「魚心あれば海心」白鯨との闘い 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
魚心あれば海心
H・メルヴィル著『白鯨』のモデルになったとされる、
1819年の捕鯨船エセックス号遭難事故を描いたドラマ。
監督のロン・ハワードは毎回全く異なる題材に挑戦するが、
毎回小憎らしいほどにそつなくそれらを仕上げてくる。
本作の時代背景の描写や人間ドラマに関する部分も、
淀み無く分かり易い語り口だった。
船員どうしの友情や確執は後々の展開にも利いてくるし、
『白鯨』の著者メルヴィルと語り部ニカーソン、
それぞれの“闘い”の決着も胸にじいんと来る。
当時の生活や捕鯨に関する詳細な描写も興味深かった。
あの“採掘作業”なんてゾッとするね……。
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だが映画のメインはやはり、“白鯨”の恐ろしさと
船員達のサバイバルに関する部分。
邦題から、“白鯨”との息詰まるバトルが
何度も展開されるのかと思いきや、
“闘い”と呼ぶにはあまりにも一方的な展開。
体長約30mという巨躯の怪物は、主人公らの乗る
捕鯨船エセックス号をあっという間に沈めてしまう。
(なお、マッコウクジラは大きくても20mくらいだとか。
シロナガスクジラでは稀に30m超の個体もいるらしい)
物語の本番はそこからだ。
エセックス号を沈めた後も、“白鯨”はまるで人間の
ような不気味な執念で主人公らを執拗に付け狙う。
「小っぽけな貴様らなんぞいつでも殺せる」と嘲笑うかのように。
「追い回され殺された同胞の恐怖を思い知れ」と怒り狂うかのように。
あれだけの強大な生物が、裸一貫の人間に対して、
明確な知性と悪意をもって襲い掛かってきたら……
太刀打ちできる筈もない。
原題からの連想で、
『魚心あれば水心』ということわざが浮かんだ。
こちらが親しみを持って歩み寄れば、相手も
親しみを持って歩み寄ってくれる、という意味。
航海士オーウェンは最後、怒りや意地や復讐心を
棄て去って“白鯨”に接した。それは単に生き延びる上での
選択だったのかしれないし、自然に対する人間の力など
小っぽけなものと思い知らされたからなのかもしれない。
いずれにせよ、彼の心を読み取り、“白鯨”は彼らを赦した。
あの大きな、全てを見透かしたような眼が忘れ難い。
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この映画の“白鯨”はいわば、
人間の命を容赦無く奪い去る自然の猛威そのもの。
本作の時代より遥かに技術が進んだ現代においては
時々、「自然は人間がコントロールできるもの」と
思い違いをしてしまう事がある。けれども、
地震や異常気象等の天災に見舞われた時に改めて我々は、
生身の人間がいかに非力な存在かを思い知らされる。
飲む、食べる、明かりを灯す、建物によって身を守る――
『生活する』という当たり前の行為が、実は
どれだけ困難で、そしてどれだけ残酷な事か。
日々を送る上で、我々は他の何者を犠牲にしているのか。
それを忘れてはいけないし、犠牲になっているものたち
に対して最大限の感謝と敬意を示さなければならない。
猛威を振るう“白鯨”と、その後に待ち受けていた
地獄のような展開を通して考えたのは、そんなこと。
本作で捕鯨業のトップ連中が批判的に描かれているのも、
敬意も感謝も忘れて金儲けに走る姿勢への批判だろう。
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前述通り、
ロン・ハワード監督の映画は毎回手堅い出来だが、
本作はいつもの彼よりも骨太でズシリとくる作品
だった気がする。それでもこんなヘヴィな
内容をこれだけ見易く撮れる辺りは流石。
新年からめでたい気分に浸れる映画ではないが(苦笑)、
良作でした。
<2016.01.16鑑賞>
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余談1:
「聞いたかね? 地面から油が湧いたそうだよ」
という、ニカーソンの終盤での台詞。
海上で命懸けで油を取っていた彼には、陸上で油が
取れるという話が何とも皮肉な話に思えたのだろう。
とはいえ石油採掘が加速した事で、この映画が批判する
自然軽視・営利主義的な姿勢も加速していったのかも。
余談2:
原題が『In the Heart of the Sea』なのに
邦題が『白鯨との闘い』とはこれ如何に。
とはいえ、原題のままだと名著『白鯨』に関連する
映画だという点を日本の観客に向けてアピールする
には難しいと判断されたのかねえ。
原題をどう訳すか考えてみるとなかなか難しい所。