カップルズのレビュー・感想・評価
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キスは不吉ではないよ。
ついこの間、家族で台北を中心に台湾旅行をしてきた。ここは食事も街歩きも気軽に楽しめる本当に素晴らしい国だと思う。30年も前の映画だが「この国がいつか世界の中心になる」とイギリス人が言っていたが、まさに今の台湾は半導体産業が勃興しとにかく勢いがある。中国の横暴で台湾が香港のようににならないことをひたすら祈っています。
1990年、急速な発展をしてきた台北を舞台に4人の無軌道な若者の生態を描く物語。インチキ占いやら金持ち女への誘惑等で大人を騙し、捕まえた女性は共有するなどとんでもないガキどもに何の感情も湧くことはないが、社会が生み出すゴミのような存在は古今東西何処にでもいる。
そんなガキどもでも、悪徳実業家の父親がヤクザに追われ愛人と心中すればその息子のレッド・フィッシュは悲しみに暮れ父親のかつての仲間のおっちゃんを殺す。こんなゴミのような日々に疑問を持ったルンルンはフランス人のマルトに恋心を抱き、彼女を助け、ラストシーンでは抱きしめてキス(不吉なキスではない)をすることができた。
有名なエドワード・ヤン監督の作品を初めて観た。他の作品も観てみて研究してみたい、。
この映画の魅力は、そのとてつもないエネルギーに尽きる。
本作が、私のお気に入りの「エドワード・ヤンの恋愛時代」に続く「新台北3部作」の第2弾であることを知らずに見てしまった。迂闊なことである。しかも、同監督による「牯嶺街少年殺人事件」の続編であるという。こちらを予め観ていれば、感想は変わったのかもしれない。
舞台は、1996年の台北、バブル経済下の辺縁で、その恩恵にあずかろうとして、己の持っている能力と体力の全てを使って生き抜こうとしている4人の若者が共同生活している。内容的には、欺瞞と詐欺に満ちてはいるが。それでも、彼らの生活の根底には、いくつか特徴があった。
一つは儒教、特に4人のリーダー、レッド・フィッシュの父親と母親に寄せる思いに明らかだった。これは、もちろん脚本を書いたエドワード・ヤン監督の意向だろう。
台湾の人たちが、風水に弱いことも顕著だった。4人にうちの一人、トゥース・ペイスト(リトル・ブッダ)は、それにつけ込んで、ニセ占いで稼いでいる。
さらに目立つのは、すでに台湾の経済に惹かれて多くの外国人たちが入り込んできていたことだ。ロンドンで食いはぐれた室内デザイナーのマーカス、一人でマーカスを追ってきたフランス娘のマルト、一度は、マルトを仲間に引き込もうとしたアメリカ人女性のジンジャー。しかし、彼らは、所詮、台湾の上を通り過ぎるだけに過ぎない。それにしても、最後にマーカスが言う「100年後、世界の中心はここだ」と言うのは、正しそうだが。
前作が、どちらかと言えば、上流階級の子女による日本のトレンディードラマのような味付けで、ユーモアがあったのに比べ、こちらは、香港映画のようなバイオレンスがらみ。それは、設定がそうだからと言えば、身も蓋もないが、主人公のレッド・フィッシュがそれに苛立っていた。それもヤン監督の考えを反映しているのだろう。それがなぜかは、私にはわからなかった。ただ、レッド・フィッシュが帰るべきところは、明らかなように思われた。
世紀末の台北は 「台北サラダボウル」 そんな街を漂流する若者たちの行き着く先は
原題は”麻將 Mahjong” 4人が卓を囲んでやるあのゲームです。本篇中に実際にマージャンを打ってるシーンは後半に端役に近い4人が卓を囲んでいるのが数秒あるだけですが(中華文化圏外の出身と思われる人がメンツに入っていて「国際マージャン」の様相を呈していました)、ヤン監督は4人というのにはこだわってるような感じです。物語の中心にいる、台北を漂流している感じのギャングもどきの若者たち(少年たちと呼んだほうがいいかも)はそれぞれレッドフィッシュ、ホンコン、トゥースペイスト、ルンルンと呼ばれている4人組ですし、また、拉致した側2人とされた側2人の計4人とか男1人をからかう女3人組で計4人とかの4人で1シーンの画面作りをしている場面も多いです。特に序盤のカフェバーみたいなところで国籍がバラバラな4人がテーブルについておしゃべりしているシーンはテーブルの形が真四角なこともあり、多国籍マージャン大会のよう。世界からいろいろな人々が欲につられて集まってくるサラダボウルのような台北での生存競争は、自分の手についての構想を練ったり、ライバルの手の内を読んだり、はたまた機先を制するためにリーチをかけたりするマージャンのようだということなのでしょうか。
さて、ギャングもどきの4人組なのですが、ヘタなマージャンの打ち手が危険牌をどんどん切っていくみたいな感じのかなり危なっかしい世渡りをしております。4人の中では物語上での役割が古典的かつ明確なふたり、すなわち二枚目/色男の役回りのホンコン、トリックスターの役回りのトゥースペイストですが、それ以外のふたり、レッドフィッシュとルンルンを中心として話が進んでゆきます。レッドフィッシュは4人の中ではリーダー格で、人間には2種類しかいない、それは悪党とバカだという信条のもと、自分は悪党でバカを搾取する側だと思っているフシがありますが、客観的に見れば悪党よりもバカ寄りな感じで、成功−没落のローラーコースターのような人生を歩んできた父親との関係も微妙です。ルンルンは4人の中では新入りでレッドフィッシュに通訳兼運転手として便利屋扱いされていたのですが、台北に流れ着いたフランス人女性のマルトが4人の前に現れると仲間との関係が微妙になってゆきます。
そんなこんなでストーリーが展開されてゆくわけですが、登場人物たちは総じて根なし草的で漂流感が半端ないです。地に足がついておらず、ただ台北のもつ妖しい磁力のようなものだけで街に引き寄せられてる感じです。
それにしても、物語序盤に「台北は恋が実る街じゃない」という意味深なセリフを入れ、レッドフィッシュの父親のあの件で、台北で恋を実らせるというのはつまりこういうことなんだよと示しながらも、ラストにあれを持ってくるなんて、まるでカラカラに乾いた砂漠のその先にオアシスが現れたみたいじゃないですか、人が悪いな、ヤンさん、ずるいよ(褒めてます)。まあでも、そのオアシスも蜃気楼のように消えてなくなることもあるわけで。そんな儚い漂流感を含んだ空気が流れる中、20世紀末の台北の夜は妖しく更けていったのでした。
4Kレストアにて大傑作が再登場
少なくとも日本国内では、円盤が生産終了しており、配信もされていない。(「海辺の一日」と「カップルズ」以外はレンタルでどうにかなる。)
※今はユーネクストで「エドワードヤンの恋愛時代」「クーリンチェ少年殺人事件」が再追加されているようだ※
海外版や海外の劇場で観る以外にどう見ているんだろう‥?という感じだったのだが、今回やっとこさ劇場で公開された。(某動画配信プラットフォームNでは同名で丸ごと上がっているので、そこで違法視聴しているのだと思う人もチラホラ。私も軽く調べて出てくるレベルだから相当いそう)
7作しかないエドワードヤンの6作目だけども、「光陰的故事」からテイストは変わらず、台湾の時代的背景と家父長、恋愛(特に悲愛が多いが、後半は混ざってくる)、コメディ暴力が混ぜられる構成となっている。
登場人物を先出しして、観客に人間関係を台詞と雰囲気で察しろと突きつけてきて混乱させる作品も多い監督だけども、今作は非常に丁寧でボーっと観ていても物語を把握できる。
ハイライトはレッドフィッシュの例のシーンだろうか、一気に画面内の緊張感が上がり、固唾を飲むが、これでも事前に配色で警告してくれているのが親切心の塊。
これを観て、最近の映画は説明過多すぎますよねぇ~と感じたところ。
乾いた街をゆく少年たちのハードボイルドストーリー
チーマーという言葉が日本でよく使われたのは80年代だったか。エドワード・ヤンは本作に先立つ2年前に、経済的台頭著しい台北の街を舞台として、日本のトレンディドラマをそのまま移植したかのような空虚な恋愛劇を「恋愛時代」で描いてみせた。本作では「牯嶺街少年殺人事件」の主人公たちが成長し、チームを組んで小悪事を企む姿が描かれる。先行レビューには「外国資本に取り込まれる台湾社会の混迷と混沌を表現した」というものもあったが、いわゆる東アジアの四昇竜のひとつである台湾では独自の資本が形成されつつあった。(終盤、英国人であるマーカスとフランス人であるマルトが「10年後にはこの街は世界の中心になる」と言っている。これはその通りになった)本作が基本的に明るく、閉塞感が感じられないのはそのような発展期にあったからにほかならない。
光があれば闇も生まれる。だから資本拡大の裏にはダークビジネスも形成される。少年たちの志もそこにあった、でもやっていることは如何にも素人臭く、やはりというか、挫折することとなる。
少年たち(彼らだけではなく彼らの周辺の人物も皆そうだが)の自信のなさはショットにも表れている。この作品では、人物のアップがほとんどない。会話のシーンも切り返しがない。常に画面には2人以上の人物が配置され、会話をしている。あたかも麻雀のシーンを固定カメラで撮影しているかのように(原題はここから来ていると思われる)。つまりこれは登場人物それぞれが意思が弱く内面が薄っペラいことを観客に感じ取られないための仕組みである(逆にいえば、薄っペラいことを伝えるためである)
だから、最後のシーンで、ルンルンとマルトが雑踏の中で抱き合うところ、ここだけに切り返しのショットが使われていること。それが真実の愛であることがよく分かる。そしてエドワード・ヤンという人は基本的に詩情溢れる人であり彼が溜めに溜めてこのシーンを撮ったことが伝わり感動するのである。
経済成長を遂げて多国籍街となった首都・台北での4人の青年ギャング団とフランス人女性との邂逅と恋愛、思春期特有の大人たちへの反抗と抗いが丁寧に描かれています。
台湾の巨匠エドワード・ヤン監督の<新台北3部作>の第2作『カップルズ』(1996)が30年の時を経て4Kレストア版にてリバイバル上映中。TOHOシネマズシャンテさんにて鑑賞。
『カップルズ』(1996/121分)
台湾映画といえば『非情城市』(1989)の侯孝賢監督(ホウ・シャオシェン)と本作のエドワード・ヤン監督一連の作品が真っ先に頭に浮かびますね。
作風も香港や韓国映画のような激情がほとばしる作品は少なく、心の機微を丁寧に描くピュアな青春映画が多い印象ですが、本作も経済成長を遂げて多国籍街となった首都・台北での4人の青年ギャング団とフランス人女性との邂逅と恋愛、思春期特有の大人たちへの反抗と抗いが丁寧に描かれています。
雑多で熱量を感じる台北の街並みも良いですね。
本作以降、ウォン・カーウァイ監督作品の常連になった張震(チャン・チェン)の瑞々しい演技も見どころに一つですね。
“外国資本に取り込まれた台湾”というアレゴリーを読み取る事もできるが…
「嗚咽しながら泣きじゃくる台湾の青年たち」と「ストレンジャーとしてのイギリス人男女とフランス人女性」という対比的な構図が鮮明だ。
原題は「麻將(mahjong:麻雀)」である。外国資本によってシャッフルされる台湾社会の混迷・混沌を暗示しているのかもしれない。“外国資本に取り込まれた台湾”というアレゴリーを読み取る事もできるが、だからといって素晴らしい映画だとは思わない。
「エドワード・ヤンの恋愛時代」でもそうであったが、“語り手の視点からの幕間のコメント”みたいのは無粋であると思う。
結局、ショット・色彩・カメラワークのセンスが良い映画作家というだけで実際以上に評価が高いのでは…とも思ってしまう(「牯嶺街少年殺人事件」は別格だが)。
一方で、そのような“外国資本に取り込まれた日本”に意識的な日本映画があるかというと思い当たらないので、やっぱりある程度評価できるのか…ん---微妙…。
不吉をぶっ飛ばすラストシーンに喝采!
ピンク色のベンツ
無理
なんてことない作品なんだけど面白かった。
都市の光と影。
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