「英雄扱いされていないのが良い」イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密 アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)
英雄扱いされていないのが良い
アラン・チューリングは 20 世紀の英国を代表する天才数学者で,ケンブリッジ大の教授を務め,「一度に非常に単純な作業しかできない機械でも,作業をステップ化し,ステップの順序を工夫して複雑化すれば,ほとんどの問題を解くことができる」という現代のディジタルコンピュータの基礎理論を打ち立てたことで知られ,そのプロトタイプとして知られる装置「チューリング・マシン」に名前を残している。第2次大戦中は英国諜報局でドイツのエニグマ暗号の解読装置の開発に携わり,「ボンベ」と言われるモータ式の解読装置を完成させ,人間が手計算で行った場合 2000 万年以上かかると言われた当時最強の暗号の解読に成功している。
と書いてしまうと,数学やコンピュータ分野での偉人伝に過ぎないのではと思われるかも知れないが,彼のエピソードで非常に大きな問題は,彼が同性愛者であったことで,これが物語のもう1本の柱になっている。同性愛を禁じる法律は,古くは紀元前の古代アッシリアの法典に見られるほど歴史が古く,イギリスでは 1967 年に合法化されるまで違法行為とされ,19 世紀半ばまでは死刑に処せられるほどの重罪であった。イギリスでは 2014 年に同性婚を認めるまでに社会体制が変化しているが,他国,特にイスラム教国の多くなどでは未だに同性愛者には死刑が行われている。
仏教では僧侶に女犯を禁じていたが,男については記述がなかったために,弘法大師空海の頃から蔓延したとされている。仏教の戒律を作った人物は,まさか男を相手にという想定がなかったために書かなかったのだろうが,規則を作る者が想定せずに書かなかった事項を,ダメと書いてないのだから良いという理屈で行うというのは,まるで豚レバーの生食や,イスラム教徒の喫煙と類似した事象であろう。ムハンマドがコーランを記述した時代は,コロンブスの新大陸発見の遥か以前であり,コロンブスが持ち帰った喫煙という嗜好は,それまでの西欧や中東には存在しないものだったからである。いかに厳しい戒律を強いた教祖であろうと,存在しないものを禁じることができないのは当然である。
我が国では歴史的に寺社が教育を行っていた時期が長く,特に戦国大名の子弟は幼児期より寺に預けられることが多かったため,上杉謙信,武田信玄,織田信長などをはじめほとんどの者がその洗礼を受けており,そのケが皆無だったのは百姓上がりの秀吉くらいのものだったらしいという風土がある。このため我が国は世界的に見て異常なほど同性愛に寛容であり,現在も TV 番組等には多くのゲイ能人が出演しているが,未だに同性婚を法律で認めるには至っていない。私は全くそのケがないので,同性愛者の心情は図りかねるが,立場を逆転させて推察してみると,例えば女は禁止だから男だけ相手にしろとか言われてしまっても,それに従うのは容易ではあるまい。まして,犯罪とされていた時代に相思相愛の同性愛の相手を見つけるのは至難の技であっただろうし,そのかけがえのない相手との別れは,男女の分かれとは桁違いの喪失感を味わわされたに違いないと推察できる。
歴史的人物で同性愛者として知られる人物も多い。推測の域を出ない者もあるが,ダ・ヴィンチ,ミケランジェロ,カラヴァッジョ,音楽家には特に多く,ヘンデル,チャイコフスキー,ラヴェル,ブリテンなどが良く知られている。発覚すれば当然重罪になるので,各自巧妙に隠し通したのであろうが,チャイコフスキーは迂闊にも旅先で相手と腕を組んで撮った写真などを残してしまっている。この中で,ブリテンはチューリングより1歳若いだけの同世代であり,名テノール歌手のピーター・ピアーズと実質的には同性婚と見なされる共同生活を送っていたが,生前に発覚することはなかったのに対し,チューリングは男娼を買ったことが発覚したため,化学療法として女性ホルモン注射を定期的に受けさせられるという全く無意味な処分を受けて体調を崩し,大学もクビになっている。これが彼の晩年を非常に暗く覆ってしまっているのだが,この映画は美化することなくそれらを描写している。
エニグマ暗号を解くまでの部分が特に見応えがある訳だが,解いたからと言ってすぐにドイツ軍の作戦の先回りをして勝利してしまうと,敵に暗号が破られたのを察知されて暗号を変えられてしまう恐れがある。解読できた暗号の運用のほうが難しいというのも非常に納得できる話で,そのためにチーム内に軋轢が生じるという流れは,実に良くできていた。暗号解読チームに KGB のスパイがいたことなども含め,この映画で描かれている物語は,ほとんどそのまま史実だというのが凄いと思う。
惜しいと思ったのは,チューリングをあまりに変人として描き過ぎているところである。巨額の予算を要する国家プロジェクトをチームで遂行するには,何より互いのコミュニケーションが重要であり,意思疎通を欠くようなリーダーの下ではどんなことでも成功するはずがなく,実際,実在のチューリングはがっしりした体型で,話は機知に富んで面白かったというので,コミュニケーション障害のように描くのはどうかと思った。だが,こうした傾向はこの映画だけではなく,ハリウッド映画で描かれてしまうと,何か天才的なことをする人物は必ず皆変人にされてしまうのは避けられないので,今のところ泣き寝入りしかないようである。また,ホンの触りだけでも装置の原理など説明して欲しかったのだが,全く説明がなかったのが理系の人間として非常に悲しかった。
役者は何と言っても主演のカンバーバッチが素晴らしかった。シェイクスピア劇という伝統を持つイギリスの役者は,まず外れがないが,彼の存在感の見事さは特筆ものだと思う。物語中で刑事が絡むシーンが無駄に長いのも残念だったが,チューリング・テストを行うシーンは,かつての名画「ブレード・ランナー」や「アマデウス」をリスペクトしたのか,名シーンを彷彿とさせていたのが印象的であった。音楽は「英国王のスピーチ」や「アルゴ」のアレクサンドル・デスプラで,この作品でも非常に叙情的で素晴らしい音楽を書いていた。
(映像5+脚本4+役者5+音楽5+演出4)×4= 92 点。