劇場公開日 2014年8月23日

「もう一度見直そうよ、日本の「芸」をね」もういちど ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0もう一度見直そうよ、日本の「芸」をね

2014年9月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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幸せ

こりゃあ、ちょっとねぇ、客に親切すぎるんじゃないかい?
説明し過ぎるってぇ言いかえてもいいね。
江戸っ子ってぇのはねぇ、野暮ってのを一番嫌うんだよ。
人情話の、はんなりしたオチを、それとなく、客の心に、じぃ~んとひびかせる。それが江戸落語の「粋(いき)」ってぇもんじゃないのかねぇ~。
などと関西人の僕が、したり顔で言うまでもなく、本作はお江戸を舞台にした落語の映画でございます。
どうやら、この「分かりやすさ」「親切さ」というのは、本作を企画した、林家たい平師匠の狙いでもあったようです。
「夏休みの子供たちに、古典落語に親しんでもらいたい」という意向があったようです。
と言う訳で、この物語、子供たちにもお話が身近に感じられるよう、主人公も少年に設定してあります。
年季奉公中の貞吉少年。彼の目線で物語は語られてゆきます。貞吉少年はまじめなんだけど、いまいち気が弱く、引っ込み思案で、奉公先でもいじめられたりする。このあたり「ドラえもん」の「のび太君」みたいな感じです。
さて、奉公先から、いったん親元に帰ってきた貞吉少年。彼は最近同じ長屋に引っ越してきた元噺家さんと親しくなります。「のび太君」と違うのは、貞吉少年は噺家の「たい平」さんと親しくなってゆくにつれ、自分も「落語がやりたい」「噺家になりたい」と思うようになる事です。
「いいかい? 貞吉。噺家になるってぇのはね、並大抵の努力じゃ、なれないんだよ」と教え諭す、師匠役のたい平。
「それでも僕は落語をやりたいんです。僕をお弟子にしてください」
まっすぐな目で師匠を見つめる貞吉。こうして、たい平師匠と貞吉の落語修行が始まるのです。
本作の舞台である、江戸の下町。長屋の風景。その作り込みがいいですね。ちなみに美術監督は種田陽平さんが担当。
 江戸の庶民がどんな暮らしをしていたのか? どんな食事をして、どんな服を着て、どんな部屋に住んでいたのか? お江戸の庶民文化が「子供たちにも分かる」形で表現されてます。
 たい平師匠が、貞吉に稽古を付けてあげるのは長屋の一室です。当時の長屋の壁は薄いし、出入り口は、紙を貼った引き戸一枚。部屋の声は外へ丸聞こえ。
長屋に住むみんなはお稽古の様子に興味津々。こっそり聞き耳を立てています。そういう長屋の濃厚な人間関係が、江戸っ子の習性なんでしょうね。
 本作では、ストーリーの中に随所に落語のエピソードが仕込まれてありまして、普段落語に興味のない大人でも、気軽に楽しめるようにしてあります。
まあ、木戸銭貰って自分の芸を売る。その芸が「売り物」にまでならなきゃ、客は木戸銭払ってくれない訳です。
そういう意味では、江戸落語の大御所、三遊亭金馬師匠がスクリーンに登場しただけで、その佇まい、雰囲気で落語の世界に引込んでしまう。やっぱり年季の入った人物の芸と言うものは大したもんだなぁ~、と思いましたね。
あたしゃ、関西人なもんで、どうしても上方落語の方に興味があります。時々図書館で、桂米朝師匠の落語のDVDを観たりしてます。
落語を聞くきっかけになった「はてなの茶碗」
こんなに深い、哲学的な内容のある「芸」ないしは「芸術」であるとは思いもよりませんでした。それに、普通なら人を怖がらせるための「地獄」の描写を「笑い」に変えてしまう「地獄八景亡者の戯れ」も凄い。冒頭の「まくら」と呼ばれる部分なしで、実に1時間10分を超える大作です。昔の人はよくこんな凄いお話を作ったもんだ。
ところで、落語っていうのは、日本オリジナルの「話芸」じゃないでしょうかねぇ。
「映画」は、元々はフランスのリュミエール兄弟の発明ですしね。今、大手を振って日本の「本流」みたいな顔をしている、文化や芸術は、そのほとんどが「外国の物まね・亜流」になってませんかね。
たかが「落語」っていいますけどね。こんなオリジナルな「芸」を、今の日本人、だれか「発明」してますかね?
やってませんよ。ぜんぶ外国の真似。
「落語」に限らず、日本オリジナルの伝統、職人技、芸術。もっと大切にしても、よろしいんじゃございませんか?

ユキト@アマミヤ