「岬で、彼女が見つめているもの」ふしぎな岬の物語 kinakonekonokoさんの映画レビュー(感想・評価)
岬で、彼女が見つめているもの
映画の冒頭で、吉永さん演じる「えっちゃん」が、水を飲み、「生きてる」と言った。吉永さんの透明な美しさが際立つシーンであると共に、なぜそれほど「生」を求めているのかがわからず、引っ掻くような違和感が残った。
物語の終盤、自らの「死」に瀕した(という表現でよいのかわからないが)彼女の、縋るような目、その必死さと無色透明さを見て、あぁ、そうだったのかと、とても腑に落ちた。彼女はいつも「死」の近くにいた。それは夫であり、姉であり、両親であり、取り残される自分自身の「死」だ。
常に「死」が傍らにあるからこそ、彼女はあれほど、「生」を慈しもうとしていたのだと思う (まるで賽の河原の石積みのように) 。それはとても美しいが、同時に息苦しい。
冒頭、「夢遊病者」と彼女を表したコウジの語りは、非常に的を射ているなぁと、振り返って感心した。彼女は半分以上、死に身体と心を投じながら、それでも必死に生きていたのだ。
コウジが毎夜カンテラを振り、守っていたのは、テルオでなく、えっちゃんだったのではないかと思う。コウジは本能的に死を感じながら、強烈な生の中に生きていて、えっちゃんが死に近づきすぎることから守ろうと、暗い夜の海で命の火を灯し続けていたのではないだろうか。コウジ、いい男。
色々な生を生きぬいてこられた、役者さんたちの魂がキラキラ光る作品だった。
同時に、死を見つめる吉永小百合さんのぞっとするような美しさに目を奪われ、引きずりこまれそうな恐怖も感じた。
正直あれほどの「死」を抱えたえっちゃんが、この先、生きて行けるのか、やや心配になってしまった。できるなら、映画の中でも仄めかされていたように、暖かで素朴な「生」を醸し出しておられる方の側で、生きていかれて欲しい、と願う。
(いや、えっちゃんが実在しないことはわかっているが、えらいこと入れ込んでしまった)
鑑賞後、涙がぼろりと溢れた。
感動というよりも、「それでも、生きねばならない」ことの、なんとも言えない悲哀と哀悼と、慈しみの涙を、吉永さんや映画そのものから、分けていただいたように思った。
長々つらつら書いてしまったが、出会えてよかったと思える映画でした。
機会があれば、ぜひご鑑賞あれ。
(蛇足だが…深い抑鬱のただ中におられる方は、鑑賞に少し注意された方がよいと思う)