「【ハッピーエンドの話が聞きたい】」チョコレートドーナツ ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【ハッピーエンドの話が聞きたい】
この日本語タイトル「チョコレートドーナツ」は、オリジナル・タイトルより、なんか好きだ。
僕も、マルコのように、ハッピーエンドの話が聞きたい。
マルコが求めていたのは、何も世界最高のハッピーではなくて、チョコレートドーナツを食べた時に感じるような幸せであったはずだ。
僕もドーナツが好きだ。
このリバイバルを観た後も、実は、クリスピークリームのプレーンのドーナツを食べた。
おいしい。やっぱり、ハッピーな気になる。
でも、今の世界は、ちょっとやっかいだ。
LGBTQに対する理解が進み、窮屈にカテゴリー化するのを見直して、呼び方をSOGI(=セクシャル・オリエンテーション&ジェンダー・アイデンティティ)に替えるような動きがある一方、ダウン症の人が映画作品に出たりすると、感動ポルノだといって批判を浴びたりもする。
そして、批判の先鋒に立つ人に限って、実は差別を助長するようなことを言う人だったりする。
なかなかコミュニケーションが簡単ではないダウン症のはずなのに、この作品のマルコは、心の動きがとても豊かだ。
演技だといえば、それまでだが、よく考えてみたら、ダウン症の人だって、みんなの心に訴える演技が出来るし、実は、みんな同じなのではないのかと思う。
そして、世界でもうひとつやっかいなのは、ゲイが親になろうとするストーリーに出会うと、ゲイにも母性本能とかいう上から目線の括り方をする人が結構いることだ。
人が、大人になって、子供の成長を育み、助け、そして、見守りたいと考えるのは、ジェンダレスな親でありたいという気持ちや行為のはずだ。
母性や父性という考え方も実は過去のものにしなくてはならない時が来ているのだ。
少し手間でも、ニュアンスがどうだとか、こうだとか言い訳をする前に、僕達は考え続けなくてはならない。
実話をベースにした物語だ。
このカップルは、ずっと、自分達のこと、マルコのこと、そして、社会のこと、社会システムのことを考え続けるだろう。
悪法も法だと言った古代ギリシャの哲学者もいた、
でも、もうソクラテスの時代ではない。
選択的夫婦別姓すらまともに議論できない、この国の暗い部分には辟易とするが、ずっと声をあげ続けることに意味はあるはずだ。
僕達だって、常に頭の隅に置いて、気をつけるぐらいは出来るだろう。
ハッピーエンドの話が聞きたい。
ささやかなセリフだが、これほど、優しくて温かい、そして、自分もこの話聞いてみたい、そんな気にさせてくれた映画は、かつてなかった気がする。
ゲイだとか障碍者だとか、そんな括りには当てはまらない普遍的なテーマだと思う。
そして、きっと色褪せず長く愛される作品だと思う。
この作品が世界の人々の心を揺さぶる。
世の中は、まだ、捨てたもんじゃない。
そんな気がする。
映画は静かに観たいけれど、観終わった後に、ワンコさんのレビューのように、よおく考えることはとても大切なことだと思います。
映画は、いろいろなことを教えてくれるから。考えるきっかけを、くれるから。
ホントに、いいレビューだと思います。ありがとう。