チョコレートドーナツのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
登場人物全員がキュートで魅力的。
5歳年上のダウン症の女の子が近所にいて、その人のことを思い出した。保育園のときから一緒に遊んでた。私が高校にはいってから通学バスでよく会うようになって色んなことを話しながら帰った。上京してずっと会っていないけど、元気にしているのだろうか。
私は天然ボケとよく言われる。不思議ちゃんとか。私からしたらそう思うあなたの方が不思議だ、と思ってしまうことがあるが、、、そんな経験のある私はダウン症とか、ゲイとか、そういう人が世の中の「普通」な人に後ろ指さされる辛さが想像できる。私よりずっと辛いのはわかっている。
こんな世の中に負けまいと必死に生きる3人。応援してくれる人も中にはいるが、結局世の中の大きな波はマルコと二人をバラバラにしてしまった。いつになってもこういうことは絶えないのかもしれない。皆が努力を続けなければ。
もう目を覚ますべき。いつまでこんな世の中を繰り返すつもりだ。
これは漢気の映画なのだ
本当は自分はこうしたいのだけれど、今は世を忍ぶ仮の姿。ルディとポール、二人のゲイはそのようなものを抱えて生きている。
他人に迷惑をかけない程度に思ったことを口にし、気持ちにそぐわないことはしない私には想像を絶するストレスである。
ポールはゲイであることを隠しながら仕事をしなければならないし、ゲイとして生きているルディにしたって、本当は歌いたいのに、仕事は口パクショーのドラッグクイーン。
逮捕されたシングルマザーの一人息子はダウン症のマルコ。ゲイの存在そのものが法律で認められていなかった時代には、この子を家族として引き取りたいという二人の願いはそのまま社会への異議申し立てとなった。
彼らの戦いは最初から勝ち目がない。しかし、「男なら負けると分かっていても戦わなければならない時がある。」(キャプテンハーロック)と同義の言葉が、彼らの弁護士の口からも出てくる。
「正義などない。そこから戦いが始まる。」自分を守ってくれる正義などない。被害者の顔さえすれば誰かが助けてくれるような甘い現実ではない。
そのことを知ったときから人の戦いが始まる。
あえて言う。漢気という言葉が現代社会にも有効だとすれば、彼らの挑戦こそ漢気を示しているものに他ならない。男であることを捨てている二人のゲイが、男の中の男でなければ挑むことなど出来ない、負けると分かっている戦いに挑むのだ。
いくつかの同性愛を扱った映画を観て、いつも熱いものを感じる理由がここにある。どうしようもなく女好きのスケベである自分が、ゲイの映画を観て熱いものを感じて共感するのはなぜか。
彼らの社会への異議申し立てには味方が期待できない。それでも自らの尊厳を賭けて戦わなければならない。そこに挑戦する勇気。
たまたまマジョリティーの側にいる自分が、なにかの拍子にマイノリティーになることがあるかもしれない。その時に、自分はこの勇気を持つことができるか。戦えるか。その問いを突き付けられている気がする。
涙など流してはいられぬほどの彼らの無念、自らへの厳しい問いを感じた。
78点
せつないね。
最後死んじゃうのはつらいね。
実話ならではのストーリー。
泣けなかった。
泣けるように作られてないのだったら
涙が欲しいんじゃなくて事実を
訴えたいんかなって思う
マルコ可愛すぎた
タイトルなし(ネタバレ)
ラストの歌声が、すごく力強くて、そして寂しそうに大好きな家族の家を求めさ迷うマルコの後ろ姿が印象的で、胸がしめつけられて苦しかった。
今でこそ差別が少なくなってきたものの、まだまだ世界には差別がある。
大切な家族を守りたいそれだけなのに、人と少し違うからという理由だけで引き離されてしまう。マルコの幸せを一番に考えるべきなのに、そう何度も訴えかけるのに。ひたすら悲しくてつらかった。改めて差別について考えた作品でした。実話を元にされてるということ、昔はもっと差別がひどかったんだよなー。
ドーナツ食べたい
温まる
実話と知って
嗚呼、やっぱり有象無象の人間に対して
自分の主張を通すのは、こんなにも難しいんだと。
誰も味方は居なかったんだな、と。
リアルで残酷で、でもそれは日常で。
自分達の都合しか考えなかった大人達が正当で、
他人とはいえ子供に対して健気で真っ直ぐな大人が不当だと淘汰される。
率直な感想は、
ただただ「どうして、都合の話ばかりするのか?」と。
目に涙
観終わった後も
実話に基づく‥‥
人間が好きなだけで良いんじゃないのかな?
別にゲイだって、それはそれで人間が好きな訳だし、ダウンちゃんだって人間です!
happyendを期待しただけに、この時代は許されないし、理解がないのかな‥‥
ちょっと悲し過ぎで、涙が止まらない(笑)
人間の愚かさの象徴
なんて人間というのは愚かな生物なのだろうか。
主人公がゲイバーで働いていたのは、ゲイバーで働くぐらいしか自分がゲイであることを隠さずに生きて行くことができなかったからであり、それが原因となりマルコは死んだ。
ただただ自分たちとは違う部分を持っていて、その違う部分を理解できないが故差別するということを人類は歴史上何度も繰り返してきた。
共通点の多さには気付かず、互いのささいな違いに嫌悪して、差別を繰り返したくさんの人が死んでいった。
こんな事件があっても、あの判事や弁護士たちは何事もなかったかのように仕事を続けていくのだろう。
このような映画を見るたびに同性愛者への差別がいかに原始的で理論的でない下劣な行為であるかがよく分かる。
同性愛者を差別するような人にはなるまい。
観ない事が偏見かも。
現在でもあまり変わらない
理解できない相手を理解しようとする努力
辛すぎた。。。
救いようのないエンディング。誰も幸せになれない。
結末知ってたら観なかっただろうな。
この映画が2014年に作られたっていうのが印象的。こんな差別があったんだよ酷いよね、で終わらせちゃいけないよっていうメッセージを感じた。こういう時代があったことを知っておかないといけない。「世の中の大勢と違う」ということが、その人を差別する正当な理由になった時代。数十年の間に世の中はずいぶんいい方向に変わったんだということも。ルディとポールとマルコが今の時代に生きていたら、どれだけ伸び伸びと人生を謳歌できただろう。誰か彼らを今の時代に連れてきてよって思う。
悪役として描かれた2人の判事、マルコの公選弁護人、ポールの上司。権力を持っている人間こそ柔軟でなければならないのに、現実はそうはいかない。鑑賞中は本当に胸糞悪かったけど、自分は絶対にああじゃないって言い切れるかどうか本気で考えると、自信が持てない。もし自分がこの時代に生きていて、ゲイじゃなかったら、それでもちゃんと公平な思考回路を持てただろうか。
当時の世の中において「ゲイ」ってどんな存在だったんだろう。
理解できない存在?道理に反する存在?異常な存在?
そのどれであったとしても、あそこまで激しく嫌悪して人格否定する理由にはならないと思うんだけど。どういう思考回路だろう。
例えば今、私が裁判官の仕事をやっているとする。
そこに“明らかに周りと違う” 二人の人間が現れて、この映画と同じことが起こったら、私はどういう風に感じるんだろう。
極端に言えば、シューシューって青い煙を吐き出しながら逆立ちして歩く人間だったら?
あるいは去年まで火星に住んでいた、石を食べる人間だったら?
例えが悪くてよくわかんなくなったけどとにかく自分の常識が全部ひっくり返るほど見たこともない相手だったら?
驚く。固まる。あまりに理解しがたい状況だから警戒もするし、きっとものすごく慎重になる。でも、即座に全権利を否定するようなことはしちゃいけないって踏みとどまるだけの理性は持っていたいと思う。それって、想像以上にすごーーーーく難しいことなんだろうけど。長い物には巻かれた方が楽だし、たぶん今の私は往々にして巻かれてる。それ故きキープできてる平穏もある。日常生活ではそれでも構わないかもしれないけど、流されていることを自覚しておかないと、無意識に心ない差別をしてしまうのかも。
そんなこんなで、この映画を観て私が感じたのは、「世の中には本質的にクソな人間がいるから人生はうまくいかない」ということじゃなくて、「いったん根付いてしまった考え方や風習に逆行して生きるのは本当に難しいことなんだ」ということだった。悪役の人たちも根本的に嫌な奴なわけじゃないと思うんだ。逆行するという選択肢を持ち合わせていなかっただけ。
差別って今もいろいろ残っていると思う。国会で黒人は奴隷民族だとか言った議員もいたし(あの人嫌いじゃなかったのに幻滅)、女性にだけ離婚後100日間の再婚禁止の法律があるし(妊娠の可能性があるから?だったら男性にも責任があるんだから平等に禁止すればいい)。それでも今は世の中の人の多くが、型に嵌らなくてもいい、人と違ってもいい、という考えを持っている。多様性が許されている社会どんなに貴重かを思い知らされた。
しかし、辛すぎてきっともう二度と観ないよ。。。
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