「暴力肯定のために与えられた歪んだ正義」アクト・オブ・キリング CRAFT BOXさんの映画レビュー(感想・評価)
暴力肯定のために与えられた歪んだ正義
1965年9月30日、インドネシアで起きたクーデター未遂を鎮圧したスハルト少将。後にスハルトが大統領にまで上り詰めるが、その過程で、クーデターの黒幕は共産党だと断定され、共産党の関係者、労働組合員、中国人など100万人以上が殺害された。しかし、こうした虐殺について国内で批判される事はなく、むしろ虐殺の実行者たちは、インドネシア国内で成功者・実力者となっており、賞讃さえされていた。この虐殺事件の真相に迫るドキュメンタリー映画が本作である。
本作が、虐殺の実行者たち自らの撮影などによって展開される事に驚きがある。このリアリティは、まるで87年の『ゆきゆきて、神軍』の迫力を彷彿とさせる。
殺人=暴力を肯定するために実行者たちには「社会正義のために」という理屈が与えられる。虐殺の実行者たちは、共産主義を迫害することが正義であるという大義名分によって、虐待から数十年を経た今でも、自らの行動が正しかったと主張する。
しかし、本当に権力を得ている人間、実行者を陰で操っていた人間たちは、その歪められた理屈の危うさを理解している。途中、副大臣が撮影現場で「今のシーンは我々のイメージを悪くする」と指摘しているが、彼らは虐殺が国際的に非難される事がよく理解できているのだ。
主人公は若い頃からハリウッド映画が好きだった。そうした素養があったからこそ、映画の展開が進み、当時の虐殺を正面から見つめ直して行くうちに、自己嫌悪に陥っていく。しかし、それが理解できない仲間達……。社会の脆さがここに表されている。
登場人物たちの歪められた正義は、しかし他人事ではない。
彼らは「アメリカはイラク戦争のとき、『大量破壊兵器がある』と嘘をついてイラクを攻撃した。しかしそんな事実はなかった。戦争の勝利者が正義を決める」と指摘する。
アメリカも、インドネシア政府を支持し続けてきた日本も、けっして対岸の火事の他人事として片付けてはいけない事を本作は我々に突き付ける。