「後味の濃い作品」大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院 sannemusaさんの映画レビュー(感想・評価)
後味の濃い作品
印象に残る映画って、後から後からゆっくりじんわり来る。本作もそういう種類の作品。
もっとも厳しいといわれるグランド・シャルトルーズ修道院での修道士たちの静かな生活を撮ったドキュメンタリー。
静寂で素朴な日常になぜか懐かしさを感じた。
季節が変わっても 同じように繰り返される祈りの毎日。
同じような毎日の映像のリフレインを観るうちに、私もこの繰り返す祈りや季節の中にゆっくりゆっくり取り込まれるような感覚。
聖書のフレーズも、同じ言葉が何度も出てきて強調される。
不思議な体験だった。
修道士たちは想像していた以上にごく普通の男たちだった。
スキーもするし、ごはんも食べるし、薪割りも最初は下手だし。
ただ、圧倒的に祈りの時間、神との対話の時間が長い。
祈りの間、何を考えているんだろうか とかいろいろ思いを巡らせながら観察していた。
この修行スタイル、仏教の禅にも通じる。
静かと言っても、生活音もあり物音はするし外の音も聞こえるし、静寂の中で響く生活音は、私の耳には割とうるさく感じた。
印象的だったこと
●礼拝堂の天井がものすごく高く、祈りの声の心地よい響きが気持ちよくてトランスしそう。
本作に備えてたっぷり寝たにも関わらず仕事終わりの疲れて集中力も切れた頭ではあちら側につれて行かれることもしばしば。。
でもそれも心地よかった。笑
●週に一度の休息日・会話が許される日の修道士たちの会話の中での「我々は象徴なのだ」という言葉。
自分と神との会話(祈り)を続けるだけの毎日で、最終的にも信者たちに神の道を説くわけでもない彼ら。
意地悪な見方では、何のために?何の役に立つ?何の意味がある?と問いたくなるけど
彼らは神の存在を心から信じ、尊び、自らは信者を統率するための象徴であることを自覚し、求められる通りにふるまう。
その姿勢やありかたが日本における天皇のそれとも重なった。
●盲目の修道士が語る「神」
神は限りなく善。
すべての出来事は人々をよりよく導くために起こる。
私が盲目に生まれついたのも私の魂をよきものにするため。
神とは究極に自己肯定してくれる存在?
日本人の宗教観とは異なる「神」という存在についても考えさせられる
うとうとしすぎたので、せっかくなのにもったいない気がして、、鑑賞直後は仕事で疲れた頭で見る映画じゃなかったかな、と後悔したけど
今思い返してみると気持ちのよい体験だったような気もする。