ハーモニーのレビュー・感想・評価
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ストーリーは国家による生命の管理を『悪し』と考えている。(あれ?)...
ストーリーは国家による生命の管理を『悪し』と考えている。(あれ?)しかし、それは生きる為の管理。そして、その影響で自ら死を選ぶ権利すら奪われているとしている。(あれれ?)つまり、曲解すれば、死を他者に決めて貰いたい。って事になるが。それで良いのだろうか?
彼の作品で良いのは『映画のレビュー集』かなぁ。
このアニメはCG丸出しで、良い所はあるのかなぁ?
まぁ、『おもてなしのお国』なので、全部『裏』と言う事。つまり、裏を返せば、スカスカの出鱈目社会と日本を予測している。そんなふうに思う。そんな解釈をしなけりゃいけないのかなぁ?
しかし、
アニメは制作会社の思惑がいっぱい詰まった映画になっている。趣旨はアニメと原作は同じなのかもしれないが、原作には死を前にした思いが、文章に込められていたのかもしれない。しかし、残念ながら、感動までは至らなかった。そして、まだ、生きている僕には、その当時の気持ちは今でも維持されている。
たとえ、世界がどうにかなっちまっても、自分は生きていたいと思っている。死ぬまで思い続けるだろう。
彼女が最後に選んだものは
「管理社会」というのは,SFというジャンルにおいて定番とも言えるテーマだ.
人々はその一挙手一投足を何者かの目の下に晒され,行動は,その行動を司る「意識」は,自ずと抑圧される.
『ハーモニー』が描くのは,「健康であること」が究極の善とされ,それを維持するために隅々まで管理の行き届いた世界である.
その「社会」に反発し,自死を試みた3人の少女がいた.舞台はそれから13年後.
3人の少女,もとい「同志」のうち,ひとりは自死を遂げ,ひとりは「社会」に順応し,そして主人公である霧慧トァンは,自らの時を止めたかのように,小さな反発と逃避を繰り返す日々を送っていた.
あるとき,ちょっとした切欠から,トァンはかつての同志,零下堂キアンと再会する.
しかし,再会は平和裏に終わらず,二人が食事をともにした日,キアンはトァンの目の前で自らの命を断ってしまう.それは,同時に数千人が自死を遂げた,「健康」を揺るがす事件の一部であった.
トァンは「管理社会」の主幹のひとつ,WHOの「螺旋監察官」として,この事件の捜査に当たっていた.主犯者からの「隣人を殺せ」というメッセージが全世界に配信されたことにより,世界は混沌を深める中,トァンはかつて姿を消した自身の父,霧慧ヌァザと,亡くなったはずの「同志」,御冷ミァハが事件に深く関与している可能性に行き着く.
父とミァハは,ヒトの「意識」を制御するプログラム,「ハーモニー」を巡って対立関係にあった.
「管理社会」技術の生みの親である冴紀教授によれば,「意識」とは,様々な欲求が利己的に振舞う中,脳の報酬系と強く結びついた行動を選び取る仕組みなのだという.それが「わたし」を「わたし」たらしめているのだという.
父のグループが開発し,そして半ば凍結していた,意識を制御することの副作用としてヒトの「意識」を失わせるプログラム,「ハーモニー」を,ミァハは起動させるべく動いているのだった.
トァンは困惑する.ミァハはかつて,「管理」の下で自分を失うことを憎悪し,自死を図ったのではないか.そんな彼女が,「意識」を消失した社会を望むのだろうか,と.
トァンはミァハに接触すべく,「管理」の届かない地域へと足を延ばす.
ミァハはトァンの接触を予期していたかのように,トァンに山奥のある施設に単身で来るよう指示を出していた.
トァンは遂に,ミァハと接触する.
ミァハはかつて共に自死を願ったそのままの姿で,自身の壮絶な過去を告げ,そして,全人類が「意識」を失うことを望んでいことを,彼女は否定しなかった.
トァンは選んだ.ただ,かつて彼女が愛したミァハが「わたし」を失うことを.
「わたし」を失うことなく,その生涯を閉じることを.
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『虐殺器官』の劇場版をみた次に,この映画を見た.
本当に,これだけの作家が早くに亡くなったことは,個人的な感情として耐えがたいものがある.
『1984年』から30年以上の時を経た今,私には「管理社会」はフィクションのものだけと言い切る自信がない.事細かな行動から身体の成長まで,集権的な「何か」に掌握された社会で,私たちはどうして「わたし」を保つことができるというのか.「わたし」の意思決定には,常に監視の目が介入してくる.監視の存在を意識せずに,「意識」を保つことなど不可能になる.
……あれ? いまの社会って,本当に「わたし」を保つ自由を保証してくれてなどいるのだろうか.
集権的な「何か」でないにしても,私たちの「意識」は少なからず,それどころか,かなりの部分が他者の目の支配を受けているのではないか?
ごくごく近い某国では,「信用スコア」なる,管理指標が現実のものとなりつつあるのではないか?
著者は明確に,「意識」とは何かという問いを読者(視聴者)に投げかけている.
「わたし」が「わたし」であることを善とするのは,言うまでもなく,自由主義のイデオロギーを持つ者の価値観である.歴史を遡れば,家族主義が善とされた社会の残滓はごく身近に感じられるし,国家主義が善とされた社会も確かに存在していて,それは相対的なものに過ぎない.
それでも私が自由を愛するのは,自由であるからこそ自由を疑う作品を楽しむことができ,そして,自由を疑うものすら愛することができることである.
自由主義社会は,それを疑う者すら受け入れる懐の深さを備えているというただ一点において,それが仮に何らかの意味で非効率であったとしても,尊重する価値があるものだと私は信じている.
マイナス1点しているのは,原作小説をちらっと見た限り,削られているやりとりが相当にあること,そして,肝心の彼女の最後の行動が,映画とは違う動機に根差している可能性があることである.
原作主義者ではないし,映画は映画で違和感なく見ることができたのでおおむね満足はしているものの,原作から入った場合には違う印象を抱いた可能性がある.特に,結末が少なからず曲がっている可能性を感じてしまったので,1点マイナスとした.
色々と考えてしまいました。問題作。
言わずと知れた2010年度フィリップ・K・ ディック特別賞受賞作品のアニメ映画化作品。
伊藤計劃による死の病床からの渾身の衝撃作。
彼は絶対死ぬ気が無かったと思う。
これ書きながら生き残る準備をしていたと思う。
人類にとっての健康とは何なのか?
人類にとっての本当の病魔とは一体何なのか?
それを知りたければまずはこれでも観て思い知れ。
泣きました〜
論文で伊藤計劃さんを書こうとした矢先、丁度いいタイミングで映画化。
文学やSFなんて全くわからない、ましてや原作なんて読んでるはずもない彼氏を引き連れて行ったのですが、私より彼の方が泣いてました。
中盤までは確かに説明ばかりで、もったりした印象はありましたが、原作を知らない人でも充分楽しめたのではないでしょうか。
個人的に、原作よりも映画の方が「復讐」よりもミァハへの「愛」を推している様でしたので好きでした。
けれど本当は計劃も「愛」を描きたかったはずなので、ラストで「復讐」を持ってこなかったのは制作陣営のナイスな選択だったと思います。(原作は何で復讐にしたのでしょうね。早川さんに動機を分かりやすくしろ!って注文でもつけられたのでしょうか)
綺麗だし、とても素敵な作品だと思いますので友人にも是非お勧めしたいです。
良い映画
一人の女の子が自殺する話
終始丁寧にその世界観と人物の所作を描かれていた。小説での表現を上手く映画という媒体に落とし込まれていた。そして、物語は原作とは少し異なった結末を迎える。これは映画の作り手の考える、ヒトの意識を示したものではないだろうか。映画におけるハーモニーは、トァンの引き金を引く理由が違うだけではない。映画の製作者の考えそのものをどう思うかは個人によるが、原作に忠実な流れも実はその結末へ至るべく演出されている。
正直、説明不足という批判は的外れにも程があるものだ。それほど丹念に作品の細部まで描かれている。最後で台無しという批判も同じだ。全編通して一貫性を持っている。
屍者の帝国が序盤から異なる物語の流れへと足を踏み入れながら、半端にも原作の言葉を使い、綻びを無視して原作と同じ結末で終わらせたのとは対照的だ。
伊藤計劃の小説をもととしながら映画としての独自性を持った良い作品だ。
伊藤計劃の遺作ということで期待しすぎたかな
私は伊藤計劃という人物をこのproject-itohで初めて知ったほどSF作家には疎いほうです。日本のSF文学に多大な影響を残した夭折の作家が病床で描き上げた作品が今作<harmony/>だと調べてわかりました。
伊藤計劃をまったく知らない私がなんで今作を北海道からわざわざ東京まで行って(もちろん別の用事がメインではあるのですが)視聴したかというと監督のなかむらたかしさんの大ファンだからです。日本のアニメーター界の至宝がスタジオコロリドに落ち着きショートムービーの「寫眞館」を発表後、体制安定後初の長編映画の指揮をマイケル・アニアスとの共同監督として参加したと聞いちゃあファンとして黙っておられません。めちゃくちゃ期待して観に行きました。
今作のPVはそんな私の期待を高鳴らせる良い出来だったと思います。
本作の冒頭は白いモニュメント、人類の生存管理システムである<メディケア>のWatchMeのサーバーだと思われるその表面にプログラミング言語として記述され、メモリーされていく様子から始まる。ある程度の前知識ある人はこのストーリーはエピローグから始まっていることを理解できるし、できなくても中盤でのトァンの心境の独白が過去形だったことから「終わった物語」をトァンの視点から「記述」されたものをソースにそれぞれブラウジングしている物語という理解を得ることになると思う。
原作が小説で、且つこのような構成から物語は一人称、独白、ナレーションで説明くさい。原作は未読だが、これだけのprojectが動くほどの作品であるならば当然、言葉巧みに描写されているのだろうと想像できる。問題はそれをどう映像化していくかというのが恐らくproject-itohの肝なのだが<harmony/>においては総合的に見ると失敗しているねというのが私の見解だ。
冒頭の裏取引からのWarBird撃退戦、中盤のインターポールとの市街戦、これらの戦闘シーンにおいてさえ没入感が足りなかった。どちらも脅威が感じられず、予定調和のようにさえ思えた。
極端な管理社会である<生府>の世界、それと外の世界である<トゥアレグの民>の対比も唸らせる演出はなかったように思える。場面比率は圧倒的に<生府>のシーンが多いためか、終始閉塞的な、それでいて陳腐な空気感は終盤まで続き私の視聴意欲を削っていく。
途中から私はなんでこうなったんだろうと内向的に思考するようになってしまった。周りの観客の反応まで気にしだす始末。結論としては原作に忠実なんだろうと考えた。原作に忠実に作ったらこうなりましたってことなんだろうと。そもそも伊藤計劃という人物が書き上げたストーリーをそのまま真っすぐ素直に<harmony/>に綴られた言葉をコンテクストをそのまま読み解いてはいけない。
病床の縁で描き上げられた作品は単なる生命倫理への問題提起に留まらず作者の慟哭を伝えるメディアなのだ。本作は商業的に作られすぎた。そう結論する。
中盤から終盤にかけて私は伊藤計劃の創作意欲の源泉に関して探るために本作を視聴した。僅かな生存率に掛けて非人道的とも言える多くのものを失うであろう終末期の抗癌剤治療を続けながら書き上げた本作の行間を読み解こうとストーリーにセリフに傾聴する。しかし特に特筆すべき主張というものを汲みとることは出来なかった。そんなもんだろうと思う。伊藤計劃はどちらかというとトァンよりもミァハ寄りだと思うし、自我に拘泥するわけでも自我が深層心理で共有化されることを願ってるわけでもなく我欲に忠実だったんだろうと思う。そうであれば本作はもっと衝動的に展開されるべきだった。もっと勢いというものを、直感的に創造してもよかった。
本作におけるキャスティングは見事であったしメインの3キャラは素晴らしかった。沢城みゆきさんは舞台挨拶の動画で初めてみたけどネットの評判よりも全然美しく落ち着いてて、あれだったらもうちょっとトァン魅力的になるんじゃねって思ったほどだ。それでも本作のイチオシはやはり御冷ミァハなんだが終盤のシーンは大好き。もっと官能的で美しく視聴者にも恍惚を感じさせれたらそれだけでこの作品には星5与えたいほど。生々しく欲情に任せた自然な美しさに狂気をプラスってまあ映像化していいのかっていう問題もあるけどこれに挑戦できる下地ってのを私はなかむらたかし監督に期待しているんです。
もっとなかむらたかし大事に使えよって言いたい作品でした。
主題歌の「Ghost of a smile」も今の自分の心情に沿っているタイムリーな綺麗な歌なのでネットで落とそうかと思います。
総合的に残念な出来ではあったけど、ところどころ流石と思えるシーンも多く、評価が難しい作品ですね。せっかくだから原作も読んでみたいと思いました。
意識-意思=気≒木→木偶の棒
「大災禍(ザ・メイルストロム)」と呼ばれるその事件の後、世界は新たな組織「生府」によって統治されることになった世界。
※以下はネットで調べて下さい。
自分のような学力の劣っている馬鹿には、かなり難解なストーリーである。元々SF小説だから、分からないところ、不明なところは読み返してみたり、語彙を調べてみたりしてから徐々に理解してくるのだろうが、なにせ映像はドンドン先に進んでいく。当然だし、だからこそ小説を一読してからではないとおいてきぼり感に満たされてしまうことをひしひしと感じた。とはいえサイバーパンクが激しく香り、とても興味をそそられる内容ではある。
小説未読の観客から言わせれば、話題に上がっている『ラストシーン問題』は、あまり気にならない。当然なのだが、どっちが正しいかは観客それぞれの気持ちでいいのだとおもう。自分としては、そもそも思春期にある女子校特有のステレオタイプ的な関係性みたいなものをベースにしているのだから、あいいう結末が自然なのだろうと思うのだが。父親よりも愛する女性に想いを抱くのは仕方がないこと。
画面いっぱいに彩られるピンクのトーン、そして街はまるで毛細血管に覆われた肺のようなデザイン。人間の体内で起こっているかと錯覚するような、メタファーを含んでいる演出を感じさせた。
今年見たアニメでは最高な出来栄えだと感じる。
個人的には、ハーモニープログラムを発動させて貰って、人間を捨てたいけどねw
あぁ、まぁ、うん
おおよそ原作準拠でよかったと思うが同性愛描写が強すぎです、原作にないのにあえてそういう描写をなぜ盛り込んだのか不思議に思います。
主人公の心情描写だったり世界設定なども説明不足感があったので、トァンとミァハでイチャイチャしてないでそっちに時間割いて欲しかったですね。
後半からのラストシーンもなかなか良くわからないです、どうしてそうなったのか。
最後のトァンのセリフのおかげ(原作にはない)でトァンがただのわがままメンヘラ女になっちゃいました。原作読んだ私は「何言ってんだ?」と思いましたし同行した原作未読の友人も「心情描写が足りない」と言っていましたしまぁ微妙でした。
ラストで銃を撃ったあとのコーカサスでの話もバッサリいかれましたし、これはトァンの物語をテクストで抽出したものであるという要素も説明が足りない気がします。原作とは異なりますが不都合はないのでもう無くしても良かったんじゃないですかね…。
雰囲気映画としても微妙だし脚本重視な知的映画としても微妙です。
どうせならどちらかに振ってほしかったです。
あ、ざっくり見れば面白いですよ。掘り下げて考察しようとすればもやもやします。
この世界が気になる方は映画を観たあと原作読んでください。そのほうがよほど納得できると思います。
<archive:title=harmony>
<etml>
<meme>
屍者の帝国は、あえて原作とまるで違う世界観を構築することで物語を「語り継ぐ」スタイルに徹していた。これは賛否両論あったし、正直説明不足な内容ではあった。
このハーモニーは、出来る限り原作通りで、暗転して展開が飛んで、というのも少なくとても楽しめた。
ただ、ラストシーンの彼女との対峙の場面。「私は復讐のためにここに来た」という、トァンが初めて彼女の思惑を超えて人間らしさを見せるシーンが、ただのメンヘラみたいな理由で撃つという変化が受け入れられなかった。あれもあれで、論理とか合理性だとか関係ない、感情的で独りよがりな理由として良いのだけれど、世界に引き金を引く重さ、「世界の命運は貴方の肩にかかっている」というオスカーの台詞が無かったことになってしまう。
<declaration:embarrassed>
原作通りにしろだなんて言わないけれど、etml要素を無くし、エピローグを丸ごとカットし、その分ハーモニープログラムの恐怖、「でもそんな世界もアリかもしれない」とさえ思える悲しさが、少し足りなかったように思う。
</declaration>
一緒に見に行った友人は原作未読だったのだけれど、やはりハーモニープログラムの仕組みやラストシーンの意味は分からなかったと言っていたし。個人的に一番重要だと思う「ハーモニープログラムの魅力とその危うさ」がぼやけてしまっているので、どうしても百点満点とは言えないのが残念でならない。
<happiness>
それでも、実写と見紛う映像美、3DCGと最近流行りのトゥーンレンダリングによるキャラクターの自然なモデリングは素晴らしかった。それだけでも見る価値がある。
</happiness>
「行こう、ハーモニーの世界へ」
</archive>
</meme>
<harmony>
<harmony=わたしの物語>
<harmony=わたし達の物語>
</etml>
原作との差異が…(ネタバレ注意!)
<不満点>
タイトル通り、原作との少し違った点が何箇所かあります。
それも作品としてのターニングポイントや魅力的なシーンが
変えられていました。
特に喫煙・飲酒シーンは全てカットされていて
トァンの現代社会への不満度の表現が落ちているようにも見れます。
(モブキャラはワイン飲んでましたが)
原作で、トァンがライターで伝言が書かれたメモ用紙を焼くシーンが
好きだったんですが、喫煙シーンがないのでカットされてました。
残念。
ラストシーンでミァハを射殺するシーンも変わっています。
原作ではトァンは復讐心と愛情を持って引き金を引くのに対し
映画ではハーモニープログラムの実験で変わってしまったミァハに
「私の好きなミァハのままでいて」と涙ながらに射殺します。
個人的には一番感動する
ミァハとトァンがチェチェンの山脈を見るシーンも盛大にカットされ
全体として盛り上がりに欠けてしまってます。
チェチェンに着いた辺りからは
「時間が足りないので割愛!」感があると思わざるを得ないです。
もしかしたら原作読まずに見たら楽しめるかもしれません。
キャラクターにCGを所々に使用していますが
どうもあの滑らかな動きが苦手で…
<良かった点>
物語の重要な要である御冷ミァハの狂気を孕んだカリスマ性は
吹き替え・映像化されたことで原作より
上手く表現できていると思います。
喫煙・飲酒シーンはなかったですが
トァンがいかにこの社会に息苦しさを感じているかは感じ取れます。
<総合評価>
ラストシーンを除いて、全体的には好きです。
Blu-rayは間違いなく買います。
ただやっぱりラストシーンは…
という感じで評価★★★にしました。
(^^)本年度最高点です。
レビューで最後が違うとのご意見が!参考にさせていただきました。
原作読んでいません。
私の解釈ではトァンはミァハを愛していたのでしょう。だから拳銃で撃ったのでしょう。死を与えたのです。
死を与える事で、苦痛によって意思を持ってしまったミァハを彼女が望んだとおり、昔の意思を持たない
チェチェンにいた時のロシア兵に誘拐される前の彼女に戻してあげたのではないでしょうか?
欲求、痛みがない=意思意識をもたない=死
なんとなく『屍者の帝国』の本題にもつながりますよね。
ハーモニープログラムが起動して人類は意識を失ったのでしょうが、システムに繋がれていない人はどうだったか?
冒頭に出てきたトァンとワインを取引していたラクダに乗った老人が言った言葉がこの映画のポイントでは?
“ほどほど”
忘れちゃったんだけどねこんな言葉を言ってましたよね。文明の発達もほどほどじゃないと死につながるよって事かな。
自殺論、アノミー論で欲望の無規制は自殺につながると、、、、。どんなに文化文明が発達しても、、、、と。
一回目⇨原作⇨二回目
最近精神的に疲れてるなーと思ったので気分転換に映画でも見るかーと思い、上映中の映画を調べ、アニメだし、取っつきやすいかなー程度のノリで観た。
一回目は原作は未読。原作者についての知識もゼロ。
扱っているテーマが幸福、善、国家と私人、自意識など、どれも倫理的哲学的なモノで全く気分は転換しなかった。
それでも映像の美しさ、臨場感は素晴らしかった。
原作を読んでいないので細かな設定がイマイチ飲み込めないまま終わった。
このまま終わらせるのにはもったいない内容だと思い、映画終了後直ぐに本屋へ行き原作を購入し、読んだ。ついでにゲーテの若きウェルテルの悩みと坂口安吾の堕落論も買った。
二回目。
目立った原作との違いは2つ。
ひとつはトァンとミァハの恋愛表現。
原作にはそんな描写はなかった。
もうひとつはやっぱりラストシーン。
恋愛表現を追加するのはべつに悪くないと思ったけど、それをトァンがミァハを殺す動機として使うとなると違うのではと思ってしまった。劇場ではトァンがミァハを殺した瞬間走って退場した観客がいた...。
せっかく素晴らしい映像技術を使っているんだから、原作の最後にあるトァンとミァハが
コーカサスの山々を眺めながらミァハの意識が消滅する場面を観たかった。
ただ、原作でも映画でも、トァンは世界のことなんて興味がない。これはプライベートな問題だと言っている。
原作では復讐というプライベートな感情。
映画では愛情というプライベートな感情。
だから映画の動機でも的外れにはなっていない。
ラストシーンが原作通りだったら星6個。
今年一番心が動いた映画でした。
原作に忠実で良かった。
他の方も仰っていますが、内容は原作に忠実、映画化される事で小説では想像していた事がビジュアル化され物語の世界を補完してくれました。ただ、ラストのトァンの行動の動機が小説から受けるものとは少しニュアンスが違っていました。愛するが故、という心情が強調されていた印象ですがこれはこれで無理なく受け入れられました。
表現と結末について
結論を先に言えば、中盤までが一番面白い。
そこまでは首を傾げる部分もあれど、原作準拠で進んでいた。それに演出なども結構良かったと思う。
具体的に言えば、
・キアンの自殺するシーン
血が吹き出すぎだと思うことを除けば相当気合の入った作画で見応えがあった。
・拡張現実の表現
日本に入った途端に始まる拡張現実は煩わしい程の情報(人物評価、店のメニューなど)が出現する、本人の健康状態を事細かに表現しているなど、世界観をうまく表現できていると思う。
また、生体認証の時の描写には気合入ってるなぁと感心した。
・螺旋監査官のオンライン会議
拡張現実を利用した会議は、これまで見てきた表現とは違っていて面白かった。ここのために映画を見てもいいかもと思える個人的な好きなシーン。
上記に挙げた他にも、ヴァシロフが銃で撃たれた後の台詞の表現の良さなど色々ある。
ただし、オスカーが「世界は貴女の肩にかかっているのかもしれない」と言い、トァンが回線を切った後のオスカーの表情から違和感を感じ始めた。
あの時のオスカーはどこか諦めを持っていたのではないのかと思うのだけど、あのシーンは違うのではないか、と。
そして見事に裏切られる最後のシーン。
「私の好きなままでのあなたでいて」
それだけで片付けちゃダメでしょ…、と衝撃を受ける。
トァンは自分を臆病者、敗残者と呼ぶのは、
ミァハがいなければ世界に反抗できないから。
ミァハが世界から飛び立てたのに、自分は世界に残りながらも逃げ続けていたから。
そして何より自らが憎んでいた価値観を、キアンと父の死により認めなければならいからではなかったのかと(ここは原作からは読めない、個人的な考えかもしれないが)。
だから、トァンは敬愛・崇拝・憎悪したミァハを自らの意思で殺した。調和された世界を見せないという復讐のため。
原作はそれを引き金を引き、ミァハの意識がなくなった後まで含めたシーンでそれを表現していたのに。
中盤まで良かったために、なんと惜しいことか。
これを伊藤計劃の作品かと問われたら、違うと返してしまうと思う。
最後に、アートブックは作品内容と関係なくよいものなので、迷ったら買った方がいいと思います笑
原作通り。
終始難しかったです。一緒に行った原作読んでない初見な方々はハテナマークでした。ですのでその点を入れて☆4にさせて頂きました。
キャストの方ですが、これは見事にバッチリです。ホントに。トァンのクールな雰囲気は沢城みゆきさんでピッタリ当てはまっていましたし、ミァハの謎で妖艶な雰囲気も上田麗奈さんが完璧に演技されており、それぞれの配役、人選は個人的には完璧だったかと思います。
ラストシーンの改悪で台無し
映画が作られた経緯や伊藤計劃氏について深くここでは語りません。そういう内容は調べればわかることですし、ここではこの映画自体についてレビューを致します。ネタバレあり。原作既読者向けです。
【演出・作画】
可もなく不可もなくというもの。序盤のラクダの作画がちょぼらうにょぽみの書く不思議生物のようなひどい作画ではあったが。意図的に3DCGを多用することによる無機物感や、監視社会を印象づける俯瞰のカメラや主観視点、生府の外の自然な背景と、生府の人工物のコントラストなどは上手くまとまっており。作品世界を確かに描き出している。
尤も、同プロジェクトの『屍者の帝国』と比べると、背景美術や演出効果のレベルは低く感じられる。もっと良くする余地はあるという惜しいものであった。
【ストーリー】
原作ありきの作品でストーリーを論じる場合、それは一重に『原作からの改変があるのか』というところが論点となるだろう。そして改変があった場合、『その改変は良いものか悪いものか』という点が評価の肝となる。
結論からいうと、この映画には最低最悪の改変があった。つまるところ、評価が☆1になっているのも。この映画レビューを書こうと思い立ったのも、全てその改悪が原因である。ただ1点の改悪が映画全てを腐敗物の集合体にしてしまった。こう言わせていただきたい、「どうしてこうなった」
改悪の内容は主人公のトァンが御冷ミァハに持っている感情を至極単純な『愛している』なんていうセリフで片付けてしまい。原作のラストシーンの意図を大きく歪めたというものだ。この映画でも原作と同じように、トァンがミァハを銃殺し、ハーモニープログラムが起動して全人類から意識が失われるのだが。その理由が「ミァハは私の知ってるミァハのままでいて」「愛してる」なんていう原作には一切ないセリフで片付けられる。一体なぜこんなことになったのか。
途中の回想シーンでも、何故かキスをしたり恋人ツナギをしていたりと、同性愛な雰囲気を醸し出していたので嫌な気持ちではいたものの、それがラストの展開まで歪めてしまうと誰が予想できただろうか。ラストシーンで「愛してる」なんていうセリフが出た時、私は思わず映画館で変な声を上げてしまった。
原作未読者の為に説明をすると。原作でトァンは親友と父親を殺された復讐と称してミァハを撃つ。それはハーモニープログラムで奪われるであろう自分の意志が選択した復讐という非合理な行動だ。もちろん射殺の理由には復讐だけではなく、記憶の中のミァハが望んでいたものと、現在のミァハが目指す物の違いに対する拒否感や、それこそ同性愛的な愛憎も入り混じっていたものである。そういった、脳内の様々な欲求が入り混じってできる『意志』や『意識』というものが選択をした結果が復讐としての射殺だった。
ミァハ自身も復讐を受け入れ、トァンに「これで――許してくれる……」と問いかけ、トアンは「わたしの復讐は終わったわ」と返す。そこには単純な憎悪や復讐心だけでは語られない「意識」・「意志」が存在した。その複雑さや葛藤を排除している映画の結末はハーモニープログラムで意識の消失した人間が考えた物なのではないかと思わせられる程の許されざる改悪であろう。
物語の根幹をボカし、描くべきものを歪め、作品を残した伊藤計劃氏すら侮蔑するような改悪だ。これを作った人間はこうしたほうがわかりやすいだとか、こうしたほうが商業的に成功するだとか、そういう合理的な判断のもと改悪を行ったのだろう。その結果、映画単体で見ても凡作に堕ちている。原作が好きな人間にとっては駄作や侮辱とられてもおかしくない。
映画だけを見て、原作を読んでない人は原作を読もう。原作を読んで映画を見ていない人は、ラストシーンの手前で映画館から帰りましょう。それが一番賢い選択。
【音楽】
エンディングテーマは予告編のころからすごい好きだったんですが。あのラストから聞くと胸糞が悪くなるので、やはりラストシーンは見ないで帰るほうがいいです。スタッフロールの後にミァハを撃ったあとのトァンが描かれることもないです。
【結論】
ミァハの声は脳がとろけるようでいい
ラストシーン以外は概ね良い
ラストシーン改悪のせいで全てがぶち壊されている
ミァハがステップを踏み始めたら映画館から出ましょう
うーん
原作読了組です。
映画だけでなく原作の内容にも多少触れています。
映像は文句なしに綺麗でした。
ちょっと立体的な…3Dアニメーション?で動く登場人物たちもあまり違和感なく。
アニメーションは日々進化してるんだなーと感動を覚える次第です。
ストーリーの方は、原作を読んだのがしばらく前だったので原作との相違点及び違和感は余り感じませんでした(…というかざっくりしか覚えていなかったので)が、トァンとミァハのシーンのラストだけはそうじゃなくない⁈と思わざるを得ませんでした。
あそこは原作通りにして欲しかったし、原作通りでもストーリー的には問題はなかったと思うのですが、なぜ改変されたのか。
なんどもでてきたタグの仕掛けは、映画のみを見た方にはわからなかったことと思いますが、原作を読む余地やきっかけになるでしょうしあれはあれでいいと思います。
尺の都合もあるでしょうし…。
ただ実質ストーリーの最後がトァンの告白で終わってしまったので、一つの時代の節目にあった壮大な百合物語みたいになっちゃったのは大変残念な次第です。
繰り返しになりますが、基本的に終始淡々として淡々と終わる話なので、あの空気感のまま、原作通りに終わって欲しかったです。
02.どうしてこうなった…
個人的に伊藤計劃の本が好きで「Project itoh」の3作は読んでいるのでそこをふまえてのレビューとする。
屍者の帝国と違って基本的には原作通りに進んでいたものの小さな改変で作品を全く違ったチープなものに変えてしまったのが今作である。
まず、序盤に変なモニュメントみたいなものがでてきてetmlの記述を始める。これはハーモニクス後の世界の光景だがなぜか最初に見せてしまうのだ。こんなにモロ見せでしょっぱらから出てくるとは…。しかもその後ラストまでタグの記述は一切出てこない。本作においてタグはかなり重要な意味を持っていると思うし劇中でもテキストとして要所ででてきて欲しかった。なぜタグを記述しているのかが最後のシーンで一気に解明することでなんとも言えないカタルシスが生まれるのがいいというのに。
トゥアレグ族とのやり取りも重要な所をなぜかカットしていてトゥアレグ族を通しての世界のバックグラウンドが見えなくなっている。
日本に渡ってからは改悪もなく、忠実に作っていて良かった。特に全ての人間が生府の管理下にあり、社会的リソースであるという社会の全てが均一でフラットな光景は非常に気持ち悪い印象を与えていてよく出来てに問題なく流れる。
いた。ここからラストまでは(やや説明が口説いが)特に問題なく流れる。
そして、最悪なのがクライマックスシーンであるチェチェンでのトァンとミァハの対峙するシーン。バンカーの奥で対峙するはずが地味な部屋になってしまっている。ひゅーひゅーという風の音が緊迫感を表すしミァハを撃った後にバンカーの先に行き、世界が見渡せる所でミァハの意識が終わり、トァンの意識も死ぬことで周りに広がる世界も同様に意識の終焉を迎えたことを悟るというのに…。これは演出の問題だから百歩譲って仕方がない。だが、なんだラストのあのセリフは「ミァハだけはあたしの好きだったままでいて!」ドン。おい、おい!これじゃ、意味がまるで変わってくる。未練がましいにも程がある。これはキアンと父をミァハの勝手な都合で殺されたトァンの復讐と原作にも明記されている。ミァハにとってハーモニクス完成後の世界を生きられない事こそが最大の復讐になるのだ。そもそもこの未練がましい感じは最初の銃を撃つシーンにも当てはまる。劇中では電球を撃ってガラスの破片がキラキラしていて綺麗だなとしか思わないが原作ではミァハの頬を銃弾がかすめて血を流している。これがミァハとの決別を表し、未練や後悔を無くしているはずだったのだ。なんでこんな安易な解釈になってしまったのか。撃ってからの流れも丸まる無くなりハーモニクスが本当に実現されたのかも実感が得られない。なんとも消化不良なまま終わりを迎える。非常に残念な終わり方だ。
全体的な完成度としてもスタッフの期待値が高かっただけに物足りない感じがした。
おそらく賛否両論ある本作だが私は原作の内容に大いに感動しただけあって本作の改変部分ばかり目についてがっかりしてしまった。本作を受けて虐殺器官に期待がより一層高まった。
知的で、美しくて、綺麗な映画♪
屍者の帝国でも、魂や意識の話が出てましたが、この作品では、より意識に重きをおいた話だと感じました。意識の台座にあがったものが認識されるという話を含め、脳と意識が別であるとの表現が面白かった。
主人公も含めたメインキャラの、美しく綺麗な描写と、色彩の組み合わせ使った魅せ方がとても良かった!!きっと、みんな、ミァハに魅了されるはず。
大量出血、自○シーンはちょっと目を背けてしまうほどの表現でしたので、苦手な人もいるかも。
うむ!
原作が好きなのでちょっと評価甘いかもw
今回は割と原作準拠で良かった!
屍者の帝国が原作と違う点もあって、残念だったのだけど今回はそんなこともなく。
まぁこっちの方が原作は短いからしやすいのかも。
内容については個人的には満足なのであまりふれないのですが、やはり虐殺器官の後にやってほしかった、という思いがあります。
そこがねぇ…まぁしょうがないですけど。
ただ、映画というエンターテイメントとして見たとき、この内容、終わり方は賛否両論かも。
僕は非常に好きな終わり方なんですけどw
映像は非常に綺麗でした。
多分もう一回見るなw
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