「見切り発車という判断が作品をダメにする。」紙の月 bashibaさんの映画レビュー(感想・評価)
見切り発車という判断が作品をダメにする。
吉田大八が監督、ということなので、私にとっては、この秋の期待作でした。しかし・・・。
この作品に携わった全ての人がある種の不安を抱いていたに違いありません。原作者、脚本家、監督、そして、俳優たち・・・。これでいいのだろうか、このまま公開していいのだろうか・・・。私は原作を読んでいないのですが、おそらくは、原作が余りにご都合主義的に書かれていたのでしょう。角田光代は推敲をしなかったのでしょうか。元々、私は角田光代という物書きを評価していないのですが、これはちょっと、酷過ぎるでしょう。全く、これでは脚本家がいくら手を入れても手の施しようがありません。至る所にぎこちなさが見えます。一番、笑ったのは、宮沢りえが突然、胸のボタンを外して、色仕掛けで石橋蓮司に迫る場面です。いくらなんでも無理があります。それから、話を強引に進めるために、その繫ぎ目がかなり目立っています。終盤、巨額の横領が発覚した後、会議室で宮沢りえと小林聡美が対峙する場面があります。ここで小林聡美が、「私が一番やりたかったのは徹夜だ」と云うのですが、なんの説得力がありません。私は、一番、盛り上がる筈の場面で、このいい加減な科白はないだろう、と白けてしまいました。最後に、それまでのさまざまなストーリー上の矛盾や綻びを吹き飛ばそうとするかのように、宮沢りえが椅子をガラス窓にぶつけて、ガラス窓を壊すという大見えを切るのですが、そんなことで、積りに積もったフラストレーションは解消されません。☆をひとつ半にしたのは、宮沢りえの熱演を評価したことによるものです。本来なら☆半分です。
話の最初と最後に宮沢りえの女学校(ミッション系です)時代の風景を置いて、時間的奥行きを出そうとしているのですが、この手法は最近の大抵の映画に蔓延しているので、もう、いい加減、やめた方がよろしいかと思います。もう、食傷気味です。
また、大島優子は、いまどきのちゃっかりした軽い女を演じていて、はまり役でした。こういうのを適材適所というのでしょう。