「主人公の心の振り子が身につまされて…」家族の肖像(1974) KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
主人公の心の振り子が身につまされて…
私の若い頃、片想いをしていた女性の
大好きな作品だったので、
今年閉館した岩波ホールで
ひとり鑑賞した苦い想い出の作品。
しかし、
ヴィスコンティ作品としては初めての、
しかも若い頃の鑑賞だったこともあり、
当時は、その難解さに
全く理解が及ばなかった記憶がある。
今、何十年ぶりかでこの作品を再鑑賞する
について、
内容も描写もほとんと忘れており、
ほとんどが絵画のある部屋での
話の展開だったような気がしていたので、
教授の上階が白いモダンな部屋に改装されて
いたシーンなんて全く記憶の外だった。
全般的な家族テーマとは別に、
終盤の右派左派ディスカッションについても
たくさんの示唆に富む台詞が出てきた中で、
「左翼の実業家がいる?」には
至極考えさせられた。でも、
富の再配分には左翼的思想が良さそうで、
ならば両者の利点をミックスしたらと
考えていたら、
斎藤幸平の「人新世の資本論」の本が
思い出された。
しかし、この作品の本筋は、
「結婚は家族のため、離婚は自由のため」等の
台詞もあった、
“孤独と家族”や
“孤独への希求とそこからの解放”等に関する
それぞれの交差についてなのだろう。
孤独を愛しながらも
主人公の台詞を借りると、
それが怖くなったり、
主人公の家族の喪失感は、
たくさんの「家族の肖像」画のコレクション
からは元より、
ドミニク・サンダの母と
クラウディア・カルディナーレの妻への
追想シーンの演出からも垣間見れそうだ。
そして、結果的には、
孤独からの解放を夢見ながらも、
主人公は激しい時代の変化にも
あがらえずに亡くなってしまう。
私も年を重ねる中で、
これまでの関係した方々とのお付き合いも
徐々に面倒に感じ、一人読書や映画鑑賞が
心地良く感じてきている一方、
確かにこの作品の主人公のように
他人との関わり合いの減少に
喪失感も身につまされる今日この頃
ではある。
たくさん失い、たくさん手放して、静かに人生の秋を味わおうとしている老人の元に、招かれざる客=闖入者たちが引っ掻き回しに来る・・
そういう物語でしたよね。
僕の来し方、いろいろ波乱はありましたが、おそらくは「もうひと山」何か騒動があるんだろうなぁと、こういう映画を観るとため息をつきながら思います。
最後の試練はあの世への”餞別“なのでしょうか?(笑)