悼む人のレビュー・感想・評価
全23件中、1~20件目を表示
新興宗教誕生秘録。 石田ゆり子は私の母になってくれるかもしれなかった女性だ!
死者を悼みながら日本中を旅して回る青年・坂築静人と彼の家族、そして彼と出会い運命が変わった人々の姿を通して生と死の意味や尊厳を描くヒューマンドラマ。
監督は『20世紀少年』シリーズや『SPEC』シリーズの堤幸彦。
主人公である”悼む人”、坂築静人を演じるのは『蛇にピアス』『ソラニン』の高良健吾。
夫を殺害した過去を持つ女性、奈儀倖世を演じるのは『もののけ姫』『コクリコ坂から』の石田ゆり子。
倖世に殺された夫、甲水朔也を演じるのは『20世紀少年』シリーズや『そして父になる』の井浦新。
静人に興味を示すライター、蒔野抗太郎を演じるのは『アウトレイジ』や『SPEC』シリーズの椎名桔平。
原作は天童荒太による同名小説。この作品は第140回直木賞を受賞しているらしいが未読。
死者に祈りを捧げながら日本中を旅する青年の姿を描くとってもスピリチュアルな映画。幸福のなんちゃらとか創価かんちゃらとか、その辺の宗教団体が作った映画かと思っちゃうような内容だったが、東映配給の映画であるので安心して欲しい。
本作の見どころはなんと言っても石田ゆり子の濡れ場っ!エロいっ!!😍マゾヒズムに満ちたラブシーンから青姦まで、清純派なイメージを覆すような体当たり演技を堪能することが出来ます。
静人と倖世のラブシーンは、冷静に考えると「今そんな事しとる場合かっ!?母親死にかけとるんやでっ!?」と言いたくなってしまうが、石田ゆり子と青姦出来るのであれば親の死に目に会えないことくらいなんてことはない!!…のか?
にしても、若い女優を差し置いて45歳で濡れ場を披露、しかもそれがちゃんとサービスシーンとして機能しているんだから、やっぱり石田ゆり子って凄いわ。あんたがNo.1や!!
倖世の夫、朔也を演じた井浦新もやけにハッスルしていてとても良かった。鳥肌実みたいなピッチリ七三で変態感マシマシ。
今際の際の最後の一言が「君から…産まれたい」ですからね。このバブみには名誉マザコンであるシャア・アズナブルさんもニッコリ😊
死してなお妻をストーキングし、妻と若い男の情事を覗き見て成仏するという100点満点の変態。世界変態キャラランキングで上位入賞間違いなしの逸材を発見してしまった!!やったぜ。
てかこの人、てっきり倖世が生み出した幻影だと思っていたので静人の前に姿を現した時にはびっくりしちゃった。オバケだったのかよ!!この映画のリアリティラインはゆるゆる。
『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994)のランニングパートだけを138分観させられているような感じで、正直途中で完全に飽きてしまったのだが、前述したように石田ゆり子や井浦新の快演には楽しませてもらったし、『アウトレイジ』(2010)ばりに椎名桔平がボコられるところなんかはバイオレンスで良かったと思う。…人間って生き埋めにされた状態でどのくらい生きていられるんすかね?椎名桔平、少なく見積もっても30分くらいは埋まってたと思うんだけど、彼はヨガか何かやってたの?
土砂降りの中静人と倖世が山越えするところなんて、そのあまりの雨量に爆笑出来たし、退屈ではあるが見どころは結構ある映画だったと思います。
と、ここまでちょっとおちょくるようなレビューを書いてきたけど、静人と倖世パート/静人の家族パート/蒔野抗太郎パートの3つのストーリーラインを最終的には綺麗に収束させており、作劇的にとてもスマートだと思った。あとはもう少しタイトなら飽きることなく観ることが出来たかもしれない。この物語なら100分くらいがちょうど良いんじゃない。
気になったのは劇伴のチープさ。終始悲しい音楽がポロポロンと鳴ったりしていて辛気臭いったらない。悲しい場面だっていうのは見りゃわかるんだから、そこに悲壮な音楽を乗っけるというのはただの説明過多。もう少し音楽には工夫を見せて欲しかった。
俳優の演技に関しても一言言いたい。というか、戸田恵子に一言言いたい。あなたこんなに演技下手だった!?
1人だけ三谷幸喜作品みたいなオーバー過ぎる演技を披露しており、なんだか見ていて居た堪れなくなってしまった。下手な役者じゃないんだから、そこは監督なりなんなりが「戸田さん、もう少し抑えて…」みたいに演技指導してあげなくちゃ。1人だけ浮いていて可哀想だった。
本作は”悼む人”教誕生秘録。石田ゆり子を皮切りにどんどん悼む人が増えてゆき、最終的には政治団体を結成。暴走した信徒が都内の地下鉄を目標にしたバイオテロを計画する…。そんなシリーズ展開もありなんじゃないでしょうか!
とにかく石田ゆり子の濡れ場!これが見どころ!石田ゆり子ファンは必見の一作!!
冗長
「死者を悼む」行為が、宗教観無しで表現できるのは世界中でも日本だけしかないであろうと思えた。静人自身も確固たる信念や決め事も無く、「あなたが生きていたことを、僕は覚えておきます」と呟くその姿は、差し詰め何かの開祖にでもなり得るのか、としか見られない自分を恥じる、そんなデトックス効果のある映画です。
しかし、あそこまで聖人足りえる静人が、倖世に対してあーゆー行動に出るのは、元々そこまで聖人ではないにしても、ちょっと残念。しかもそのシーンが無駄に長い。要らない。
「悼む」という行為自体に答えはなく、この作品も結論は出さない話だが、物凄く刺さった台詞がある。
静人の母が、蒔野が終盤に訪ねて来た時の台詞で、
「私の愛する人には、いっぱい人を好きになってほしい」
これがこの映画の大命題なのではないかと思う。
死んでいった人には、愛する人も愛される人もいた。その中でその人は間違いなく生きていた。その事実が大事だ、という事。死んでも倖世に付きまとう甲水は、倖世が愛した甲水であって彼自身ではない。でも彼女は確かに彼を愛していた。彼も彼女を愛していた。
殴り殺された高校生は、確かに両親に愛されていた事。
全ての人が、愛し愛される誰かのなかで生きていた。その事実を忘れたくない、と思う静人に胸が熱くなる。
そもそもで言えば、この話は映画にするには難しすぎる。
アニメでも微妙かな。
答えは出ない
見ず知らずの他人を悼む。しかもさながら宗教的な儀式を彷彿とさせる行為に依って。それは誰の目にも奇異に映る。
人の死を悼むというテーマ。しかも悼むという行為自体がテーマとなっていることに惹かれ見始めたもののやはり困惑する。不審な行動そのものであるその行為は、現実の世界で目にしたとするならば、新興宗教やオカルトの類いかと気持ち悪く思うのはまず間違いないはずで、でもこれは映画(小説)なのだと傍観者を決め込み眺めてみる。
人の死を悼む。その動機や目的ははっきりされないまま彼の行為を見つめていると、不思議と胸が苦しくなる。その静かな佇まい、優しい言葉に癒されている自分に気づく。
無残に殺された命もあれば、「死んで当たり前」と揶揄される命もある。主人公の彼はそのどちらにも同様の誠実さをもって向き合いその死を悼む。同様というよりそもそも区別をしていない感もある。
死んだ理由や殺された理由を聞かない彼はただ「生きていた時間の温かさ」を記憶しようとする。「あなたが確かにここに生きていたことを忘れない」そう呟く彼の言葉には何一つ不審な点はなく、むしろその愛の大きさに心が震えてしまう。
この映画(小説)の面白いところはまさにこの点だろう。猜疑心や疑念は晴れないまま、一方で主人公の人柄に確かに共感を覚え、その行為の真意、深淵さに愕然とする。この映画の作中人物たちも主人公の奇異な振る舞いに最初は戸惑いながらも、彼の不思議な優しさに心を開いていくのが見てとれる。
翻って。
他人の死を哀れむほど人は暇ではないし、それどころか親友の死さえ忘れてしまうほど人は自分勝手な生き物だ。世界中で毎日何人の人が死んでいると思っている?そう考えると、この映画の主人公のような行為は滑稽でしかない。
でもその一方で、こうも思う。人は愛されたいと願い、誰かのために死んでもいいとさえ考える。誰にどう思われようと構わない。僕は私は幸せになりたい。僕は私は誰かを幸せにしたい。そのためならあなたを殺しても、殺されても構わない。もがき苦しんだ果てに答えを見つけ出したなら、それがどんな結果であれ幸せなのではないか。「病気」とひやかされながら旅を続ける「悼む人」に自らを重ねてみる。
この映画には主人公以外にも様々な人物の死と同じくらい「生の形」が登場する。自らの死を待ちながら息子を愛する母の生、父を許せないまま他人の死を金にしてきた男の生、殺されることで救われようとした男の生に、殺すことで愛されようとした女の生。愛と憎しみ。執着と無関心の狭間で揺れ動くそれぞれの人生。
答えは簡単に出そうにない。他人の死を悼むこの映画の主人公でさえ答えを見つけてはいないように見える。ただ一つ言えるのは、「人が人を思う」その時間の中に、人の生きる意味があるのかもしれないということ。答えは見つからないかもしれない。それでも僕らは生きていくのだ。たまにはこうやって振り返りながらね。
命を悼むことがテーマの作品。であれば、鑑賞後に重く深く心に刻まれる...
命を悼むことがテーマの作品。であれば、鑑賞後に重く深く心に刻まれる様な「生」を描いてほしかった。でないと主人公の行為そのものさえ自己満足で終わってしまう。なぜ大切な母親の死に際にゆるりと過ごさせたのか。死後にどう生きたかを大切にするのなら生きている身内の死に際を特に大切にすべきではないのかと考える。演じる役者さんが可哀想。皆大好きな役者さん方な分、一層その思いが強い。内容がテーマに追いついていない。
とても日本らしい映画
日本らしい映画でキャストも良いので見るの楽しみにしてましたが…
まあまあ長いですね!笑
自分的には麻生祐未と高良健吾のやりとりが一番ぐっときました。
一方で登場人物に共感できる部分が少なく、色々とごちゃごちゃしちゃっています。
椎名桔平が普通にかわいそうでしたw
難しい
この映画で内容を深く理解することは難しい気がします。
ただ、大竹しのぶさんの物語だと思うと頷ける。
ハッピーエンドだなぁとも思えました。
あまり好きではなかった女優さんでしたが、この作品を観てみて凄く良いなぁと思ってしまいました。
石田ゆり子の下りは…ちょっと暗くて辛かった。
高良健吾の悼む姿も…
原作本を読まれた方はきっとギャップを感じる人も多いのではないかと思ってしまいました。
まぁ原作本を読んでない私は…
いやいや、そんな私でも…
だけどハッピーエンドだと思います。
心の解放のストーリーを味わいました。
言いたいことはわかる。
言いたいことはわかります。悼む為に旅をするひとがいてもいいとは思います。
同じ気持ちの人はいると思います。
ただ、登場人物の誰一人共感できる人がいなく、感情移入できなかった。殺されたがった夫も、殺すことで愛を証明したかった女性も、神聖であるはずの悼む旅の途中でことに及ぶ二人も、頭では意味はわかるのですがなんとなく腑に落ちない。
原作読むと違うのかな。
きれい事や自己満足の世界に思えました。
全てに於いて理由が弱い。テーマは神聖で重要なものなのに、説得力に欠けます。
「お坊さんになるのは違うのか?」と言う疑問が拭えなかった。
大竹しのぶはやっぱりすごかった。
どんなことで人に感謝されていたか、私は覚えておきます。
映画「悼む人」(堤幸彦監督)から。
事件や事故に巻き込まれて亡くなった人々を「悼む」ため
全国を放浪する青年の決め台詞である。
やや省略してしまったが、突然ある出来事で亡くなってしまった、
誰にも別れを告げず亡くなってしまった人たちの無念さを、
親友の突然の死を受け止められなかった自分が
「悼む」という行為でなんとか償いたい、そんな想いだろうか。
まず、亡くなった人の肉親や友人、知人に
「誰に愛され誰を愛し、どんなことで人に感謝されていましたか?」
と訊ね歩き「そんなあなたが確かに生きていたということを、
私は覚えておきます」と追悼の行為を繰り返す。
誰だって、人に迷惑をかけたまま死にたくないし、
誰かに感謝されることで、自分がこの世に生きていた意味を知る。
それは多くの人たちではなくても、たった一人にでも感謝される、
それが私がこの世に生を受け、生き続けてきた証、ということ。
どんなに偉い人でも、死んだら忘れられてしまうのも常。
だから、私が生きている限り「あなたを忘れません」という言葉が
とても輝いてくるに違いない。
偶然にも、映画「まほろ駅前狂騒曲」で同じようなシーンがある。
「死ぬのが怖い」というより「忘れられるのが辛い」、
そんな感覚なのだろうか。
私も出来る限り、この世で縁あって出会って他界した人たちは、
墓参りが出来なくても、思い出すようにしたいな。
まず長い。原作を読んでないからかも知れないがメッセージ性が伝わって...
まず長い。原作を読んでないからかも知れないがメッセージ性が伝わってこなかった。
登場人物一人ひとりの死に対する考え方が独特で感情移入しずらく、理解が薄っぺらかった。もっと人生経験をしてから見るとまた違った印象になるのかもしれない。まだ自分には見るのが早かった。
ただ自分が誰に愛されて、周りの人が誰に愛されているのか、これから先の生き方を考えるきっかけにはなった。
ちょっと
価値観がわからなかった。浮き沈みがない話だと思っていたが、以外にダークな部分もあり、そこは見入った。井浦新と高良健吾の二人は蛇にピアス以来な気がして、二人が絡むシーンはよかった。
悼み方はそれぞれ。
今作の鑑賞後にさまざまな評価や原作者のコメントを読んだが、
良い部分と悪い部分が両方向で描かれているような感想を抱いた。
私はやはりこの主人公・静人の行為が完全には理解できない。
死を悼むというのは亡き人の身近にいた人間が行う行為で、全くの
赤の他人が知りもしない人間の為に現地に赴き祈りを捧げるという
のは、(巡礼者ならではの業で)観ていてやり過ぎの感が否めない。
彼の唐突な行為はその真摯な想いを分かり易く伝えてはくれない。
だから彼が不思議がられるのは当然のことで、しかしその行為には
彼なりの確固とした理由が存在し、それが亡き人の魂を平等に悼み、
かけがえのない命の尊さを心に刻んで欲しいというメッセージへと
繋がっていることは素晴らしいと思う。描き方からその両面が観て
とれる感じがした。昨今では不条理で恐ろしく残虐な事件が起こる。
その度にSNSなどで追悼の意が語られ、ニュースやインタビューで
被害者の像が語られ胸を痛めることが多いが、期を過ぎればすぐに
また次のニュースへと関心は切り替わる。亡くなって間もないのに、
それでいいのか?と思う気持ち。いつまでも留まっていてはダメだ、
と思う気持ち。死に対する受け取り方は人によっても様々だ。
人が死ぬことに何も感じない態勢でいることは一番の問題であるが、
過剰な反応で同情賛同を煽る現代の風潮にもかなり異様な面がある。
末期患者の母親は看取らないけど死を渇望する女性の命は助けたり、
真犯人を憎む家族に我が子の愛しい部分を記憶するように促したり、
静人が命と平等に向き合う姿勢は、生死と向き合う面で勉強になる。
ただ、私の持論で「忘れる」ことが弔いになることも付け加えたい。
記憶が徐々に薄れることで悲しみが和らぎ新たな一歩が踏み出せる。
(他人の死を悼むことで生きてゆける静人。母親は理解していたのね)
ちょっと悼まれたいかも。
皆さん書かれているように人により見え方、捉え方がある映画だと思います。
何て書こうか迷う。
良かろうが悪かろうが人は人の繋がりの中でしか生きられない。
説明が難しい…。
描かれてる人の真相が分かる気はします。
けど、どちらかと言うと男性目線なのかな。
もひとつ、ひっかかるものがあるような…感情移入は出来なかった。
言葉で説明するの難しいのですが、女性目線はもう少し違う部分もあるのではないかと思いました。
麻生ユミさんの場面は唯一涙が出そうになったかな。
子と母の気持ちは分かるけど、息子よもうちょっと早く帰ってやってよ。
母ももう少し頑張って待っててよとイチハハとして思いました。
レンタルよりは映画館で見たほうがより色々考えさせられるかもです。
悼む人がワイプ的・・・
主演の高良さんはとてもよかったです。あの脚本の上で、よくこれほど!と思う程に。真摯で、でも人間の弱さや意味不明さもきちんと持っている主人公で。
でも、どうしても、大竹しのぶさんと平田満さん、それに井浦新さんがすご過ぎました。夫婦のシーンは本当、陳腐な言い方ですが、愛に溢れていてました。走って叫ぶような開放的なものではなくて、降り積もってぎゅーっと圧縮された、いぶし銀の愛を見ました。特別目新しい場面でもないのですが、とにかく夫婦役お二人にぐっっと来ました。
そして井浦さん。あれ、映画変わった?というくらい作品の雰囲気というかトーンがねじ曲がります。はっきり言って頭がオカシイ方の役なのですが、井浦さんが演じられると、なんだか神々しくて、驚きました。あと舞台を見ているみたいだなと感じました。
映画全体の感想ですが、みなさんが仰られているように、「悼む」という行為についての言及が甘かったような。
それと、とても個人的な意見なのですが、最後の高良さんと石田ゆり子さんのシーンは、お母さんの言葉どおりですが、もっと違う解釈というか、描き方はなかったかなあ・・・と思いました。
石田さん演じる奈義さん、いつもの流れじゃん!!またしちゃうの!?と突っ込みを入れたくなりました。
勝手に言いましたが、全体ではなく、シーンを切り取るととても素晴らしいところがたくさんあります。流されやすく体をすぐ許す薄幸な女性だけを我慢すれば興味深い映画だと思います。
神々しいだけじゃない、リアルで生々しい人間の物語
ううう、こんなに感想を書くことに対して緊張する映画は稀だ。
見終わってからしばらく時間が経ったけれど、どんな言葉で書けば良いか、どこから書き始めればいいかわからないままでいた。
映画館を出たとき、昨日途中まで見た別の映画を見る気にも、Twitterで「悼む人なう」とか気安く呟く気にも、あるいは、「景色がすごい綺麗な映画だったー」「井浦様のドSっぷりと濡れ場やばい」とか適当なテンションで感想を書く気にもならなかった。
崇高というか、畏れ多いというか。
レビューするなら、しっかりこの作品のことだけを考えて責任を持って言葉を選んで書かなければいけない、というよくわからない義務感に飲み込まれてしまった。
まず、この映画を観るに至ったのは、何よりも井浦様が出演していたから。
モデル出身だけれど物静かでマニアック、日本美術と縄文文化と京都を愛して止まない。
過去に主演作の映画で三島由紀夫の役を演じた際に、その役のためだけに芸名をARATAから本名に戻したというその真摯さは、バラエティーに出演したときも一切ブレない。
「空気人形」「ピンポン」「同窓生」のような凄まじいまでの草食男子から、「実録・あさま山荘事件」のようなバイオレントな共産主義者まで、あらゆる人物を違和感なく演じてきた。
もうそろそろ人間国宝に制定したらいいんじゃないかと思うんだけれど。
とにかくそんな彼が、甲水朔也という「亡霊」をどんふうに演じるのか、すごく楽しみだった。
実際に観てみたら、ただ一言、狂気!
冒頭の「これから殺しまーす」の台詞と目付き、模倣犯が現れそうなほど鬼気迫っていたしサイキックだった。
パンフレットに載っていたインタビューに、役に没入するあまり、多くの作品で共演して親交のある高良健吾とは互いに一度も目を合わせることなく撮影に臨んだと話していた。
どこまで真っ直ぐで一生懸命なんだろう、いやもしかしたら俳優なら誰もがそうかもしれないけれど、俳優以外の彼の顔も思い出すとそのあまりの真摯さにひれ伏したくなる。
井浦様以外で最も印象に残ったのは、静人の「ブレなさ」だ。
いろんなタイミングで「悼む」ことを辞めようと思うことはあったはずなのに、何があっても自分を貫いた。
倖世と別れるとき、旅を辞めて一緒にいられたらとほんの少しでも願っただろうか。
名残惜しそうな表情をしながら、互いに依存せず、済し崩し的に楽な方へ流れず、別々の道を歩む決断をした二人の強さ。
洞窟でのシーンは、賛否両論かも知れないけれど私はすごくいいなと思った。
常に冷静で感情を表に出さない仙人のような静人の中に、辛うじてまだ消えずに残っていた生々しい人間味があそこでついに現れて、静人もやっぱり人間なのだとハッとした。
神々しいだけじゃない、泥臭くリアルに生きている静人と倖世もちゃんと撮ることでこの映画の現実味がぐっと増したと思う。
少し残念だったのが、橋から落ちそうになった幸世を静人が抱き止めるところ。
「生きていたら、あの人の中に残れない」という台詞は幸世の心の声のはずなのに、それが聞こえていたかのように「そんなことをしなくても・・・」と静人が言うのは、やや違和感だった。
せっかくだからもう少し言い合いというか、普段は押し殺している二人の感情のぶつけ合いがあってもよかったなぁ〜と個人的には感じた。
さてここからは原作についてと、自省。
原作を読み終えたときは、感動というよりも「こんなことができる人はすごいな」という驚きの方が大きかった。
同時に、なんだかどうしてもまっすぐに感動することができなくて、心のどこかで「偽善者っぽいな」とちらりと思ってしまった。
どうしてこう、穿った見方しかできないんだろう。
この作品に限らず、泣けると評判の映画を観ても素直に感動できないことが多い。
「感動するとかダサい」とか深層心理的に思っているんだろうか。
もっと若いときは、その捻くれ加減が逆に良く思えて今まで放置してきたけれど、もうそろそろ一般的に良いとされるものを普通に良いと思いたい、という気分になってきた。
そういうわけで、原作を読み終えて何ヶ月も経って、映画を観て、帰宅して、布団に入るまでずっと考えていた。
なぜ「偽善的だ」という感想に逃げるのか。
最終的に浮かんだ一つの答えが、
「もし自分が同じ行為をしたら、それは偽善的でしかないから」
だった。
私には、まず間違いなく静人のような旅をすることはできない。
最初こそ新鮮味があって、人々との出会いが楽しくて、「なんだかよくわからないけれどいいことをしている」という気持ちになって心地よいかもしれないけれど、結局すぐに飽きて、他に興味深いものを見つけて、あるいは他人からの言葉や評価に心折れて、辞めてしまう。
まず、いいことをしよう、というモチベーションの発端がそもそも間違っている。
評価されたい、見て欲しい、がんばっているでしょ私、的なそのエゴが、どんな素晴らしい行為であってもただの偽善的行為に変えてしまうし、私は今までの経験上、そのエゴを完全に封印することはできなかった。
でも、世の中には自分と全く違う考え方や思考回路をしている人もいて、というかそういう人が殆どで、たとえ全く同じ行動を取ったとしても、その感じ方はまるで違う。
「偽善的だ」とは感じない、あるいはそう感じていたとしても「それでもいい」と飲み込んで行為を続けられる強くてまっすぐな人もいるのだと、少し前まで私は知らなかった。
だから、こういう映画を観ると決まって「偽善的だ」と吐き捨てて、そこで終わらせてきた。
この映画について、そこで終わらせずに「なぜだ」と考えるに至ったのは、井浦様が出ていたということに負けないくらい高良健吾の演技が良かったことと、監督や出演者他大勢の製作陣の原作への尊敬というか、丁寧な関わり方がにじみ出ていたからだと思う。
(ドラマ「Nのために」が好きだった理由についても同じようなことを思った)
「愛」「家族」「命」「死」という重いテーマを扱いながら、音楽も、景色も、表情も、台詞も、カメラワークも、わざとらしさや押し付けがましさがなくて、ただ純粋に、謙虚に、その尊さを、それについて考えることの大切さを投げかけてくるような感じ。
勝手な理解ではあるけれど、私なりにその問いかけを受け止めて、適当な感想文は書くまいと決意した結果、こーーーんなに長くなった次第。2109文字だってここまで。論文か笑
いやーーーー
とは言いつつ言わせてもらいますけど、スーツ姿で山中に佇む井浦様、サイコっぽい表情でアヒャヒャと笑いながら倖世をけしかける井浦様、どれもほんと神がかってた!!!!
大満足。賛否両論あろうがなかろうがあたしゃこの映画が大好きだよ!
堤幸彦節が悪い意味で炸裂。
「悼む人」を見ました。
堤幸彦作品は「明日の記憶」以外はあんまり評価してません。ですので、あまり期待してませんでしたが、その予想が的中する形でした。
役者陣は演技に説得力を欠く高良健吾の周りを、椎名桔平や石田ゆり子や大竹しのぶらの実力派が脇を固める、磐石とはいえないまでも強めな布陣。この脇の俳優陣の演技が本当に安心出来て、特に井浦新と大竹しのぶは凄くハマってて感心した。井浦新史上でも最高の井浦新であった。主演の高良健吾の薄めな演技を完璧にカバーしている。
お話として感じたのは、人物背景が説明的な割に、分かりづらい事。キャラクターが行動する時の動機が掴みづらくて、悼む事もそうだけど、序盤を見ていると何か意味有りげな行動も、最後まで具体的な説明が足りていない。高良健吾が悼む事を話しの軸に、いろいろなキャラクターが接触してくるが、高良健吾は彼らを全てスルーして終了。そんな扱いならあの実は同級生にリンチされてた障害持ちの男子高生の御涙頂戴は絶対にいらないでしょう。ラストに高良健吾が実家に凱旋するが、そこでプツリと映画が終わるのも無いなと思った。この仕上げは堤幸彦監督お得意だけど、単に解釈を丸投げされてるようですっきりしない。特にこの主人公のキャラクターならば、あそこからの家族との絡みは必須ですよ。まぁ本当にこの映画を理解して話を飲み込むのは難しいと思ってけど、また見たいとも思わない。
細かい所の意味不明さもかなりある。高良健吾と石田ゆり子がSEXブチかます場面も明らかにおかしい。あそこの高良健吾の豹変ぶりはサプライズの域を超えて、事件だ。高良健吾が急に井浦新を見えるようになるじゃないですか、あんなん見てるこっちとしては理解するのにどれだけ時間が掛かったことか。
総じて、何かを感じ取ることが難しい映画でした。感動もなければ、楽しさもない映画という印象です。
人生経験によって伝わり方が違ってくる作品
「10年後にまた観たい作品NO.1」
坂築静人(悼む人)
全く自分とは関係ない人に対し、その人が誰を愛し、誰から愛されていたかを知り、またはイメージをして思うことにより、確かにその人がこの世に生きていたことを心に留める・・・最初観る前は、宗教かと疑った目で観ていたが、彼が友人の死という不幸に遭遇し、また、その友人の死を忘れている自分に深く絶望し、死に対し、どう向き合うかで自分を取り戻していくという「悼む旅」の経緯を知ることで、悼む人に共感することが出来た。これは、私も似たような経験をしたことがあるから理解できた。人には、悲しい出来事や辛い過去を忘れるという素晴らしい能力を持っている。それは、その人が、辛い過去を乗り越え、未来に向かって生きていく上で、必要な能力なのに、人によっては、時にそれが、あんなに大切に思っていたことを自分はこんなにも簡単に忘れることが出来るのかと自己嫌悪に陥り、深く自分を傷つけてしまう逆効果なものにもなってしまうことがある。それは、人によって考え方や育ってきた環境があるからそれも含めて個性であり、人生観なのだということを経験を通して私は知っている。
この「悼む人」をあなたの目にはどう映っているか。
これこそがこの作品のテーマであり、理解できるかできないかでこの作品の評価は変わってくると思う。そういった意味では、万人受けする映画ではないし、観る人に委ねられている為、置き去りにされてしまう人も出てきてしまうと思う。
ただ、「観る人がどう受け取るか」・・・それこそが映画の面白さであり、人間の面白さでもあると私はこの作品を通して改めて感じることが出来た。
冒頭の「10年後にまた観たい作品NO.1」と書いたのは、また新たな人生経験を積むことで違った見方ができるのではないという期待と、まだ理解できてない登場人物(甲水朔也の思想は未だ理解できず)のことも理解したいと思う気持ちがある為。
まだまだこの作品は、深いと感じる作品だと私は思います。
原作も読んでみたいと思います。
“生きる”ということは狂気⁉︎
見ず知らずの亡くなった人たちを悼むために巡礼の旅をする静人(高良健吾)。悼む行為である「天に手をさしのばし、地を掬うパフォーマンス」は、いったい何のために、誰のためになされてるのか? 家族以外の周囲の人には静人自身が言うように“ビョーキ”のようにしか理解してもらえない。
共に旅することになった夫殺害の奈義(石田ゆり子)のその夫 甲水(井浦新)の狂気も理解しがたい。
特異的な静人や甲水でなくとも、死は誰にでも常に背中合わせにあるもので、必死に生きようとすればするほど、誰しも生きることそのものが狂気の沙汰になるのかもしれない。
甲水と静人が対峙するところは哲学的でもあり深く考えさせられた。また視覚を失った蒔野(椎名桔平)と静人の終末期にある母親坂築巡子(大竹しのぶ)との会話にはこの作品の重いテーマのヒントがあるようで、観る側ひとりひとりの胸に問いかけ、突き刺さってくるかのよう。ずっしりと響いてくる。
実力派の俳優陣が勢ぞろいで、脇役といえどもそれぞれの登場人物のこれまでの人生までもが浮かんでくるほどの一挙手一投足が細やかに演じられていて圧巻。
何より甲水を演じる井浦新さんの狂気の演技は背筋も凍るほどで…。
自然の風景の中で悼む静人の姿や回想場面の幻想的な演出も効いてました。
衝撃的な天童荒太さんの原作+堤幸彦監督の世界観が素晴らしかったです。
原作は直木賞受賞作品ですが未読。
ふと思いたって観た映画ですが、しばらく余韻に浸っていろいろ深く重く考えさせられることになりそうです。
人の数だけ生があり、人の数だけ愛があり、人の数だけ死がある
直木賞を受賞した天童荒太の同名小説の映画化。
小説でも漫画でもあまり原作を読む習慣は無いが、この小説は非常に興味惹かれ、密かに映画化を待ち望んでいた。
舞台化を経て、舞台と同じ堤幸彦監督の手によって遂に映画化された。
まずはその堤演出に驚かされた。
良く言えば個性的、悪く言えばふざけた演出が特徴だが、トリッキーな作風も笑いも一切ナシ。
真摯な演出に、堤幸彦の本気度を感じた。
亡くなった見も知らぬ人々を悼む為、全国を旅して回る主人公・静人。
なかなかに理解し難い行動。変人のようにも思えるし、今の世なら偽善者とも言われそう。
何故こんな事をするのか、こんな事をして何になるのか。
きっかけは友の死と、その友の死を忘れてしまった事。
生きて、愛し愛された記憶を忘れず、心に留めておく為に。
人の死を悼むと言う事は、それだけ人の死と向き合う事でもある。
全員が温かく見守られて死を迎えた訳じゃない。
辛い死、悲しい死、不条理でやりきれない死もある。
いじめで息子を殺された両親のエピソードがあった。
真実を歪曲され、訴えようにも訴えられない。
しかし、たった一人に死者の本当の姿を知って貰えるだけでも残された人々は救われる。
加害者や不条理な社会ばかりを憎んでいたら、死者は二の次になってしまう。
おそらく自分には無理だろう。だからこそ、響いたシーンと台詞だった。
高良健吾が抑えた演技と佇まいで静人を好演。悩みながらも旅を続ける誠実さを体現。
静人の旅に同行する倖世。ある理由から夫を殺し、文字通り夫の亡霊に苦しむ。愛と救いを求める薄幸の女性を、石田ゆり子がキャリアベストの熱演。
二人を取り巻く面々を実力派が揃い、名演を見せる中、とりわけ、末期癌と闘いながら静人へ無償の愛を捧ぐ母・大竹しのぶ、静人との出会いによって心情が変化する俗悪記事専門記者・椎名桔平、倖世の異常な夫・井浦新の怪演が印象的だった。
思ってた以上にヘビーな内容。
DV、殺人、孤独死などキツいシーンも多い。
救済するかのように美しい映像と音楽。
人の数だけ生があり、人の数だけ愛があり、人の数だけ死がある。
自分のこれまでの人生の中で、またこれからの人生の中で、どれだけの生きた証しと愛の記憶を忘れず留められるか。
全23件中、1~20件目を表示