イン・ザ・ヒーロー : インタビュー
唐沢寿明が貫き通す徹底したプロフェッショナリズム
スーツアクターとして体を張っていた頃は“顔出し”が大きな目標だった。いまや日本を代表する俳優の1人。唐沢寿明は、くしくも50歳を過ぎて「イン・ザ・ヒーロー」で雌伏の時を追体験することになった。だが、演技に取り組む姿勢はシンプルに「一生懸命やること」と一貫している。高さ8.5メートルからのダイブや火だるまになっての殺陣などにも自ら挑み、その思いをより強くしたようだ。(取材・文/鈴木元、写真/堀弥生)
仮面ライダーやスーパー戦隊シリーズは今でこそ若手俳優の登竜門といわれ、スーツアクターも注目されるようになったが、唐沢が東映アクションクラブで俳優活動をスタートさせた1980年代はそんな呼称もなく、役を得るためひたすら鍛錬の日々だった。デビュー当時にもインタビューなどで話していたが、ほとんど相手にされなかったという。
「昔こういうことをやっていた、仮面ライダーにも入っていましたよって言っても全く食いつかなかったもんね。今また同じ話をしているわけだけれど、不思議なもんだよねえ」
その頃に抱いていた夢は顔出し。同時にセリフのある役をやれるまでは辞めないという決意と意地があった。そのために「一生懸命やる」ことを心身にしみ込ませた。
「道でカップルとすれ違った時に、『あの人どこかで見たことある。俳優さんじゃない?』って言われるくらいのレベルが、その時の最高の目標。それくらい顔を出す役をもらってセリフをしゃべれるなんて、夢のまた夢だった。そのためにはやっぱり常に一生懸命やることじゃない。ショッカーをやっていても、多分手を抜いてもいいんだよ。深く考えれば、ショッカーなんて誰も見たことないから、動きって言われても分かんないわけ。でも、一生懸命やるんだよね。精いっぱいやっていれば誰かが見ていてくれて、次につなげてくれる。そういう意味では運が良かったんでしょうね。助けられた部分もあるし、いろんな出会いがあって引っ張られたというかね」
1982年のフジテレビ「愛という名のもとに」をきっかけにブレイクし、その後は常に第一線を走り続けている。そして、50歳になってもたらされた「イン・ザ・ヒーロー」のオファー。当然、自身に重ね合わせる部分もあった。
「確かに最初は俺の話じゃないかと思ったけれど、スーツアクターだったら皆こんな感じですよ。生活パターンも例外はない。今でも、撮影所に行けばこういう人、いっぱいいるよ。多分、自分がこんなにいい思いをできるくらいの立場にならなかったら、こんな人生だったと思うよ。まだやっていたんじゃないの、きっと」
キャリア25年を誇るスーツアクターの本城渉が、ハリウッド映画出演のチャンスをつかみ、命をも落としかねない一世一代のスタントに挑む。白装束の忍者となって、100人の黒忍者と対決するクライマックス・シーンは、目元しか顔が映らないもののできる限り自分でやることにこだわった。
「最初はちょっと戸惑いましたよ。だって、ある程度吹き替えなしでやらなきゃいけないでしょ。全編吹き替えだったら俺じゃなくてもいいわけだから。ウチのスタッフも、こういうのをやったら見てみたいという話もあったし。(顔は映らないが)そこにこの作品の意味はすごく出ているかなあと思った」
本能寺の屋根から飛び降り、流れるように黒忍者たちを斬り捨てていく立ち回りは圧巻。スピード、切れ、太刀さばきと一分のスキも見せず、アクションのだいご味を堪能させてもらった。撮影はさぞ大変だったろうと想像したが、一生懸命にやった結果としてさらりと振り返る。
「経験者だからね。最終的には昔と同じようなことはできなかったけれど、ただ飛び降りるにしても立ち回りもひねりもそうだし、宙返りも過去にやったことは全体的にやったと思うから、自分の中では特別なことはひとつもしていない。経験の強みっていうのかな。基礎からやっているから、ちゃんと刀が使えるなっていうのは分かると思うよ」
アクション監督を務めた柴原孝典氏はもちろん、アクションコーディネーターの竹田道弘氏も同じカマの飯を食った仲。撮影にはほかにも昔の仲間たちが多く駆けつけたそうで、感謝を惜しまない。
「仲間は大事ですよ。昔の写真を誰か持っていないか声をかけたら、意外と集まってくれて、久々に会ってご飯を食べにいったら、とにかく話している内容は昔と一緒だね。皆、変わっていないというか、『もう俺、バク転できなくなっちゃったよ』みたいな。自分の中ではいい仲間と出会えたし、いい思い出がいっぱいあるし、だからこそこの作品で、えっ、こんな人まで来てくれるんだって人もいて、本当にありがたいよね」
一生懸命やり続けてきたからこそ、人望がある証左だろう。活躍の場が広く、映画主演は「20世紀少年」3部作(2008~09)以来5年ぶりとなるが映画、ドラマ、舞台からCMに至るまで垣根は感じていない。
「あまり気にしていないですよ。どこででも一生懸命やればいいじゃない。ここじゃなきゃって思い込まずになんでもやって、どこでもスターになれるチャンスはいくらでもあるわけだから」
その原点こそがスーツアクター時代にある。スタッフとして裏方の仕事もやり、アルバイトもして生活を支えた経験で培った礎があるからだ。
「仕事があれば、何でもやりますよ。だって断れないでしょ。CMのコンテに文句をつけたこともないし、映画やドラマで衣装を自分で決めたこともないしね。だって衣装さんは役に見えるように衣装をそろえてくるわけだから、失礼でしょ」
作品全体を大局でとらえ、俳優はその一部であるという徹底したプロフェッショナリズム。「イン・ザ・ヒーロー」によって当時の思いを再確認することができ、一層自らの信条を強く確信したようだ。
「より一生懸命やらないといけないと思った。どっかですべてが当たり前になっちゃうけれど、それは当たり前じゃないんだって。でも人間って、忘れたりするんですよ。でも、どっちかというとこっち(スーツアクター)側かな、俺の考え方、気持ち的には。だから変なことをやっても何とも思わない。それで落ちても、そこまでは落ちねえだろうっていうかね。だから思い切りよくできるっていうのもある。別に格好いい役じゃなくても、そういうのが自分には合っているんじゃないかな。格好つけてやったんだけれど、実は突き指していたとかね」
冗舌で硬軟自在の語り口だが、すべての言葉が説得力をもって耳に響く。今春に放送されたドラマ「ルーズヴェルト・ゲーム」も、さらに一生懸命になった唐沢の新たな一面だったのかもしれない。次なる一生懸命を早く見たい気持ちが高まった。