「愛情を注いでくれたチョコレートドーナツの味」チョコレートドーナツ 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
愛情を注いでくれたチョコレートドーナツの味
ゲイバーで歌手になる事を夢見て働くルディは、隣家の育児放棄されたダウン症の少年マルコの面倒を見る。恋人の検察官ポールと共に、愛情に溢れた家族のような生活を送っていたが…。
まだ同性愛への偏見が厳しかった70年代、ゲイの男性が障害児を育てたという事実に着想を得られて作られた感動作。
日本では本国アメリカ以上の評判を呼び、口コミロングヒット。
前評判の高さからかなり期待して見たのだが、こりゃ思ってた以上に良かった!
人間関係が希薄になったと言われる昨今。だが、こういう映画を見ると、人と人の関係ってかけがえのないものだなぁと改めて感じさせてくれる。
何故ルディはマルコの面倒を見たのか?…と指摘する意見もあるようだが、そんな事、いちいち説明しないといけないものなのか。
きっかけは些細でいい。ちょっと気になった、見過ごせない…などなど。そこから交流が始まる。絆が生まれる。愛を注ぐ。家族となる。
そんな関係を断ち切るのは、いつだって不条理な社会。法律、偏見…クソ食らえだ!
いや、法律は確かに必要だ。偏見も社会が健全であろうとする理由だとある映画で言っていた。
しかし、一番大事なのは、マルコにとって何が幸せか。
悪影響より、どれだけより良い影響を与えてくれたかだ。
これは見れば明らかだ。
同性愛者だからと言って悪影響という理由にはならない。惜しみない愛情を注いでくれた。ならば、あのヤク中の母親こそ悪影響だ。
理想論かもしれないが、理想を信じて何が悪い?
誰かが犠牲になってようやく気に留めるこの社会。
マルコへの愛情に満ちた眼差し、その思いを込めた歌声…。アラン・カミングは優れた実力派だ。
法廷でマルコへの愛情の熱弁を奮うギャレット・ディラハントに心揺さぶられた。
そして、実際にダウン症であるアイザック・レイバの屈託のない笑顔を見ると、こちらも幸せな気持ちになる。
二人が雇う黒人弁護士がちょい役ながら好助演。
ポールの同僚が「トガニ」の変態校長並みにムカつく!
擬似家族に偏見や差別との戦い、社会への訴え…。
個人的に、胸にグッとくる要素が多々。
温かく幸せだった日々、あまりにも悲しく悔しいラスト…。
それらを忘れない。
見る前まではピンと来なかった邦題の意味。
チョコレートドーナツは、注いでくれた愛情の味。