「国益の名のもとに」イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
国益の名のもとに
予告で流れる「英雄か、犯罪者か」とはこういう事だったのか…。
『ダンケルク』の彼らが浮かんできてしまった。
どんな勝負も、戦略がなければ勝てない。
結果として、最後のテロップにあるように、大勢の命を救ったのだけれども。
そりゃ、封印しなければ、助けられなかった兵士や民間人の遺族から袋叩きに合うよ…。英国にとっても、闇歴史だったんだろうな。
さらに、つきつけられるスパイ合戦。そのために利用される人々。
そもそも、彼らの提案を採用するかどうかの決定は、彼らとは関係のないところで行われているはずだ。
結局は、釈迦の掌の中で踊っていただけか。
そして、彼自身も一番大切なもう一人を手放さなければならなくなる、その人の安全のために。
大きな代償を払いつつ、なかったことにされる実績。最終責任を取る立場にはないものの、純粋な彼の魂は、自分にすべての責があるかのように自分に問いかけ続ける。「私は、神か、悪魔か、英雄か、犯罪者か」
自分が機械だったらどんなにか楽だったろうに。
コンピューターの誕生秘話であり、第二次世界大戦での偉業の話であり、人との繋がりの話でもある。
ジョーンが、アランの偉業を称えて言う言葉がキーワードとして何度か出てくる。感動的な言葉だ。
この映画は、アランを称える映画だから、当然繰り返される言葉であり、今を一生懸命生きる私たちに勇気をくれる言葉でもある。
けれど、日々、自閉症スペクトラム障害(アスペルガー障害含む)と、その近縁の困難を抱えていらっしゃる、多くの方がたと出会っていると、若干の違和感が禁じ得ない。
「別に偉業を成し遂げなくたって、貴方達は存在しているだけで素晴らしい」って言いたくなる。
アランが天才風を吹かせて高飛車なのは、アスペルガー特有の症状ではない。 ずっと馬鹿にされ虐げられてきた者の、反動形成だ。
事実を事実として周りの空気読めずに言っちゃって、何がまずかったのか理解できないところはアスペルガーの特徴だけれど。だから、ジョーンに諭されて、納得すれば、 かんたんにその教えに従ったりする。そのあとのジョークが、そのあとの展開につながっていて、うならさせられる。
ラスト、アランがクリストファーのことを「友達じゃない」と繰り返す。
うん、友達なんかじゃない。もっと大切な魂の片割れ。
たんなる性的志向じゃなく、もっともっと深い魂の結びつき。当時の風潮としては全力で隠さなければいけない想い。
とはいえ、クリストファーのことを想うことを否定されて”治療”させられたら、自分の存在そのものの否定だろう。
林檎に青酸カリをつけて自死されたとか。
事実なのか脚色なのか知らないけれど、映画の途中の、林檎のエピソードを思い出すと胸が苦しくなる。
人が大切にしているものを奪っちゃいけない。