ふしぎな岬の物語のレビュー・感想・評価
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攻める吉永小百合。
いまどき珍しい映画である。エキセントリックなストーリーが最近の身上だが、本作にはストーリーらしいものがない。 岬にたたずむ喫茶店。悦子(吉永小百合)がひとりで経営している。 甥の浩司(阿部寛)が喫茶店のそばの小屋に住んで悦子を守護している。 タニさん(笑福亭鶴瓶)は30年来の常連。 と、これらは役者の柄がものをいっている設定である。 繊細な映画を目指していたはずだから、細かいところで違和感があった。 コーヒーを入れるための水を、離れた島に汲みにいく。そこで、水は生きている。やさしくそっと扱って、と悦子はいう。その悦子が道端に咲く小さな花を2輪摘む。花の命は? 親しい人たちが去っていくなか、岬の喫茶店が火事になる。 放心状態になっている悦子の気持ちはよくわかる。だが、そんな人が鍋にお湯をわかすだろうか。 そういった傷も終盤の吉永小百合の長セリフが全部さらっていく。 受けの芝居が素晴らしい吉永小百合。本作でも大半が受けである。この終盤だけ攻めに転じる。成島出監督の演出も吉永小百合の攻めを際立たせる。惜しむらくは、途中で阿部寛のアップを入れてしまったことで、上がっていたこちらのテンションも下がってしまった。 吉永小百合が自分で企画までしてしまったわけだが、難しい類いの映画になってしまった。 のぞみちゃんのエピソードをもっと押し出せば、となるとまた別の映画になってしまうか。 吉永小百合にはもっと映画に出てほしい。
思いやり
人って思いやりで生きてるんだなと改めて実感した。阿部さんは外さないな。安定しているし引き込まれる。徳さんが亡くなって、みどりの泣くシーン。理由が納得感ないから、感情移入できなかった。いい演技だし、いいシーンなのにもったいない。
残念。
もっとやり方があったのではないか。ご都合のいいことばかりてんこ盛り。話の展開といい、歩み寄る演技、セリフの間など、映画というよりは昭和的美観で作った平面演劇。 唯一救いは竹内結子の号泣シーン。ありきたりのシーンだが、秀逸な演技。
いろんな想いが交差する、ステキなカフェの人間模様。
【賛否両論チェック】 賛:小さな村の人間模様を描く中で、ずっと叶わない恋心や、疎遠だった親子の絆の修復、死別した家族への想いなど、様々な傷が癒えていく様子が温かい。 否:後半の主人公の言動は、前半と比べて違和感が大きい。若干のホラー的要素もあるか。 何組もの家族が登場してくる、どちらかといえば群像劇に近い印象です。何十年も悦子を想い続ける、浩司やタニさんの切ない恋心。最初は口も聞かなかった徳さんとみどりが、徳さんの病気をきっかけにまた1つになっていく親子の愛。そして母を失った少女や、悦子自身の亡き夫への想いなど、様々な人々の心が交錯し、重厚でいて温かなドラマを作り出しています。反面、後半の火事のくだりは、少しやりすぎ感というか、重すぎて前半とのギャップに面食らうかも知れません。 ただ、泥棒にまで温かい言葉をかけてあげられる悦子の人間性は、観ていてとても爽やかな気持ちになります。少し人恋しくなった時に、是非オススメです。
心あたたまる
海と花畑に囲まれた土地で繰り広げられる、人間模様を主人公柏木悦子(吉永小百合)中心に描いた作品。岬の突端でカフェを営むえっちゃんのもとには里の住人が毎日コーヒー目当てに集まる。甥の浩司(阿部寛)は何でも屋を営みながらえっちゃんを見守ってきた。 穏やかな日々に変化が起こり始め、さらには岬カフェが火事で消失してしまう。 えっちゃんが孤独でさみしかったと語る場面は心に残った。人はだれも孤独を怖れるもの。幸せそうに見えてもだれも心に闇を抱えているもの、と教えてくれた気がする。 えっちゃんの言う 大丈夫だよ の言葉も暖かく心に焼き付いた。穏やかで良い映画でした。
シミジミよかった・・・
なんともいえない後味…。歳がいくと、だんだん人生の終りが有限であることを実感するようになる。サヨナラだけが人生だ、とは誰のセリフだったか…でも、別れることが、必ずしも絶対の終わりではない、終りが次の始まりだったりもする。この作品はその機微に向き合うことを勧めてくれているのかも知れない。生きることは、悲しい。辛い、怖い。人間は、トドノツマリ、孤独になればたいそう弱い生き物なんだ。小百合さんが演じた役割を、私も少しでも私の身近な生活の中で演じたいものである。いい作品を有難う。
岬で、彼女が見つめているもの
映画の冒頭で、吉永さん演じる「えっちゃん」が、水を飲み、「生きてる」と言った。吉永さんの透明な美しさが際立つシーンであると共に、なぜそれほど「生」を求めているのかがわからず、引っ掻くような違和感が残った。
物語の終盤、自らの「死」に瀕した(という表現でよいのかわからないが)彼女の、縋るような目、その必死さと無色透明さを見て、あぁ、そうだったのかと、とても腑に落ちた。彼女はいつも「死」の近くにいた。それは夫であり、姉であり、両親であり、取り残される自分自身の「死」だ。
常に「死」が傍らにあるからこそ、彼女はあれほど、「生」を慈しもうとしていたのだと思う (まるで賽の河原の石積みのように) 。それはとても美しいが、同時に息苦しい。
冒頭、「夢遊病者」と彼女を表したコウジの語りは、非常に的を射ているなぁと、振り返って感心した。彼女は半分以上、死に身体と心を投じながら、それでも必死に生きていたのだ。
コウジが毎夜カンテラを振り、守っていたのは、テルオでなく、えっちゃんだったのではないかと思う。コウジは本能的に死を感じながら、強烈な生の中に生きていて、えっちゃんが死に近づきすぎることから守ろうと、暗い夜の海で命の火を灯し続けていたのではないだろうか。コウジ、いい男。
色々な生を生きぬいてこられた、役者さんたちの魂がキラキラ光る作品だった。
同時に、死を見つめる吉永小百合さんのぞっとするような美しさに目を奪われ、引きずりこまれそうな恐怖も感じた。
正直あれほどの「死」を抱えたえっちゃんが、この先、生きて行けるのか、やや心配になってしまった。できるなら、映画の中でも仄めかされていたように、暖かで素朴な「生」を醸し出しておられる方の側で、生きていかれて欲しい、と願う。
(いや、えっちゃんが実在しないことはわかっているが、えらいこと入れ込んでしまった)
鑑賞後、涙がぼろりと溢れた。
感動というよりも、「それでも、生きねばならない」ことの、なんとも言えない悲哀と哀悼と、慈しみの涙を、吉永さんや映画そのものから、分けていただいたように思った。
長々つらつら書いてしまったが、出会えてよかったと思える映画でした。
機会があれば、ぜひご鑑賞あれ。
(蛇足だが…深い抑鬱のただ中におられる方は、鑑賞に少し注意された方がよいと思う)
ほっこりする
いろいろな人生の節目に行きたくなる店というのが分かります。 それにしても、人生の辛さを抱えながらも、優しさを湛えて強く生きてる人物を演じる吉永小百合さんは、絶品ですね。北のカナリアでも思ったけど。
失うばかりが人生か?
非科学的、非現実的であり得ない話の連続は理解に苦しみ辟易してくるが、それをラスト8分くらいでひっくり返そうとする展開。 主演の吉永小百合さん。 正直言ってこの人、いい人過ぎて後に明かされるような過去を生きてきた人にはとても見えないし、どれだけいい人なんだよ!?ってツッコミ入れたくなる。 サユリストの方が読んだら、怒られるだろうけど、主役として魅力的じゃないと思う。 主役が魅力的でない映画の面白さは半減だ。 人生は失うものが多い。 長くいきればなおさらだ。 しかしまた新たに尊いものを得ることができる。 人はそのためにだけにでも生きていく価値があるのだろう。 というファンタジー映画として観なければ、とても耐えられない。 成島監督はどうしたのだろうか? 思い通りに作れなかったのか? 次の作品に期待したいと思う。
よくわからなかったです
昨日試写会で観ましたが、この映画は何を言いたかったのかがわからないというのが感想でした。何回も考えましたが、やはりわからなかった…受賞した作品なので、この良さがわからない自分の感性は…と落ち込むほどでした。
けど、しばらくすると、過去にとらわれず前に進もうということを描いているのかなと思いました。それぞれが人生の中で出会うクライシスに、誰かの助けをかりて乗り越えていくこと。そうすれば新しい未来がみえる。
あまりにもラストあたりに、大事なことを詰め込みすぎて、理解するのに時間がかかった気がします。
焙煎映画。
阿部寛が演じる浩司がキャラ立ちしすぎていて違和感。 邦画独特の王道の展開、ベタでクサいお話だったが、 吉永小百合の慈愛と孤独を含んだ憂い帯びた声による存在感を中心に据えた生と死を生きぬいてゆくドラマは胸に温かいものを残してくれる。 お彼岸を感じさせるような浄土を想起させる再生の物語。 亡き夫への思い、気付いていた浩司の気持ちなどを消化して、人生の味わいを深めて澄んだ表情へと転化させる岬カフェをめぐる終盤の事件はまるで"焙煎"。
北の国から?
ドラマ北の国からを2時間にギュッと凝縮した感じ。吉永小百合を軸にいろんなエピソードを詰め込んだ感は否めないが自分が企画しただけあってこの映画に対する意気込み静の気迫には圧倒された。途中からチラチラと阿部寛が田中邦衛にみえてきた。
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