「フィクションだがリアルな沖縄」NOTHING PARTS 71 ごーやーねぇねぇさんの映画レビュー(感想・評価)
フィクションだがリアルな沖縄
今までの沖縄を舞台にした映画とは、全く違います。
三線の音色も、波の音もありません。あるのは、騒音だけ。
軍用機の飛び合う音、執拗に出てきます。
観光で沖縄に行く場合は、その音に気がつかないかもしれません。
でも、そこに住む沖縄の人たちは、日常的にその音に悩まされ、いつの間にか慣れてしまっている・・・沖縄県外の人は、その音に「話もできない」と耳を塞ぎます。しかし、沖縄の人は、全く反応しませんそんなシーンが出てきます。
軍用地をめぐる沖縄の県内外の人との売買取引が出てきます。
「結局、沖縄の経済って、基地があることで成り立っているんですよね?」
と言うセリフ、沖縄県外の人物、沖縄県の人物、それぞれが言います。
上から目線で言う沖縄県外の人物、いつの間にか、『それが仕方ない』と言わざるをえない沖縄の人物、それを観た私たちは何を思うのか?問われる作品です
でも、答えを強制するものではありません。
1度観ただけではわからないし、観た回数分だけ、答えが変わってくると思います。
主人公は2人います。共に、沖縄が本土に返還される1年前の1971年7月生まれ、彼らは自分が生まれたのはどこの国で何人なのか?と、心をかき乱されているように思えます。
軍用地売買やホステス斡旋をしている男・信二を取り囲む環境は、今の沖縄を取り巻く環境を表現しているかのように思えます。
そして、自分が何者なのか悩み、自分の環境にもがき、最後には抵抗します。
もう一人の主人公、戦没者遺骨収集の仕事を智一もやはり、自分が何者なのか悩み、精神を病んでいきます。
(実はこの作品は、2012年に沖縄で先行上映されたときに、智一が心を病んでいくきっかけの事件のシーンがあったそうなのですが、残念ながら東京バージョンではカットされています。
その部分は、解説を読んでから鑑賞してくださいというスタンスのようです。)
4年前に撮られた遺骨収集のシーンは実際の現場で、作業している方たちも現場の方だそうです(仙頭監督談)
収集現場の監督の言葉は、そのまま本当の言葉です。
今、収集現場は、開発されてその姿は残っていません。全て掘り起こす前に、収集作業を終えてしまったそうです。
映画を観た方は、ぜひ現場を観てみてください。
私は関東の人間ですが、縁あってこの映画を観たあとに、辺野古のフェンスのある浜辺に行くことができました。こじんまりとした静かな浜辺です。でも、その集落は寂しく、物悲しい場所でした。
私には何もできないけれど、知ることはできます。沖縄を知ることのできる映画です。
ぜひ、映画を観たあとに足を運んでください。
美しい景色や音楽は、ほかの映画に任せて、フィクションながらにリアルな沖縄をこの映画で観てください。