「チョコレートドーナツ🍩見るたびに思い出すのはつらいよ」チョコレートドーナツ カールⅢ世さんの映画レビュー(感想・評価)
チョコレートドーナツ🍩見るたびに思い出すのはつらいよ
泣きました。何回も鼻かみました。ぐちょぐちょのティッシュをウチで捨てて、ああこんなに泣いたんだ
とびっくりしたぐらい。
1970年代の実話にインスパイアされた脚本による映画。
ショーパブで踊るゲイのルディの夢は本当は歌手。そこへひとりでやって来たポール。彼は弁護士だった。ルディと同じアパートには薬物中毒の母親を持つダウン症のマルコがいた。養育権を争う場面では養育環境の良いポールの家が必要な二人はいとこ同士だと主張し、刑務所に入所中の母親に代わってマルコを二人で育てる。約一年間。マルコは学校に行く。環境が好転して、マルコは成長著しい。学校の先生もそう言ってだから、確か。この美人先生がルディとポールを色眼鏡で見ないところが素晴らしい。しかし、ポールの上司の家のパーティーに招かれてから二人がいとこ同士ではないことがバレて、ポールの上司のランバートが、偽証だからマルコの養育権は無効だとチクることで再びマルコは養護施設に戻されてしまう。すっかり落ち込んでしまう二人。ポールは再び養育権を法廷で争うことを決意。差別問題に強い黒人の弁護士の援助を受けて、裁判は順調に進み、学校の先生の供述もあり、ゲイカップルでもマルコの養育権を得られるかにみえたが、ランバートが裏で手を回して、母親を出所させ、無理矢理マルコの養育権を主張させる。
最後まで、ハッピーエンドになってくれることを信じていましたが、シャブ中の母親が男を部屋に呼びこむ劣悪な環境に戻ってしまう。母親と男がよろしくやる間、部屋を出される。
嫌な予感がしました。
マルコが外をさ迷ったあげく、橋の下で死んでいたと新聞の片隅に載ることで二人はマルコの死を知る。ポールはランバートはじめ、裁判に関わった司法関係者に手紙を書き、これを知らせる。「マルコはハッピーエンドの物語がとても好きでした………」法律と行政が必ずしも弱者のものではないことに対する反省を促すというより、静かに燃える抗議を込めて。でも、マルコは帰って来ない。
一番悪い(ヤナ奴)は。ポールの上司の検察官(弁護士)ランバート。最初から俗物感が強くて、キライなタイプ。あきらかにポールへの嫌がらせ。
ルディはポールからプレゼントされたオープンリールレコーダーで録音した歌をカセットテープにダビングして、ほうぼうに送っていたが、ライブハウスの専属歌手の話しが決まる。
原題は Any Day Now 。いつかきっとという意味で、Bob Dylanの I Shall Be Releasedの歌詞から付けています
Any Day Now, Any Day Now, I Shall Be Released.
こんなに力強いのに悲しい I Shall Be Released は初めて聴きました。
映画で泣くのはただ悲しいとかではないです。悔し涙が大部分かな。
弱者、世間からはみ出したものが、体制の圧力や横暴によって不幸な結末を迎えたときが多い。
I Shall Be Released がかかるともう100%です。
昔(戦前、戦後)はダウン症などの障碍を持つ子供が道端で飢えで野垂れ死にすることは当たり前にあったらしいです。マルコの死に顔には何本も涙のスジがあったことでしょう。そうゆうことが、○○保護法とか制度でサポートされている今日でも、ありうるかもしれません。法律、条令の効力を発揮するには何が重要か。この映画は教えてくれます。また、原理原則だけでは融通がききません。たまになら夕食にチョコレートドーナツたべてもいいんです。邦題とてもよいです。
最近、草薙剛のミッドナイトスワン観ましたが、この映画の影響はものすごく大きいと思いました。
ルディ役のアラン・カミングはこの映画出演の後、堂々とカミングアウトできたそうです。