「「母の日」にこれ観るとか、それ失敗でしょ!オクラホマの毒親物語。人喰い鬼子母神」8月の家族たち きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
「母の日」にこれ観るとか、それ失敗でしょ!オクラホマの毒親物語。人喰い鬼子母神
メリル・ストリープ出演作、集中鑑賞月間。
運送業の僕。
ここのところカーネーションの宅配便を毎日数百ケース、運んでいる。
「母の日」なんですよねー。
メリル・ストリープ
鬼気迫る演技で、冒頭から引きずり込まれます。
― “肉を食べる民族”は違うなぁと思いますよ、あれ見てると。
日本で、同年代の女優を思い浮かべても、彼女らは歳をとって枯れていくばかりで、ああいったタイプはまだ存在しませんね、
木と紙の家に住み、ヒジキと米を食べて育っていると、八千草薫や加藤治子は生まれても、間違ってもメリル・ストリープは誕生しないのかもしれません。
正常と異常が、夜嵐の空を流れる暗雲のように去来し、
正気と薬物中毒の顔は、突然まだらに交錯する。
「私に1錠」
「娘たちのために1錠」
愛と狂気に迫られて、母は2錠のクスリを自身の口腔にぶっ込む。
悲しみ、怒り、嘘、
甘え、依存、諦めと、われわれが持っている喜怒哀楽=特にマイナスの感情と病変のすべてを、121分間、これでもかこれでもかと スクリーンに叩きつけくれるわけで。
こちらも鎮静剤を飲まなきゃやってられない。
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母親が娘夫婦と孫を呼びつける映画と言えば、最近ではカトリーヌ・ドヌーブの「告白」が思い出される。
⇒冷たく素っ気なく娘夫婦を突き放すカトリーヌの母親像と、対してこちら青コーナーのメリル・ストリープは、娘への徹底的な干渉、挑発、そして場を一にする人たちの心身を侵蝕。毒親の彼女は肉弾戦の破壊工作をこれでもかとやってくれる。
どちらの映画も、娘たちにとってはあれは実の母親なわけで、簡単に割り切って縁を切るわけにいかない母と子なんですよね・・
「母の日」にこれを鑑賞した僕は、ちとメンタルをやられています。
反抗期の孫娘ジーンは、おばあちゃんちで、一部始終、大変なものを見てしまったわけで、阿鼻叫喚の家族の有り様に硬まっているこの子の将来が、僕はホントに心配だ。マリファナぐらいなんだ。それくらい許してやってほしいよ。
そしてジュリア・ロバーツ、
・何をしてもいいが私より先に死ぬな
・生き延びて!Survive!
・わかったわね?ときつく娘に念を押すあのジュリア・ロバーツ。痩せてやつれた長女の横顔と孤軍奮闘ぶりには胸打たれた。
長女であるジュリア・ロバーツに向かって同じく長女である母メリル・ストリープが宣告する
「人は曖昧の中に生きているの」
「曖昧さ無しで生きているのはバーバラおまえだけさ」
「お前がいればパパは死ななかった」
なんというとどめを刺す言い方。
叔父夫婦も問題あり。妹たちもそれぞれ破れを背負っている。
映画は語る、すべて暑さのせいだと。
鑑賞後、
いま観た地獄絵図を呆然と思い出してみる。
そして、個々のやり取りではなく、ドラマ全体を大きな塊として俯瞰してみる。
なんだろな・・
みんなも非道いけど、もしかしたら、あの一家の中で、あのお母さんが一番理性的で、思いやりと慎みがあって、みんなの苦難を受け入れた優しい人だったのではないかと
ふと思った。
・
辞書引けば「肉体」なりきカーネーション
マサシさん
評価が分かれる中での共感、ありがとうございました。
激しい語調の中にも、とても冷静に本作を分析なさるマサシさん。
さすがだなあと思い、レビュー読みました。
世の中が変化し、価値観や家族観がどんどん変わっていくと、こういう一昔前の映画への捉え方も変わりますよね。
この“違和感”は、一昔前の過ぎし時代と今の時代の両方を生きた=二つの時代を俯瞰出来る我々に特有の感じ方かも知れません。つまり、古い社会の価値観が残る「時代劇」と、未来にむけて演じられる新世代のための「現代劇」の両方を生きているからこその我々の反応。
この映画は、そこんところが分かる鑑賞者に向けて、生理的嫌悪感や、心情への撹乱を引き起こす事も狙っていたかも知れません。
他方、まったく新しい世代の若い人たちにとっては、この映画はまた別物に映ってくるのでしょうね。
映画は生物ナマモノですねぇ。