ハーモニーのレビュー・感想・評価
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意識-意思=気≒木→木偶の棒
「大災禍(ザ・メイルストロム)」と呼ばれるその事件の後、世界は新たな組織「生府」によって統治されることになった世界。
※以下はネットで調べて下さい。
自分のような学力の劣っている馬鹿には、かなり難解なストーリーである。元々SF小説だから、分からないところ、不明なところは読み返してみたり、語彙を調べてみたりしてから徐々に理解してくるのだろうが、なにせ映像はドンドン先に進んでいく。当然だし、だからこそ小説を一読してからではないとおいてきぼり感に満たされてしまうことをひしひしと感じた。とはいえサイバーパンクが激しく香り、とても興味をそそられる内容ではある。
小説未読の観客から言わせれば、話題に上がっている『ラストシーン問題』は、あまり気にならない。当然なのだが、どっちが正しいかは観客それぞれの気持ちでいいのだとおもう。自分としては、そもそも思春期にある女子校特有のステレオタイプ的な関係性みたいなものをベースにしているのだから、あいいう結末が自然なのだろうと思うのだが。父親よりも愛する女性に想いを抱くのは仕方がないこと。
画面いっぱいに彩られるピンクのトーン、そして街はまるで毛細血管に覆われた肺のようなデザイン。人間の体内で起こっているかと錯覚するような、メタファーを含んでいる演出を感じさせた。
今年見たアニメでは最高な出来栄えだと感じる。
個人的には、ハーモニープログラムを発動させて貰って、人間を捨てたいけどねw
あぁ、まぁ、うん
おおよそ原作準拠でよかったと思うが同性愛描写が強すぎです、原作にないのにあえてそういう描写をなぜ盛り込んだのか不思議に思います。
主人公の心情描写だったり世界設定なども説明不足感があったので、トァンとミァハでイチャイチャしてないでそっちに時間割いて欲しかったですね。
後半からのラストシーンもなかなか良くわからないです、どうしてそうなったのか。
最後のトァンのセリフのおかげ(原作にはない)でトァンがただのわがままメンヘラ女になっちゃいました。原作読んだ私は「何言ってんだ?」と思いましたし同行した原作未読の友人も「心情描写が足りない」と言っていましたしまぁ微妙でした。
ラストで銃を撃ったあとのコーカサスでの話もバッサリいかれましたし、これはトァンの物語をテクストで抽出したものであるという要素も説明が足りない気がします。原作とは異なりますが不都合はないのでもう無くしても良かったんじゃないですかね…。
雰囲気映画としても微妙だし脚本重視な知的映画としても微妙です。
どうせならどちらかに振ってほしかったです。
あ、ざっくり見れば面白いですよ。掘り下げて考察しようとすればもやもやします。
この世界が気になる方は映画を観たあと原作読んでください。そのほうがよほど納得できると思います。
話がよくわからず…
<archive:title=harmony>
<etml>
<meme>
屍者の帝国は、あえて原作とまるで違う世界観を構築することで物語を「語り継ぐ」スタイルに徹していた。これは賛否両論あったし、正直説明不足な内容ではあった。
このハーモニーは、出来る限り原作通りで、暗転して展開が飛んで、というのも少なくとても楽しめた。
ただ、ラストシーンの彼女との対峙の場面。「私は復讐のためにここに来た」という、トァンが初めて彼女の思惑を超えて人間らしさを見せるシーンが、ただのメンヘラみたいな理由で撃つという変化が受け入れられなかった。あれもあれで、論理とか合理性だとか関係ない、感情的で独りよがりな理由として良いのだけれど、世界に引き金を引く重さ、「世界の命運は貴方の肩にかかっている」というオスカーの台詞が無かったことになってしまう。
<declaration:embarrassed>
原作通りにしろだなんて言わないけれど、etml要素を無くし、エピローグを丸ごとカットし、その分ハーモニープログラムの恐怖、「でもそんな世界もアリかもしれない」とさえ思える悲しさが、少し足りなかったように思う。
</declaration>
一緒に見に行った友人は原作未読だったのだけれど、やはりハーモニープログラムの仕組みやラストシーンの意味は分からなかったと言っていたし。個人的に一番重要だと思う「ハーモニープログラムの魅力とその危うさ」がぼやけてしまっているので、どうしても百点満点とは言えないのが残念でならない。
<happiness>
それでも、実写と見紛う映像美、3DCGと最近流行りのトゥーンレンダリングによるキャラクターの自然なモデリングは素晴らしかった。それだけでも見る価値がある。
</happiness>
「行こう、ハーモニーの世界へ」
</archive>
</meme>
<harmony>
<harmony=わたしの物語>
<harmony=わたし達の物語>
</etml>
これはちょっと、
原作との差異が…(ネタバレ注意!)
<不満点>
タイトル通り、原作との少し違った点が何箇所かあります。
それも作品としてのターニングポイントや魅力的なシーンが
変えられていました。
特に喫煙・飲酒シーンは全てカットされていて
トァンの現代社会への不満度の表現が落ちているようにも見れます。
(モブキャラはワイン飲んでましたが)
原作で、トァンがライターで伝言が書かれたメモ用紙を焼くシーンが
好きだったんですが、喫煙シーンがないのでカットされてました。
残念。
ラストシーンでミァハを射殺するシーンも変わっています。
原作ではトァンは復讐心と愛情を持って引き金を引くのに対し
映画ではハーモニープログラムの実験で変わってしまったミァハに
「私の好きなミァハのままでいて」と涙ながらに射殺します。
個人的には一番感動する
ミァハとトァンがチェチェンの山脈を見るシーンも盛大にカットされ
全体として盛り上がりに欠けてしまってます。
チェチェンに着いた辺りからは
「時間が足りないので割愛!」感があると思わざるを得ないです。
もしかしたら原作読まずに見たら楽しめるかもしれません。
キャラクターにCGを所々に使用していますが
どうもあの滑らかな動きが苦手で…
<良かった点>
物語の重要な要である御冷ミァハの狂気を孕んだカリスマ性は
吹き替え・映像化されたことで原作より
上手く表現できていると思います。
喫煙・飲酒シーンはなかったですが
トァンがいかにこの社会に息苦しさを感じているかは感じ取れます。
<総合評価>
ラストシーンを除いて、全体的には好きです。
Blu-rayは間違いなく買います。
ただやっぱりラストシーンは…
という感じで評価★★★にしました。
Project.Itoh始動
文学の重さを備え持った良質な作品
原作を勧めます
だいぶ前に原作を読んでからの観賞でした。
好印象な点
・原作の世界観を見事に視覚化したビジュアル、キャラクターデザイン。
・原作からするとだいぶ端折られてるものの要所はまとめられて映画のみでもあらすじはわかる。
印象が悪かった点
・トァンとミァハの関係性が原作と変わっている気がした。特に2人が出てくるラストシーンの改変。
正直トァンとミァハの関係性についてはかなり引っかかりました。
しかしイメージの湧きにくいシーンもあるSF世界観をここまで違和感なく映像化されてるのはすごいと思います。ミァハの透明感というか無機質さのようなものを感じさせる声質がまた良かったです。
ただ既読のファン向けの映画かなという感じはします。小説の文章量を考えると仕方ないとは思いますが。
映画を見た方は是非原作を読んでストーリーの隙間を補完して頂きたいです。
(^^)本年度最高点です。
レビューで最後が違うとのご意見が!参考にさせていただきました。
原作読んでいません。
私の解釈ではトァンはミァハを愛していたのでしょう。だから拳銃で撃ったのでしょう。死を与えたのです。
死を与える事で、苦痛によって意思を持ってしまったミァハを彼女が望んだとおり、昔の意思を持たない
チェチェンにいた時のロシア兵に誘拐される前の彼女に戻してあげたのではないでしょうか?
欲求、痛みがない=意思意識をもたない=死
なんとなく『屍者の帝国』の本題にもつながりますよね。
ハーモニープログラムが起動して人類は意識を失ったのでしょうが、システムに繋がれていない人はどうだったか?
冒頭に出てきたトァンとワインを取引していたラクダに乗った老人が言った言葉がこの映画のポイントでは?
“ほどほど”
忘れちゃったんだけどねこんな言葉を言ってましたよね。文明の発達もほどほどじゃないと死につながるよって事かな。
自殺論、アノミー論で欲望の無規制は自殺につながると、、、、。どんなに文化文明が発達しても、、、、と。
一回目⇨原作⇨二回目
最近精神的に疲れてるなーと思ったので気分転換に映画でも見るかーと思い、上映中の映画を調べ、アニメだし、取っつきやすいかなー程度のノリで観た。
一回目は原作は未読。原作者についての知識もゼロ。
扱っているテーマが幸福、善、国家と私人、自意識など、どれも倫理的哲学的なモノで全く気分は転換しなかった。
それでも映像の美しさ、臨場感は素晴らしかった。
原作を読んでいないので細かな設定がイマイチ飲み込めないまま終わった。
このまま終わらせるのにはもったいない内容だと思い、映画終了後直ぐに本屋へ行き原作を購入し、読んだ。ついでにゲーテの若きウェルテルの悩みと坂口安吾の堕落論も買った。
二回目。
目立った原作との違いは2つ。
ひとつはトァンとミァハの恋愛表現。
原作にはそんな描写はなかった。
もうひとつはやっぱりラストシーン。
恋愛表現を追加するのはべつに悪くないと思ったけど、それをトァンがミァハを殺す動機として使うとなると違うのではと思ってしまった。劇場ではトァンがミァハを殺した瞬間走って退場した観客がいた...。
せっかく素晴らしい映像技術を使っているんだから、原作の最後にあるトァンとミァハが
コーカサスの山々を眺めながらミァハの意識が消滅する場面を観たかった。
ただ、原作でも映画でも、トァンは世界のことなんて興味がない。これはプライベートな問題だと言っている。
原作では復讐というプライベートな感情。
映画では愛情というプライベートな感情。
だから映画の動機でも的外れにはなっていない。
ラストシーンが原作通りだったら星6個。
今年一番心が動いた映画でした。
原作に忠実で良かった。
他の方も仰っていますが、内容は原作に忠実、映画化される事で小説では想像していた事がビジュアル化され物語の世界を補完してくれました。ただ、ラストのトァンの行動の動機が小説から受けるものとは少しニュアンスが違っていました。愛するが故、という心情が強調されていた印象ですがこれはこれで無理なく受け入れられました。
表現と結末について
結論を先に言えば、中盤までが一番面白い。
そこまでは首を傾げる部分もあれど、原作準拠で進んでいた。それに演出なども結構良かったと思う。
具体的に言えば、
・キアンの自殺するシーン
血が吹き出すぎだと思うことを除けば相当気合の入った作画で見応えがあった。
・拡張現実の表現
日本に入った途端に始まる拡張現実は煩わしい程の情報(人物評価、店のメニューなど)が出現する、本人の健康状態を事細かに表現しているなど、世界観をうまく表現できていると思う。
また、生体認証の時の描写には気合入ってるなぁと感心した。
・螺旋監査官のオンライン会議
拡張現実を利用した会議は、これまで見てきた表現とは違っていて面白かった。ここのために映画を見てもいいかもと思える個人的な好きなシーン。
上記に挙げた他にも、ヴァシロフが銃で撃たれた後の台詞の表現の良さなど色々ある。
ただし、オスカーが「世界は貴女の肩にかかっているのかもしれない」と言い、トァンが回線を切った後のオスカーの表情から違和感を感じ始めた。
あの時のオスカーはどこか諦めを持っていたのではないのかと思うのだけど、あのシーンは違うのではないか、と。
そして見事に裏切られる最後のシーン。
「私の好きなままでのあなたでいて」
それだけで片付けちゃダメでしょ…、と衝撃を受ける。
トァンは自分を臆病者、敗残者と呼ぶのは、
ミァハがいなければ世界に反抗できないから。
ミァハが世界から飛び立てたのに、自分は世界に残りながらも逃げ続けていたから。
そして何より自らが憎んでいた価値観を、キアンと父の死により認めなければならいからではなかったのかと(ここは原作からは読めない、個人的な考えかもしれないが)。
だから、トァンは敬愛・崇拝・憎悪したミァハを自らの意思で殺した。調和された世界を見せないという復讐のため。
原作はそれを引き金を引き、ミァハの意識がなくなった後まで含めたシーンでそれを表現していたのに。
中盤まで良かったために、なんと惜しいことか。
これを伊藤計劃の作品かと問われたら、違うと返してしまうと思う。
最後に、アートブックは作品内容と関係なくよいものなので、迷ったら買った方がいいと思います笑
原作通り。
終始難しかったです。一緒に行った原作読んでない初見な方々はハテナマークでした。ですのでその点を入れて☆4にさせて頂きました。
キャストの方ですが、これは見事にバッチリです。ホントに。トァンのクールな雰囲気は沢城みゆきさんでピッタリ当てはまっていましたし、ミァハの謎で妖艶な雰囲気も上田麗奈さんが完璧に演技されており、それぞれの配役、人選は個人的には完璧だったかと思います。
ラストシーンの改悪で台無し
映画が作られた経緯や伊藤計劃氏について深くここでは語りません。そういう内容は調べればわかることですし、ここではこの映画自体についてレビューを致します。ネタバレあり。原作既読者向けです。
【演出・作画】
可もなく不可もなくというもの。序盤のラクダの作画がちょぼらうにょぽみの書く不思議生物のようなひどい作画ではあったが。意図的に3DCGを多用することによる無機物感や、監視社会を印象づける俯瞰のカメラや主観視点、生府の外の自然な背景と、生府の人工物のコントラストなどは上手くまとまっており。作品世界を確かに描き出している。
尤も、同プロジェクトの『屍者の帝国』と比べると、背景美術や演出効果のレベルは低く感じられる。もっと良くする余地はあるという惜しいものであった。
【ストーリー】
原作ありきの作品でストーリーを論じる場合、それは一重に『原作からの改変があるのか』というところが論点となるだろう。そして改変があった場合、『その改変は良いものか悪いものか』という点が評価の肝となる。
結論からいうと、この映画には最低最悪の改変があった。つまるところ、評価が☆1になっているのも。この映画レビューを書こうと思い立ったのも、全てその改悪が原因である。ただ1点の改悪が映画全てを腐敗物の集合体にしてしまった。こう言わせていただきたい、「どうしてこうなった」
改悪の内容は主人公のトァンが御冷ミァハに持っている感情を至極単純な『愛している』なんていうセリフで片付けてしまい。原作のラストシーンの意図を大きく歪めたというものだ。この映画でも原作と同じように、トァンがミァハを銃殺し、ハーモニープログラムが起動して全人類から意識が失われるのだが。その理由が「ミァハは私の知ってるミァハのままでいて」「愛してる」なんていう原作には一切ないセリフで片付けられる。一体なぜこんなことになったのか。
途中の回想シーンでも、何故かキスをしたり恋人ツナギをしていたりと、同性愛な雰囲気を醸し出していたので嫌な気持ちではいたものの、それがラストの展開まで歪めてしまうと誰が予想できただろうか。ラストシーンで「愛してる」なんていうセリフが出た時、私は思わず映画館で変な声を上げてしまった。
原作未読者の為に説明をすると。原作でトァンは親友と父親を殺された復讐と称してミァハを撃つ。それはハーモニープログラムで奪われるであろう自分の意志が選択した復讐という非合理な行動だ。もちろん射殺の理由には復讐だけではなく、記憶の中のミァハが望んでいたものと、現在のミァハが目指す物の違いに対する拒否感や、それこそ同性愛的な愛憎も入り混じっていたものである。そういった、脳内の様々な欲求が入り混じってできる『意志』や『意識』というものが選択をした結果が復讐としての射殺だった。
ミァハ自身も復讐を受け入れ、トァンに「これで――許してくれる……」と問いかけ、トアンは「わたしの復讐は終わったわ」と返す。そこには単純な憎悪や復讐心だけでは語られない「意識」・「意志」が存在した。その複雑さや葛藤を排除している映画の結末はハーモニープログラムで意識の消失した人間が考えた物なのではないかと思わせられる程の許されざる改悪であろう。
物語の根幹をボカし、描くべきものを歪め、作品を残した伊藤計劃氏すら侮蔑するような改悪だ。これを作った人間はこうしたほうがわかりやすいだとか、こうしたほうが商業的に成功するだとか、そういう合理的な判断のもと改悪を行ったのだろう。その結果、映画単体で見ても凡作に堕ちている。原作が好きな人間にとっては駄作や侮辱とられてもおかしくない。
映画だけを見て、原作を読んでない人は原作を読もう。原作を読んで映画を見ていない人は、ラストシーンの手前で映画館から帰りましょう。それが一番賢い選択。
【音楽】
エンディングテーマは予告編のころからすごい好きだったんですが。あのラストから聞くと胸糞が悪くなるので、やはりラストシーンは見ないで帰るほうがいいです。スタッフロールの後にミァハを撃ったあとのトァンが描かれることもないです。
【結論】
ミァハの声は脳がとろけるようでいい
ラストシーン以外は概ね良い
ラストシーン改悪のせいで全てがぶち壊されている
ミァハがステップを踏み始めたら映画館から出ましょう
うーん
原作読了組です。
映画だけでなく原作の内容にも多少触れています。
映像は文句なしに綺麗でした。
ちょっと立体的な…3Dアニメーション?で動く登場人物たちもあまり違和感なく。
アニメーションは日々進化してるんだなーと感動を覚える次第です。
ストーリーの方は、原作を読んだのがしばらく前だったので原作との相違点及び違和感は余り感じませんでした(…というかざっくりしか覚えていなかったので)が、トァンとミァハのシーンのラストだけはそうじゃなくない⁈と思わざるを得ませんでした。
あそこは原作通りにして欲しかったし、原作通りでもストーリー的には問題はなかったと思うのですが、なぜ改変されたのか。
なんどもでてきたタグの仕掛けは、映画のみを見た方にはわからなかったことと思いますが、原作を読む余地やきっかけになるでしょうしあれはあれでいいと思います。
尺の都合もあるでしょうし…。
ただ実質ストーリーの最後がトァンの告白で終わってしまったので、一つの時代の節目にあった壮大な百合物語みたいになっちゃったのは大変残念な次第です。
繰り返しになりますが、基本的に終始淡々として淡々と終わる話なので、あの空気感のまま、原作通りに終わって欲しかったです。
言語世界のイメージ化がとにかく秀逸。
この作品は原作の根幹たる記述の仕掛け、架空のマークアップ言語の「ひとつのレンダリング結果」として本当に良くできている。一度は自らレンダラーとなった原作ファンは、その結果を見比べて違和感を覚えたり感嘆したりすることになるはずだ。その点、この作品を紡ぎあげたレンダリングエンジンは、間違いなく一級品だろう。
ただ、原作を知らない場合、この物語が html を模した etml で表現されていることの面白みを味わうのはかなり難しいように思う。冒頭から、これが記述された過去であることを提示するなど、理解を助ける工夫はされているけれど、そのこと自体が結末を容易に予測させたり、物語の複層性を捨象するといった弊害もなくはない。要するに原作は「テキスト形式」でしか表現できない、あまりにも小説的な小説で、表現の根っこにある部分はそもそも映像化できないという、至極当たり前な話でもある。
もちろん、お話自体の面白さだけでも十分に楽しめるし、タイトルにもなっている完全に調和した必然の世界をどう考えるかという思考実験的な面白みもある。映像的な快感はいうに及ばない。けれども、やはり原作と合わせて味わう方が数倍楽しめることは間違いない。
ここからは余談だけれど、Project Itoh 3作のうち、先に公開された『屍者の帝国』のBL風味に対して、こちらは百合風味の仕上りになっている。苦手な人は要注意かな、と。あと、タイトルクレジットやエンドクレジットのマークアップ遊びなんかも個人的にはわりと好き。
伊藤計劃さんを数週間前に知りました
映画の始まる前の宣伝で初めて知ったものです。伊藤さんのことをwikipediaで調べた程度の前知識で鑑賞しました。
2009年頃のアニメ、『フラクタル』を思い出しました。さらにマイナンバー通知を受け取ったばかりで、現実の自分と照らしながら、話に入り込む事が出来ました。
戦車?に、T4と書かれていてドイツのT4作戦のことも思い出しました。日本でも優生学なるものがあったことも。
鑑賞者に若い女の子もかなり居たのが、今の風景なんですね。
いろいろ思うことがあった、素敵な映画でした。
全67件中、41~60件目を表示











