「終わりかたに疑問符がついた人へ」LUCY ルーシー Big Benさんの映画レビュー(感想・評価)
終わりかたに疑問符がついた人へ
この映画を観た友達から終わりかたが
微妙という言葉をよく聞きました
自分的にはすごく納得のいく終わりかた
だったので参考までに自分の考えをシェアして
みたいなと思います
この映画のラストを理解するのには、ある
西洋の独自の価値観を理解する必要がある
気がしました
それは、キリスト教の価値観です
西洋のほとんどの人はキリスト教の背景を
持っています。 キリスト教を信じていない
人でも、神様が人間を作ったという想像論の
話を絶対にどこかで聞いたことがあります。
それも、おとぎ話とか、神話みたいなもの
とは違って、もっとリアリティーをもったもの
として、心に留めてる人が本当に多いんです。
それが、西洋の文化の一部になっているんです
海外ではわりと高く評価された作品が
日本ではビミョーと言われてしまう理由は
これじゃないかなと思います。
じゃあ、キリスト教の何を理解すればいいか?
ポイントは2つあります。
1つは、キリスト教の「神様」の性質
もうひとつは、キリスト教の「人間」の性質です
まず「神様」の性質ですが、これは、
三つあります
全ての事を知っている。
全ての事ができる(不可能がない)。
全ての場所に(同時に)存在することができる。 この3つです
ここまで言うと、ルーシーは「神様」に
なったの!? と皆さん思うかも知れません。
実は、その通りです。ルーシーは
キリスト教における神様のような存在
になってしまったのです
でも、たかが脳が活性化したところで、
なんで神様になるんだよ!
って思う人もいるかも知れません。
ルーシーが神様のような存在になったといえる
もうひとつの理由が、先程ふれた二つ目の
ポイント、キリスト教における人間の性質です
冒頭でも話しましたが、キリスト教では
神様が人を作ったとされています。
では、どのようにして作ったのか?キリスト教
の聖典、聖書には、
「神はご自分にかたどって
人間を創造(作ること)された」
と書かれています
では、人間と、神様の違いって
何なのでしょうか?
この質問にとてもユニークな答えをだしたのがこのルーシーという映画なんです。
「神様は自分にかたどって(似せて)人間を作った
ときに、脳にリミッターをつけたんだ」 と
この映画は、最後の最後でこの映画の
本当の意味を
「I am everywhere(私はどこにでもいる)」
という一文だけで説明して終わるんです。
まさに、最後に謎か一気にとける素晴らしい
ラストだったんですね
ただ、先程説明したキリスト教の考え方を
含んだ西洋の文化を持たない僕らが観ると
えっ!? っていう終わりかたですよね
謎が解ける以前に、何が謎なのかも分からずに
終わってしまう、よく分からない映画って
思ってしまいます
いかがだったでしょうか?これが、僕なりの
解釈です。この映画がよく分からなかった方
が少しでもスッキリしていただければ幸いです
私も観終わって何とも言えない気持ちだったのですが、西洋との価値観の違いがもたらしてたものだったんですね。文を読んですごくすっきりしました。色んな見方を持たないとですね!ありがとうございました!