「夫婦の対等な友情を取り戻すために自分を助け、愛す」マダム・イン・ニューヨーク 歯車農場さんの映画レビュー(感想・評価)
夫婦の対等な友情を取り戻すために自分を助け、愛す
公用語であるヒンディー語と準公用語の英語が併用されるインド社会。英語話者は人口の約10%。少ないように見えるが、日本の人口とほぼ同じだ。アッパーミドル以上の世帯や都会で暮らす人にとっては必要な言語と言えるだろう。主人公は田舎出身で満足な英語教育を受けて来なかった女性。日本で言えば時代は違えど『サザエさん』のフネさんのような感覚と言えば分かりやすい。伝統的な事や家事は何でも出来る「古き良き母」だが、学歴はなく英語や飛行機みたいなハイカラなことはからっきし。夫や子供が仕事や学校で自然に英語を駆使している中で、家庭の中で1人だけ遅れた人間のようにバカにされている。彼女の唯一の尊厳である手作りのラドゥ売りも家族からはご近所相手の小遣い稼ぎ程度にしか扱われない。
主婦として埋没し、尊重されていない日々。
そんな彼女がニューヨークへ結婚式の手伝いに行く事からストーリーは進んでいく。
自分を変えようと1ヵ月課程の言語学校に通うことを決心するのだが、これが彼女にとって本当に素晴らしい経験になる。
個人を尊重するアメリカ文化、そして様々な国籍やバックグラウンドを持つ生徒達との出会いの中で、彼女は伝統的な美しさや知識を持ち自立する個人として認められる。
ちょっとしたラドゥ売りをしていただけの彼女を先生は“entrepreneur(起業家)”だと言ったのが印象的だ。
ニューヨークの街で着るサリーも異質なモノではなく伝統美のある個性としてとても美しく映る。
留学経験があったり言語学校の友人がいる人ならだれでも新しい言語に飛び込む彼女の困難や勇気、喜びに共感できるだろう。
どんどん成長し、自分への自信を身につけていく彼女だが、そこで新しい恋や人生へと道を踏み外さないのが何とも上品な映画だ。ハリウッドなら絶対こうはならないだろう。
映画としての筋を外さないのが本当に評価出来る。
最後のスピーチは芯を食ったもので含蓄深い。
家族は愛し合い助け合うものだが、時には相手のことが分からなくなる。自分が嫌になると周りまで嫌になる。それは愛の終わりではない。そんな時こそ自分で自分を助けて愛するのだ。そうすれば愛や尊敬は後から戻って来る。
彼女が欲しいのは『家族からの尊重』、ただそれだけなのだ。それが叶わなかったのは自分が変わろうとしなかったからだ。
家族の愛を試したり女々しくすがったりするのでもなく、恨んで仕返したりするのでもなく、自分を変えようという彼女の奥ゆかしさと強さ、家族への信頼感、愛の深さにこちらまで尊敬の念が湧いて来る。
とても気持ちの良い映画だった。