百日紅 Miss HOKUSAIのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
◆よかった
江戸は今よりあの世とこの世の境界が
もっと薄かったんだろうなと、
浮世絵師はその間を時々つなげてしまうんだと
そんな雰囲気が伝わってきた
映像が綺麗
主人公の妹が可愛い
◆気になった
父親にもらったのは紙と画筆だったり、
男女を描けないといわれて男娼の所へ行ったり
さんざん絵描きとしての主人公を描いてきて
妹オチなのが少しわからなかった
小さいエピソードがそこまでつながってないので、オムニバスでもよい気がした
江戸の風俗は楽しめた
全編に渡る筋の通ったストーリーが病弱な妹についてで、そこに色々なエピソードが絡まるが、そのエピソードが散漫な印象。
お栄の絵に色気がない→陰間茶屋に行く→で、絵に変化はあったのか?
他にはお栄の絵は上手いが始末が無いので、父親がお地蔵様を書いて尻拭いするエピとか、花魁の首が伸びるエピとかあったけれど、それを取り上げた意味は?
お栄の未熟さを描いた?…と見終わっても映画の主題掴めなかった。
本編後にメイキングあり原作が有るのを知り、スタッフの思い入れのある作品だと知ったけどその意気込が映画に出ているかどうかは?
江戸の風俗がアニメで観られたのは面白かったが、ネットで映画版は着物の着付けがおかしいとあった(原作は正しい)
作画とCGの贅沢な調和
内容的にはかなり地味な話だが、映像的にはかなりの分量の3DCGの導入が見られたのが意外で、もはや題材を問わずとも、作画だけではアニメ映画が成立しないことを改めて認識させられた。そんな中で、クライマックスのお猶の死を直感したお栄が走る一連は恐らく作画の背動をやっていると思う。カメラワークの難易度の高さといい、あれはかなり贅沢な表現じゃなかろうか。
声に関しては素人ばっかり集めてしまうのは関心しない。いい棒は周りがしっかりして初めて意味がある。
時代劇とアニメはあうんじゃないかな。
試写会で見たんですが、今更ながらアップ。
当時女性は早く嫁に行くのが普通だったので、独り身で浮世絵や春画を描いていたなんて、たとえ北斎の娘としたって大変だったんじゃないかと思う。
監督がインタビューで語られていたけど、時代劇はどうしても同じ限られたセットの中でとり回してるからどうしても似たような絵柄になると、その辺アニメだと自由に描けると。
確かにそうで、江戸の町、日本橋界隈の俯瞰や木造の大きな永代橋や澄んだ隅田川の流れなんて、実写では描ききれないし、そういう部分の可能性はすごいなって思った。
江戸っ子たちが長屋で雑魚寝したり、吉原の町並みやなんかもずっとセットより魅力的だったし、むしろ生き生きとしてる。
杉浦さんが紡いだ物語自体も面白かったけれど、アニメ化で新たな次元の面白さが加わってるとおもいました。
お栄でござる。
杉浦日向子の本は読んだことがないのだが、TVでの解説者
とりわけ「コメディーお江戸でござる」が好きでよく見ていた。
見かけなくなったと思ったらあっという間に亡くなっていて
その急逝に驚いたが、こんな見事な代表作を遺していたとは。
葛飾北斎の娘・お栄(後の葛飾応為)を中心とした当時の江戸が
活き活きと甦る。短編集を繋ぎ合せた作風は、いま公開中の
井上ひさし原作映画と連なる出来映えで勉強できるうえ面白い。
歴史に興味がなくても、この時代にはこんな人達がこんな風に
生きていたことかと当時に想いを巡らせられること請け合い。
リズム感のあるべらんめえ調子が私には特に聞こえがいい^^;
しかし冒頭で唯一困ったのは、今作はアニメなのだが、その
声を担当する声優が有名俳優である点。主人公の杏をはじめ、
あっちでもこっちでも聞いたことのある声ばかり(松重、濱田)
こうなるとその俳優の顔ばかりが浮かんきて、キャラ負けする。
せっかくのいい話なのにこれじゃあ…と最初落ち込んだものの、
とにかく内容がストーリーが面白いので、ぐんぐんのめり込む
うちに声のことは気にならなくなっていた。北斎の一部代筆を
務めていただけあって、腕は一流のお栄。ところが男性経験が
なくめっぽう色気足らずの気性のため、その絵に色が入らない。
不器用ながらも真っ直ぐ浮世絵に取り組んでいくお栄だったが…
複雑な北斎家の事情もサラリと描かれるが、特に妹のお猶の
エピソードには泣けた。。目が見えず身体も弱かったお猶に
逢おうとしなかった北斎の真の理由。妖気心霊入り乱れる中、
頑固で偏屈極まりない親父の愛情が娘たちに享受されるシーン。
こりゃ叶わないよな、やっぱり。と天性の才能に惚れ惚れした。
(実写でやっても良さそうな顔ぶれ。朝ドラでもいいんじゃない)
へんちきなじじぃ
期待値高すぎてしまったかもσ(^_^;)
これぞ江戸っ子の生き様よ
ケリをつける
絵の力を感じる映画
若々しい作品でした
傑作である。
光と音を与えてやると
ほのかに匂い立つ、「人間」の薫り。
アニメーションという手法は監督にとって、こういうことなのだ。
さすがの原恵一、足し算引き算含め、抜群の演出力。
傑作である!
追記:
足し算と引き算について、もう少し。。
この物語には、インプットと、アウトプットのちがうもの、という対比の構造で人物が描かれている。
光と影。
動と静。
男と女。
恵まれた男と、恵まれない男。
目の見える男、目の見えない娘。
目の見える姉、目の見えない妹。
男である父、女である娘。
絵の達者なもの、達者でないもの。
絵の達者でない女である母、絵の達者である女である娘。
未来と、過去。
漫画と、アニメーション。
浮世絵と、アニメーション。
すべてが、違う要素を背負って登場する。
其のコントラストが美事なのだ。
其処に、底に、「人間性」というものが、立ち薫ってくる。
そこに、ドラマという波が押し寄せて、消えてゆく。
それが見事だと言っているのだ。光と音を与えてやると
ほのかに匂い立つ、「人間」の薫り。
アニメーションという手法は監督にとって、こういうことなのだ。
さすがの原恵一、足し算引き算含め、抜群の演出力。
傑作である!
追記:
足し算と引き算について、もう少し。。
この物語には、インプットと、アウトプットのちがうもの、という対比の構造で人物が描かれている。
光と影。
動と静。
男と女。
恵まれた男と、恵まれない男。
目の見える男、目の見えない娘。
目の見える姉、目の見えない妹。
男である父、女である娘。
絵の達者なもの、達者でないもの。
絵の達者でない女である母、絵の達者である女である娘。
未来と、過去。
漫画と、アニメーション。
浮世絵と、アニメーション。
すべてが、違う要素を背負って登場する。
其のコントラストが美事なのだ。
其処に、底に、「人間性」というものが、立ち薫ってくる。
そこに、ドラマという波が押し寄せて、消えてゆく。
それが見事だと言っているのだ。
これは凄い傑作。
実写を撮ったせいなのか、よい意味で凄いアニメになった。“素晴らしい”ではなく“凄い”だ。アニメだけでいうならかなりの冒険をしているといっても言いすぎじゃない!
アニメならクライマックスを盛り上げるために。例えば『かぐや姫の物語』なら空を飛ぶシーンやお迎えのシーンなどの派手なシーンの画を出してゆく、『風立ちぬ』だと飛行機が空を飛んでいたのに対して、これはまったくの逆。一番派手なのは初番の「竜の降臨」からで徐々に派手をダウンサイジングしてゆく。そしてクライマックスのお猶との死別まで文字どおり見せ続けてゆく。
ようするに“退屈”ではあっても“つまらない”わけでは無いところが凄い。これは皮肉ではなく本心である。まるで落語を見ているような心地よさがある。
そして、本来ならアニメでやるべき通常展開の逆をやっていると失敗作&駄作に確実なるのに。これはそうなっていない。これが“凄い”
そして、これが意図してやっているのがはっきりとわかるのはエンドロールに入る瞬間に現在の両国橋のバックにアニメの空が入っているからだ。「恋をしたり悩んだり大切な人と別れたりするけど、それが人っていうものさ」と言っているだけだ。
ほぼ原作どおりや90分という時間のおかげかもしれないが、この冒険は絶対に評価する。アニメでありがちな“ベタベタ”や“感動”という物語ではなく、まさしく“粋”そのものを語ろうとしたからだ。
絵に込められた情念。
山場の作り方に苦労した感じ
期待はずれの凡作
平和な時代が文化を育てる!
葛飾北斎の娘、葛飾応為(お栄)の物語。
お栄は男勝り。
眼の見えない妹に、彼女は優しい。
平和な江戸時代の生活が一種の理想郷として描かれる。
自然との調和。
また平和な時代が文化を育てる。
渡辺京二『逝きし世の面影』のような牧歌的世界。
同時に、人々の心のうちに、妖怪がまだ存在する。
また地獄における地蔵信仰。
廓が理想化されているが、当時の江戸では梅毒など性病の猛威があったはず。
皮膚病も蔓延していた。
だがそれらは当たり前のことで、変えられない自然のようなものだった。
精神世界、人々の心、感じ方は、たぶんこの映画のようだったろう。
政治権力の世界、地方の農民の貧窮した状況は描かれない。
封建社会の身分制も、貧富の格差も、当然で当たり前だから、そこで生きる者たちには、主題にならない。
応為(お栄)は、晩年は仏門に帰依したとも、また北斎没後8年目(1857年)、家を出て以来消息不明とも言われる。
江戸情緒を感じられる作品
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