LUCY ルーシーのレビュー・感想・評価
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難しい映画でした。
見出しの印象は、特殊な能力を身につけたルーシーが、韓国のマフィアと戦う話かと思ったけど。まったく話が違っていて、途中からギャングなんて全然、ルーシーの眼中になかったもんね。彼女が、超人的な能力を身につけて、完全無欠の状態になり、自分を犠牲にしてまでも私達人間に本当の人類の進化論を伝えたかったかのように思えました。この映画、1回か2回見るだけでは、まだまだですね。奥が深そうです。 でも、ルーシーが、覚醒するにつれて、自分の自覚、感情、性格が、失われてくのは、ちょっと空しく感じました。2回目の鑑賞時は、ルーシーがお母さんとの電話の場面なんて、泣けてくるよ‼️
最後はなるほど。
スカーレットヨハンソン目当てでずっと見たかったんだけど、公開当初そこまで盛り上がらなかった印象で忘れてて、今日。ユーネクストに合ったので鑑賞。割と楽しみにしている。 まず冒頭イルカが20%の脳味噌を使っていることは全く知らなくて、へぇーと思った。 また人間がそんなに脳の能力を、使い切れていないだとも同時に思った。 1%とか最初何のことと思ったが、徐々に意味が分かりその演出はいちいちかっこいい。 ただ重要はエボリューションのシーンは若干雑というか大味に感じる。 また本映画はもしかしたら人生史上1番の映画になるかもしれないというワクワク感はがあったのだが、ラストがやはり、、というところだろうか。 過去に行ったなら未来も観たいし。ただ現代の表現力だとここが限界なのか、など色々と考えさせられる結末。
この世の全ては意識によるもの
他者との共通認識を尋ねても意味はなく、それぞれが持つ認識の重なり合う部分にエネルギーの交換ルールを確認して初めて世界というものが構築される。と言うのがこの映画を見ての最終理解兼結論となった。
改めて観てみると、最初は1%だってことは、ルーシーはパープー姉ちゃんだったってことか?
人間は脳の10パーセントしか使ってない!ここから発想を展開して全てのプロットが生み出された作品であることは間違いない。 序盤からヨハンソン演ずるルーシーが韓国マフィアの運び屋にされてしまう経緯と、フリーマン演ずる脳科学者であるノーマン博士の演説。それに地球誕生からの自然ドキュメント映像などを交えて人間の脳進化の過程を描いている。いきなり猿が遊んでる映像なんてのは『2001年宇宙の旅』のパクリかと思ったけど、そこはベッソン監督だから許せる範囲(笑)。 サスペンス要素も満載で、マフィアに暴行されたときに埋められてあった体内のドラッグが溶けだしてしまったルーシーは徐々に脳に変化が起こり、頭の回転の良さのみならず、他人の心や物体を動かす超能力まで身に付けてしまう。しかし、まだまだ脳の使用量は20パーセント弱。なぜだか、もっと薬が欲しくなり、同じく運び屋にされてしまった3人の男たちを追うのである。すでに中毒症状なのか?と思いきや、その中毒症状は脳の活性化100%を求める何かが働いていた・・・ 運び屋を追うと同時に、脳科学者ノーマンとコンタクトを取ろうとするルーシー。助けてほしいのか未来の人類のために進化そのものを教えようとしていたのか、頭の良い人の考えがわからないと同じように、何が目的だかわからないまま緊迫感のある展開にくぎづけ。 発想が面白いんだけど、SF的な終わり方以外はギリギリ合格点て感じの作品。しかし、ヨハンソンの魅力と、マフィアのボスであるチェ・ミンシクの怖さが際立っていたことで加点。 〈2014年9月映画館にて〉
フィルム時間が短いのがせめてもの救い
ストーリー/脚本が安直というか、予想以上に肩透かし感が否めない。 色んな映画のオマージュ(パ◯リというか)に監督のアイディアの枯渇を感じずにいられない。 似たようなテーマなら、昔トヨエツと武田真治が共演したnight headの方が出来が良い気がする。
難しいSF。 一言そういう感想。 終わり方 私はどこにでもいる っ...
難しいSF。 一言そういう感想。 終わり方 私はどこにでもいる って言ってたけど、あれは何? 神様とかそんな感じのものになったってこと? よく分からなかったけど、モヤッとした終わり方だった。 ハッピーにもバッドにもなるのではなく、疑問がうまれた。
チャレンジング
この時間内によく収めたし、これ以上長いと苦しいだろう。やりたいことと、興行性や分かりやすさと、絶妙なバランスの上に成り立つ、実は繊細な作品。連作にして描ききっても面白かっただろうが、そこまでのコンテンツでもなかったのかもしれない。 人の脳の未開拓部という、誰もが想像したことのあることに挑んだ。
昔はベッソンファンだったが
グラン・ブルー、ニキータ、レオンなどすごーく昔はリュック・ベッソンのファンだった。 でも、フィフス・エレメントあたりからちょっとついていけない感。 これもやっぱり。 好きなタイプではなくなったなぁ
生半可な気持ちで見ちゃいけないってこと
劇場で観賞して以来6年ぶり2度目。 当時は正直、?????状態だったが、 なぜかここ最近この映画を思い出す機会がよくあり、今なら何か分かるかもしれないと思い観賞。その通りだった。前回とは印象が全く違う。 これは概念、感覚、常識、科学、意識を超えていく物語。 まず、この映画に批判的な人たちのよくある批判だが、 「科学的根拠がない」 当たり前。“科学的に認められている”と聞くと無条件で納得する人間はやたら多いが、それは現状調べることが可能であった範囲の研究で、研究に適合した結果であるということに過ぎない。学問上の常識が覆ることは歴史の知るところ。 「意味がわからなかった」 調べるか詳しい人に聞くなり勉強をしてくれ。 「結末がよくわからない」 調べるか詳しい人に聞くなり勉強をしてくれ。 「映画の作りとしてよくなかった」 私もそう思う。それが原因でこの映画は単純なエンタメ映画なのか深淵な哲学脳科学映画なのかの狭間で実に中途半端に仕上がっている。 だからあえて言っておきたい。哲学や脳科学などの学術的な知見がある程度備わっていて、映画としての完成度に目を瞑れる人以外、見ない方がいい。 この映画は実に示唆的だ。 もし内容に納得できないところがあるならば、自らの頭が固くなっていること、固定観念に囚われていることを一度疑うべきなのかもしれない。それはもちろんこの映画の内容が正しいという意味ではない。しかし一つの帰結としては受け入れられて然るべきだ。 などと言っている私自身この映画が分かったわけではない。 いや、正確にはこの映画は我々が分かるものではない。 リュックベッソンは分からないものを分からないものとして最大限分かりやすく表現することには成功したように思う。 “全然何も分からない”ということが“分かった”感覚がベッソンの狙いだったのではなかろうか。
科学の理想を描いたSF作品
現実論を突きつけて観るとそれまでだ。 しかしそれは一見論理的であるように見えて、実はとても浅はかな尺度かもしれない。 証明されていることだけを真実と信じていては、 科学の発展も、人間的成長もない。 この作品は生物学の神秘、量子力学のロマンを描いていなが、哲学的要素を加味している。 映画の構成より、世界観の構想に着目したい作品だった。
もしかしてと思わせるニュアンス
たぶん4回目くらいの鑑賞。 リュックベッソンのSF観は好きだけど、 これは少し毛色が違う気がする。 これまで絵空事としてきたCPH4に興味を持って、 もう一度観てみたのだけど、 それよりもスカーレット・ヨハンソンの表情の移り変わりに惹きつけられる。 そして限りなく石橋凌に似ているボスにもwww. ノーランもそうだけれど、 決してフィクションとは言い切れない、 もしかしたら…を表現するのが大好きな監督の作品は、 やはり、もしかしたらと想像を膨らませるのが大好きなファンが根付くのだなあと 改めて感じたw
違う方向に進んでいたら、もっと面白くなっていた気がします。
評判が芳しくなかった理由がわかりました。 “脳を100%使い切れたらどうなるのか?”というテーマはかなり興味深いですし、この作品も途中までは壮大なテーマながらもエンターテイメント寄りで面白かったと思うのですが、ラスト手前辺りから“脳を100%使いきる”というテーマに拘り過ぎてしまったような気がします。 多分ですが、自分も含めて視聴者が望んでいたのはそうじゃなかったんだと思うんでね。 “LUCYがドラッグに因って脳を完全に使い切れるようになり、そのチート的な能力で悪と闘う”そんな単純なお話で良かったんだと思うのですが…。 巧く作れば絶対面白い作品になったと想えるだけに凄く残念な気がします。
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