「猿の捕まえ方」オマールの壁 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
猿の捕まえ方
資本、スタッフ、キャスト、すべてパレスチナ人による制作ということに心動かされる。この時点でパレスチナ人なら周知の歴史や民族感情について既知でなければ、映画の中に張られた伏線の理解が深くはならない。
占領側のイスラエル、される側のパレスチナ。今さら、話し合いで解決できるようなものではない。尖閣や竹島でさえあれだけいがみ合うのだ。パレスチナの現状は想像を超えるのだろう。
様々な伏線によって、オマール同様こちらも騙され、罠とも知らずに踊らされ、真実を知り愕然とする。なにより、妊娠はしていなかったことに驚いた。すべては、「角砂糖を握らされた」アムジャドをまんまと懐柔したラミの仕掛けた筋書きだったのだ。この映画の上手いところは、そのラミを単に冷血漢とせずに家庭的な側面をあえて見せておき、いい父親との二面性のギャップや矛盾を印象付けている。ここでもまんまと騙されているのだ。
でラストに、もうオマールは自分の手の内だと思い込んでスキを見せたところで、バン!となる。ラミ自身も、自分が角砂糖を掴んでしまっていることを忘れていたのだ。「猿の捕まえ方を知ってるか?」と尋ねる会話は、アムジャドを協力者にしたてて「猿の話」を教えたのはお前だろ?と言わんばかりだし、お前こそがその猿になったぜ、とも言わんばかりの、静かながらも深みあるセリフだった。
分からないのは、オマールが最後に渡したナディアへの手紙の中身だ。今でも君が好きだとか?スパイの疑いをかけられたけど、自分も君の妊娠を疑っていたいたからお互い様だとか?まさか、そんな陳腐なわけはあるまいが、ナディアのあの笑顔のわけが解せない。少なくとも、好き同士でありながら結ばれなかった二人が、お互い納得のいく手紙の文面とはなんだろうか。
自分なら、騙されたことを知った以上、アムジャドの罪を責めないことがナディアの幸せにつながるとは思えないのだけど。