「太っちょ豚には敵わない」思い出のマーニー よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
太っちょ豚には敵わない
主人公が初めて入り江の水に足を入れる場面。実写映画でカメラがパンするように画面が水平に動く。これを見た瞬間、この監督がアニメーション的な演出というよりは、実写映画のそれを志向していると感じた。
宮崎駿の躍動感、浮揚感をアニメ映画に期待すると肩透かしを食うだろう。アニメーション市場は今や子供だけでなくあらゆる年代、さらに言えば世界中に拡大している。市場が拡大すれば、これまで観客として想定しきた層とは別の層を対象とした作品が生まれてくるのが必然であろう。市場が変化し、アニメーション制作の担い手が代わっていくジブリの努力が垣間見える一作。
物語のテーマは明確。思春期の少女の人生との和解である。
幼い時に両親や祖母を亡くした杏奈は、周囲への懐疑心が強く、家庭や学校で溶け込めずにいる。ひと夏を北海道の田舎で過ごし、空き家となっているはずの大きな屋敷にいるマーニーという金髪の少女と出会う。夢ともまぼろしともつかぬこの経験を通して、彼女の認めがたい不幸な境遇から自分を解放することは、相手を赦すことであることを知るのだ。
この赦しの契機は映画の中で様々な形でもたらされるのだが、中でも「太っちょ豚」のエピソードがいい。滞在先の近所に住む気の進まない相手とお祭りへ行くのだが、その近所の少女に対して、こともあろうに「太っちょ豚」と侮蔑の言葉を投げつけてしまう。しかし、ここではその相手は杏奈に対して、「はい、もうおしまい。」と手を差し出すのである。この年頃の少女にしては随分と寛容な取り計らいではないか、大人ならそう思うところであるが、居たたまれない杏奈はその場から逃げ去ってしまう。
お互いの行き違いの末にマーニーを赦すことになり、ようやくにして自分を残してこの世を去った両親や、現在の養父母への赦しの気持ちが芽生える。だが、「太っちょ豚」との別れ際でも、杏奈は彼女の寛大な言葉に応えることができない。「こんどはちゃんとゴミ拾いしろよ。」とは、祭りの後片付けを放り出して消えた杏奈を非難しているのではなく、来年の夏もまたここに来るようにという「豚」ちゃんからの招待なのだ。最後までこの太っちょ豚の度量には敵わない杏奈。この負けを認めることもまた、人生を豊かにするものなのだけれど。