ふしぎな岬の物語のレビュー・感想・評価
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「思い出」と「妄想」は、無関係代名詞。
映画「ふしぎな岬の物語」(成島出監督)から。
う~ん、作品としては・・が鑑賞後の感想だった。
女優・吉永小百合さんのファンにとっては、
役柄がどんな設定であろうが、満足なのかもしれないが。
そんな状況ではあるが、メモした台詞の中から選ぶとすれば、
「肩を壊さなければ、甲子園に行けた」とか
「昔、俺、学級委員だった」と、事実無根の妄想を口にする
阿部寛さん演ずる「浩司」に、恩師が笑いながら呟いた台詞。
「はぁ?」と、ややオーバーアクションで振り返り、
「君ね『思い出』と『妄想』は、無関係代名詞。
つまり、Whoとwhichの関係、わかる?understand?」、
と続けた。(その意味すら分からなかったが・・)
教え子をからかいながら、さすが学校の先生らしい教え方で
その表現が光った。
「関係代名詞」という単語、意味は忘れてしまったが、
一番苦手だった英語の表現として、記憶に残っている。
単に「思い出」と「妄想」とを、ごちゃごちゃにするな、
それとこれは、まったくの無関係だ、の表現でいいのに、
敢えて「無関係代名詞」という、意味不明の単語を使う。
私も、今度、使わせてもらおうっと。
P.S.
作品中「~青年団フォーク愛好会のみなさんでした」の紹介で、
ど田舎のステージで歌を披露するグループが、上手すぎた。
メンバーをエンドロールで確認したら、
「杉田次郎、堀内孝雄、ばんばひろふみ、高山巌、因幡晃」
上手いわけだよなぁ、これだけ揃えば。(笑)
ふしぎな店とおまじない。
吉永小百合が主演する作品はだいたい想像がつくので、
今回は誰がこのヒロインのお相手役なのかしら?と思えば、
おぉ!阿部ちゃんか。さすが時の人を持ってくるなーと感心。
今や常連?となった鶴瓶も、今回はお相手役になるのか。
さすが国民的大女優。サユリストといえば、タモリを筆頭に
昭和の男性陣に多いだろうが、本当にいつまでも美しく若い。
この人と高倉健は、もう映画に出てくれるだけでオッケイ!と
いう存在なのだろう。役と実際の素が入り混じる部分も多い。
私的に近年の作品はどれも退屈なものが多く(ゴメンなさい)、
あーまた小百合さま映画か。と思うんだけど、彼女にしても
若い頃のようには役柄に幅を出せない女優の苦労があり、
選択肢というのも年々少なくなってきているんだろう。
だから今回の、企画から参加という乗り出し方も理解できる。
まだまだやれる。という頑張り方が性に合っている気もする。
若手もベテランも彼女を囲んでいい雰囲気で撮ったのが、
作品自体から伝わる。もちろん悪は存在しないし、起伏にも
欠ける。常に予定調和の大団円になってしまうのは仕方ない。
訪ねてくるお客にいつも優しい店主の悦子。世話が焼ける甥の
浩司に面倒をかけられるも、追い払うことなく見守り合っている。
恋心を抱くというから、赤の他人だと思っていた浩司が実は甥
だったという、え、こりゃまずいことにはならないか?と心配に
及ばぬ事情が、ずっと後半の悦子の独白シーンで語られるが…
彼女が彼女らしい攻めの演技を魅せるのはこの一回きり。
吉永小百合という女優が、しっかりと往年の演技力を発揮し、
観客にアピールする場面があって本当に良かったとは思うが、
何だか物語の設定上(ややファンタジー)不気味感が漂う場面。
劇場は超満席。高齢者がやはり目立っていたが、彼女が念願の
世界映画祭で審査員特別賞グランプリという栄誉を受けた作品。
その心意気を受け容れて観てもいいと思う。
(劇中歌を歌うブラザーズ5が実に豪華。私はそこだけ大感動)
思いやり
人って思いやりで生きてるんだなと改めて実感した。阿部さんは外さないな。安定しているし引き込まれる。徳さんが亡くなって、みどりの泣くシーン。理由が納得感ないから、感情移入できなかった。いい演技だし、いいシーンなのにもったいない。
岬で、彼女が見つめているもの
映画の冒頭で、吉永さん演じる「えっちゃん」が、水を飲み、「生きてる」と言った。吉永さんの透明な美しさが際立つシーンであると共に、なぜそれほど「生」を求めているのかがわからず、引っ掻くような違和感が残った。
物語の終盤、自らの「死」に瀕した(という表現でよいのかわからないが)彼女の、縋るような目、その必死さと無色透明さを見て、あぁ、そうだったのかと、とても腑に落ちた。彼女はいつも「死」の近くにいた。それは夫であり、姉であり、両親であり、取り残される自分自身の「死」だ。
常に「死」が傍らにあるからこそ、彼女はあれほど、「生」を慈しもうとしていたのだと思う (まるで賽の河原の石積みのように) 。それはとても美しいが、同時に息苦しい。
冒頭、「夢遊病者」と彼女を表したコウジの語りは、非常に的を射ているなぁと、振り返って感心した。彼女は半分以上、死に身体と心を投じながら、それでも必死に生きていたのだ。
コウジが毎夜カンテラを振り、守っていたのは、テルオでなく、えっちゃんだったのではないかと思う。コウジは本能的に死を感じながら、強烈な生の中に生きていて、えっちゃんが死に近づきすぎることから守ろうと、暗い夜の海で命の火を灯し続けていたのではないだろうか。コウジ、いい男。
色々な生を生きぬいてこられた、役者さんたちの魂がキラキラ光る作品だった。
同時に、死を見つめる吉永小百合さんのぞっとするような美しさに目を奪われ、引きずりこまれそうな恐怖も感じた。
正直あれほどの「死」を抱えたえっちゃんが、この先、生きて行けるのか、やや心配になってしまった。できるなら、映画の中でも仄めかされていたように、暖かで素朴な「生」を醸し出しておられる方の側で、生きていかれて欲しい、と願う。
(いや、えっちゃんが実在しないことはわかっているが、えらいこと入れ込んでしまった)
鑑賞後、涙がぼろりと溢れた。
感動というよりも、「それでも、生きねばならない」ことの、なんとも言えない悲哀と哀悼と、慈しみの涙を、吉永さんや映画そのものから、分けていただいたように思った。
長々つらつら書いてしまったが、出会えてよかったと思える映画でした。
機会があれば、ぜひご鑑賞あれ。
(蛇足だが…深い抑鬱のただ中におられる方は、鑑賞に少し注意された方がよいと思う)
よくわからなかったです
昨日試写会で観ましたが、この映画は何を言いたかったのかがわからないというのが感想でした。何回も考えましたが、やはりわからなかった…受賞した作品なので、この良さがわからない自分の感性は…と落ち込むほどでした。
けど、しばらくすると、過去にとらわれず前に進もうということを描いているのかなと思いました。それぞれが人生の中で出会うクライシスに、誰かの助けをかりて乗り越えていくこと。そうすれば新しい未来がみえる。
あまりにもラストあたりに、大事なことを詰め込みすぎて、理解するのに時間がかかった気がします。
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