花宵道中 : インタビュー
安達祐実&淵上泰史、それぞれの転機を迎えた渾身作「花宵道中」を語る
安達祐実が脱いだ――。そんなあおり文句が先行し話題を集めた「花宵道中」だが、「『脱いだ』って興味本位でお客さんが見に来てくれるなら、それはそれでいいんです」と笑う安達は、まさしく劇中で演じた吉原遊女・朝霧のような凛とした佇まいで、女優として堂々と新たなステージに立った。朝霧を一途に愛する青年・半次郎役の淵上泰史とともに、本作にかけた思いを語った。(取材・文・写真/山崎佐保子)
「同情するなら金をくれ!」の流行語を生み、社会現象を巻き起こしたドラマ「家なき子」。安達にとってはその劇場版以来、実に20年ぶりの映画主演作となる。原作は、新潮社の「女による女のためのR-18文学賞」第5回で大賞と読者賞をダブル受賞した宮木あや子の同名小説。江戸時代末期の新吉原を舞台に、物心つく頃から遊女として生きてきた朝霧が、京都からやってきた染物職人の半次郎と生涯をかけた恋に落ちる。
安達は初の花魁役で大胆な濡れ場も熱演。「私自身、思い切ったことがやれる役が欲しいと思っていた時期なので、タイミングも合ってわりとすぐに出演を決めました」と迷いは無かった。「役の上で脱ぐということは想定していたというか、いつかそういう役のオファーが来た時に、やりたいと思える作品だったら挑戦したい。そう思っていたのでそこに躊躇(ちゅうちょ)は全くありませんでした。実はもうちょっとエグイ、もっと衝撃的な作品に出たいとも考えていたんですが、この作品のような正統派の恋愛ストーリーも面白いかもと思ったんです」。
吉原という独特な環境に生まれ育った朝霧という役柄も、「撮影の初日が、張見世(客に見えるように遊郭で店先に遊女を並ばせる場所)で遊女たちがずらっと並んでいるシーンからだったんです。『大奥』のおかげで着物を引きずって歩く所作には慣れていたのですが、そんなセットに座ったのは初めてのことだったので、気持ちがぐっと上がりましたね。檻のような所でお客さんたちに品定めされる遊女たちの感覚も、そこで少しわかった気がしました」とうまく役に入り込んだ。
「安達さんに比べたら、僕は赤ちゃんみたいなものです」とはにかむ淵上は、純真な青年・半次郎を好演。同世代ながら役者として大先輩の安達との初共演は、「小さい頃から安達さんを見ていましたのですごく新鮮でした。初日に花魁の格好をしている姿を見た時は本当にドキっとしました。はじめは緊張しましたが、無理に芝居をしようとしなくても安達さんのそのままの姿を見て受けていればよかったんです」と自然体。現代の男性からはまず聞けないようなキザなセリフも飛び出すが、「すごく恥ずかしかったです」と赤面しながら、「現代のお芝居とは全然違いますので、セリフ回しもすごく難しいんです。京都・太秦の録音スタッフさんからは、『時代劇のセリフはもっとゆっくりでいい』と言っていただきました。自分を育ててくださっている感じがして、みなさんとても優しかったです」と恵まれた環境に感謝していた。
ふだんは穏やかな朝霧も、仲間の遊女がひどい目にあえば、「一発五文の鉄砲女郎でも買ってきな!」と男たちもすくむ啖呵(たんか)を切る激情さも持ち合わせた女性。一生に一度の恋に落ちれば、命がけで相手を愛し抜く。安達は、「現代に生きているとあまり不自由さを感じないし、いざとなって命をかけることも少ない。だから朝霧と半次郎の恋みたいに、お互いが命をかけられるぐらい愛したり愛されたりすることへのあこがれはありますね。そこまで貫けるなんてすごく潔い」と目を細めた。
そんな運命の恋に落ちた朝霧と半次郎が愛し合うシーンでは、豊島監督がヒートアップ。安達いわく、「あのシーンの監督の熱意はハンパなかったですよ(笑)。現場で滅多に声を荒げない人なのに、『もっとこうなんだよ!』『もっと思ってるんだよ!』って。監督の熱意にほだされて乗せられた感じはありました。だけど私たちも、あのシーンは生の感情で“本物”にしないといけないと思っていたので、すごく本気で作っていましたね」と真剣さが伝わってくる。
豊島監督のダメ出しを受け続けた淵上は、「安達さんと抱き合ったまま、『違う違う!』『このあと死ぬっていう覚悟なんだよ!』ってずっとお尻を叩かれていた感じでした。監督の表現したいことを僕が体現しないといけないのはわかっていたんですが、真剣になればなるほど周りが見えなくなっていきました。監督の安達さんへの愛情をすごく感じましたが、僕もそれ以上に愛情を持っていたので負けたくないなって思いました。抱くのは僕です(笑)。その期間は本気で朝霧に恋をしていたと思います」と熱い思いが映像にリアリティをもたらした。
デビュー30周年という節目の年に、本作と出合えたことは安達にとっても大きな転機となった。「節目の意味も込めて選んだ作品でもあります。これまで色々なことがあって、だからこそやれたような気がします。だけど30年の集大成という感覚ではなく、一区切りとして、ここからまた新しくスタートしていくための作品。ここからもっと自分の可能性が広がっていけばいいなと思っています」と冷静に先を見据えていた。