劇場公開日 2025年4月18日

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「乾いた街をゆく少年たちのハードボイルドストーリー」カップルズ あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 乾いた街をゆく少年たちのハードボイルドストーリー

2025年4月20日
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鑑賞方法:映画館

チーマーという言葉が日本でよく使われたのは80年代だったか。エドワード・ヤンは本作に先立つ2年前に、経済的台頭著しい台北の街を舞台として、日本のトレンディドラマをそのまま移植したかのような空虚な恋愛劇を「恋愛時代」で描いてみせた。本作では「牯嶺街少年殺人事件」の主人公たちが成長し、チームを組んで小悪事を企む姿が描かれる。先行レビューには「外国資本に取り込まれる台湾社会の混迷と混沌を表現した」というものもあったが、いわゆる東アジアの四昇竜のひとつである台湾では独自の資本が形成されつつあった。(終盤、英国人であるマーカスとフランス人であるマルトが「10年後にはこの街は世界の中心になる」と言っている。これはその通りになった)本作が基本的に明るく、閉塞感が感じられないのはそのような発展期にあったからにほかならない。
光があれば闇も生まれる。だから資本拡大の裏にはダークビジネスも形成される。少年たちの志もそこにあった、でもやっていることは如何にも素人臭く、やはりというか、挫折することとなる。
少年たち(彼らだけではなく彼らの周辺の人物も皆そうだが)の自信のなさはショットにも表れている。この作品では、人物のアップがほとんどない。会話のシーンも切り返しがない。常に画面には2人以上の人物が配置され、会話をしている。あたかも麻雀のシーンを固定カメラで撮影しているかのように(原題はここから来ていると思われる)。つまりこれは登場人物それぞれが意思が弱く内面が薄っペラいことを観客に感じ取られないための仕組みである(逆にいえば、薄っペラいことを伝えるためである)
だから、最後のシーンで、ルンルンとマルトが雑踏の中で抱き合うところ、ここだけに切り返しのショットが使われていること。それが真実の愛であることがよく分かる。そしてエドワード・ヤンという人は基本的に詩情溢れる人であり彼が溜めに溜めてこのシーンを撮ったことが伝わり感動するのである。

あんちゃん