最も規律正しく、尊敬されていた。 補給を考えない無謀な作戦で、南方戦線に送られた日本の兵士は飢えて、大変な思いをしたが、こんな悪党のような奴らがいる訳がない。 日本のために戦った英雄を侮辱してはいけない。 こんな映画、夏休みのたびに出してくるな! いい映画は他にある。醜い汚れ映画を見ず、美しい映画を見よう! 妄想を見るのが、現実を見るということではない!これは日本の自虐史観のための洗脳映画だ。 右翼、左翼なんて分け方は古い!日本の新しい価値観を、つくらなければいけない時がきているということだと思う。
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