「「役者バカ」と「バカ役者」ではクライマックスの燃え度が全然違うという感想。」イン・ザ・ヒーロー ウシダトモユキさんの映画レビュー(感想・評価)
「役者バカ」と「バカ役者」ではクライマックスの燃え度が全然違うという感想。
一見、『スーツアクター版:蒲田行進曲』かと思いきや、ダーレン・アロノフスキー監督2009年の作品『レスラー』がストーリーの土台でしたね。
「身体に爆弾(次は致命傷となる故障)を抱えた主人公」が「夢の栄光を捨てられず危険な舞台に挑む」というお話です。離婚していて、年頃の娘がいるという設定も踏襲しています。
この『レスラー』が“男泣き映画”として愛されたのは、ミッキー・ローク演じる主人公が良くも悪くも「プロレスバカ」だったからですが、本作『イン・ザ・ヒーロー』では唐沢寿明が「役者バカ」を演じ、感動を
生もうという狙いがありそうです。
しかし個人的にはどうしても、「役者バカ」の話ではなく、「バカ役者」の話に留まってしまったのが惜しかったという感想でした。
よく映画の売り文句に「笑って泣ける」なんてのがありますが、そういうのがワリと危険で、「どんな素材でも砂糖と塩ぶっかけときゃ“甘酸っぱい”味になるでしょ」的な発想で味付けされたりしています。
娘とレストランで食事するシーン、正義感が強すぎるキャラ描写として大事だったのかもしれませんが、「アチョー」はやり過ぎ。黒谷友香の変な関西弁キャラ。加藤雅也の変な業界人キャラ。小柄の寺島進の嫁がデカいという小ネタなど、笑わせ要素としては雑な“ぶっかけ感”を感じます。
では泣かせ要素はどうかというと、ドラゴングリーンの挫折、リョウの家庭環境と人間としての成長、松方弘樹の合流。それらをちゃんと回収すればクライマックスむちゃくちゃ泣けるはずなのに、雑な“投げっぱなし感”が残念です。
サウナの帰り道、踏切でいろんな人のセリフがフラッシュバックした後に、走り出す姿のスローモーション。これは決意の表現だと思いますが、主人公は何のために白忍者役を引き受けたのでしょうか。リョウやドラゴングリーンの夢?日本のアクション俳優の存在価値?父親としての誇り?そのどれであってもいいし、その全部でもいいのですが、さしたる葛藤が描かれず、元妻のいる薬局へ乱入して大はしゃぎ。その「命と引換えの葛藤」は元妻の問題として引き継がれてしまいます。役者バカだからあえて引き受けたのではなく、バカ役者だから危機感を感じてないように見えてしまいます。
だから楽屋でひとり、白装束で正座していても、悲壮感とか緊迫感とかが込み上げてこないわけです。
「んな、ストーリーとかテーマなんてどうでもいいんだよ、ラストの忍者100人斬りがスゲぇんだよ!」
という気持ちもあります。
が、ラスト忍者100人斬りがスゲぇからこそ、こっちは「燃えたい」わけです。
でもその直前、物語の構造上最も焦点となる「落下シーン」になるんですけれども。
あんだけ監督が「ノーCG,ノーワイヤー!」と主張し、あんだけ和久井映見がすすり泣き、あんだけ同僚が止めるべきか否かを話合ったという「落下シーン」。どう考えたって注目ポイントです。そこがまさかのCG。しかもロングショットでスローもリプレイもアップすらもなし。それはCGだから。
もちろん役者やスタントマンに実際に落ちろというわけではないですよ。例えば落ちる瞬間を主観映像にしてブラックアウト、その後に目がクワッと開く場面につなげるとか、演出の仕方はいろいろあると思うんですけど、よりによって物語の核となる場面で、劇中であんだけ否定したCGを使うというギャグ。思わず「CGやんけ!」と心のなかで突っ込んだのは僕だけではないと思います。
こんなふうにいろいろ言いたいことが出てくること自体「まんまといい映画」なのかもしれません。でもちょっとモヤモヤしたので、長文書いてみました。