「右も左も東も西も」アクト・オブ・キリング 小二郎さんの映画レビュー(感想・評価)
右も左も東も西も
1965年に起きたインドネシア9・30クーデターとその後の虐殺。本作は虐殺の加害者側に取材したドキュメンタリー。
--
1965年といえば、インドネシアの国連脱退(イギリスとの対立)があり、アメリカのベトナム北爆開始があり、アルジェリアのクーデターがあり、中国文化大革命の端緒となった年だ。
それら諸々の流れに影響を受け、また影響を与えた事件だった。
国際的な因果だけではなく、インドネシア国内においても、政治的対立・経済的格差・宗教・文化・人種など様々な要因が絡んだ事件だった。インドネシア共産党(PKI)関係者等が虐殺された理由も一つではなく、地域ごとに異なっていた。
この映画では、それら国内外の因果は描かれてはいない。本作を観て、史実が分かる訳ではないと思う。
ただ、この事件を、知らないor忘れたor忘れた振りをしている人々に、思い出させるには、充分インパクトのある映画だったと思う。
—
この映画の中で、アディ・ズルカドリ(虐殺の実行者)の言葉が印象的だった。
ある新聞記者が「(殺害が)こんな風に行われているとは知らなかった」と言う場面がある。それに対し、アディは「知らなかった筈はないだろう。我々は隠してなかったのだから」と答える。
あくまで新聞記者に対してのセリフであるが、50年近く忘れた振りをしてきた諸外国に対しての言葉のようにも思える。
虐殺があった事は、当時、日本を含めた諸外国でも報道されている。それにもかかわらず、各国黙認してきた。
1960年代の東西対立の中で、インドネシアが反共に舵を切ったこの事件は、西側にとって、渡りに船だった。だから、黙認というプロパカンダをし(英)、PKIの殺害リストを提供し(米)、洪水被害の名目で当時インドネシアへ資金援助(日)したのではなかったか。
西側だけではなく、中国も、事件前PKIに資金や武器を援助して親密以上の関係だったにもかかわらず、虐殺を逃れて中国側に亡命してきたPKIや華人に冷淡だった。
右も左も東も西も、知ってたのに知らない振りをした事件。
この事件を掘り起こせばインドネシアのみならず自国に都合の悪い事もポロポロと出てくるからだ。
本作は、インドネシア(映画に写っている側)への告発でもあり、忘れた振りをしてきた各国(この映画を撮ってる側&観客)への告発でもあると思った。
—
この映画の中で、主役の隣人スルヨノ氏も、とても印象的だった。スルヨノ氏の継父は虐殺事件に巻き込まれ殺された。「誰も助けてくれなかった」と笑いながら泣きながら訴える。いまだ表だって当時のことを批判できない。だから笑いながら遠慮しながら言う。そして加害者と被害者が隣り合って暮らしている現状。
皆が忘れた振りをして、やり過ごしている影で、殺されても笑うしか無い人々が居るという残酷さ。
私は、スルヨノ氏のシーンが一番辛かった。