「戦争に英雄はいない」フューリー Awareさんの映画レビュー(感想・評価)
戦争に英雄はいない
※ブクログからの転載です
この映画についてぼーっと考えていて、ろくにルールを知りもしないくせにチェスの試合を想像した。どんなに強い人でも、自分の手駒を一つも失わず勝つことはあんまりないだろうと思う。そして一度取られた駒は帰ってこない。勝ち負けではなく、敵に取られた駒にスポットを当てる映画が、この「フューリー」だと思った。
更にチェスの話で恐縮だが、チェス用語に「サクリファイス」という言葉があるのだそうだ。これは勝つためにあえて手駒を犠牲にすることをいう。
第二次世界大戦で、アメリカの戦車はナチスドイツに比べて、はるかに性能が劣っていた。ナチスドイツのタイガー(字幕ではティガー)という戦車1台に対して、アメリカはシャーマンという戦車5台で戦うという戦法を取った。多少の犠牲はやむなしとして、数に頼むしかなかったのだ。チェスなら犠牲になるのは駒だが、戦車には1台につき5人の人間が乗っている。平時ならば何よりも尊いとされる人命を、当たり前のように犠牲にするのが戦争なのだ。
そんな過酷な状況下に突然ほうり込まれたのが、新兵のノーマン(ローガン・ラーマン)。訓練したタイピングは速いが、戦車については全くの素人。本人は手違いで配属されたと思っていたみたいだけど、たぶんそれを否定した「ウォーダディ」コリアー (ブラッド・ピット)のほうが正しかったのではないかと思う。たくさんの戦車兵が犠牲になり、人が足りなくなっていたのだろう。
宗教のことを除けば、ノーマンは戦争を知らないわたしたち現代の日本人とたいして変わらない。観客は必然的に彼の視点に立って物語を追うことになる。
コリアーはドイツ人と見れば誰でも撃てと言う。降参した兵士。女子供。地に倒れた死体でさえも。ノーマン同様「何もそこまでしなくても」と思ってしまうが、子供でも武器を持っているし、もしかしたら死んだふりをしている奴がいて何をしでかすかわからない。とにかく敵と見れば殺すに越したことはないのだ。観ているわたしたちも、「しょうがないじゃん、やるしかないじゃん」みたいな気分になってくる。
コリアー達アメリカ兵は、少しも善玉として描かれてはいない。それがこの映画の特徴的な点だ。相手が市民でも殺すし、タバコや卵で女を買いもする。日本における沖縄戦でも、米軍につかまったら辱めを受けるとして集団自決の悲劇を生んだが、本当にそうされたかもな、と想像してしまう。
それでも、敬虔なクリスチャンたるノーマンは、「僕の良心は曇らない」(My conscience is clear. だったかな)と頑張っていたが、占領した街での出来事がついに彼を変えてしまう。彼を変えたのはナチスへの怒りだ。見せしめとしてさらされた、戦争を拒否した市民の死体。心(と体)を通わせた少女の死。ノーマンは「良心」を捨て去り、ためらいなく敵と戦うようになる。そんな彼に、最後の戦いの前、仲間たちは「マシン」という洗礼名を与えた。
5人の仲間と走行不能のフューリーだけでナチスのSS大隊300人に立ち向かった最後の戦い。
次々に倒れていく仲間たちは最期に何か言い遺す暇さえない。コリアーは脱出用ハッチからノーマンを逃がすが、ナチスの若い兵士に見つかってしまう。ところが、彼はノーマンを見逃してくれた。無抵抗の敵を撃つことを拒んだ、少し前のノーマン自身と同じように。自分が捨てたものを持っているナチス兵によって救われたのだ。もっとも考えさせられるシーンだ。
彼らはなぜ無謀な戦いを選んだのだろうか。
「戦争は終わる。じきにな。だがそれまでに、大勢が死ぬ」(It will end, soon. But before it does, a lot more people gotta die.)とコリアーは言った。もしも彼らが逃げ出したとしても、代わりにほかの仲間が死ぬだけだ。戦争が終わるまでは、誰かが死んで、誰かは生き残る。それを分けるのは神ではあるまい。これは人間の所業なのだ。
しかし、彼らだけが犠牲になったのではない。ドイツ兵とて同じなのだ。
後にノーマンは友軍によって救出され、「君は英雄だ」と称賛されるが、そんなものはどこにもいないことを彼はよく分かっているだろう。
そこには勝者もいない。敗者もいない。まして英雄などいようはずがない。ただ犠牲者だけがそこにいる。フューリーは、十字架に掛けられたキリストのように、十字路の中央で累々たるドイツ兵の死体に囲まれてただ立ち竦んでいる……。
(真面目な感想文ここまで)
【その他こまごまとしたところやヨタ話】
・コリアーが言った「歴史は残酷だ」History is violent.
violentは慈悲のないというニュアンスを含むcruelに対して、もっとフィジカルな意味合いっぽい。
cruelだと神のせい、みたいなニュアンス出ちゃうな、とか思った。
・対ティガー戦はすごい迫力だったが、それよりもドイツ側の車長の指示も字幕で出てたのが印象的だった。
敵も味方もどちらも人間で、それを両方把握できる観客はそのとき神の視点を得ているんだな。
・酒飲む前に予備の弾薬を車内に持ち込んでおけばよかったのでは?
・ところでfuryの語源は、ギリシャ・ローマ神話における復讐の女神フリアエから来たそうだ。
復讐をつかさどる神が女だなんて、神話を作った男たちはよっぽど嫁さんが怖かったのかねえ。
※英語セリフの引用はIMDbの投稿によるもので、必ずしも正確ではありません。
日本語は私のうろ覚えです。