わたしの名前は...のレビュー・感想・評価
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監督の自己満足的なカットがふんだんに盛り込まれた中で、そこに中盤か...
監督の自己満足的なカットがふんだんに盛り込まれた中で、そこに中盤から間延びさ加減が加わり退屈に感じた。が、嫌いではない作品。
エンドロールの間にピートの心情を思い返していたら、切なくて涙がでてきた。
後味がすっきりしない
試写会で観ました。
ある女性の回想録で、
人生に絶望したトラック運転手と、
父親に性的虐待を受けた少女の物語です。
服飾デザイナー、アニエス.bの監督作品。
アニエスの服は素敵だけど、映画はどうかなぁとあまり期待せずにいたら、意外に脚本も映像も良く出来ていました。
ただ、後味悪い映画でした。
一番気になるのは、父親と娘の関係修復の場面でした。
父親は、もうあんなことしないと誓い、少女はすんなり受け入れ、抱っこされます。
性的虐待は、繰り返すものだと言われていますし、子供の身体と魂をも深く傷つけるものです。簡単に解決することはないと思うのですが…。
結婚して子供を授かるまでに、大変な苦悩があったはずなのに、何も描かれませんでした。
誰にも言えず、家族の絆を大切にすることを選ばざるを得なかった社会環境を問題にしたかったのなら、もっともっと女性の苦しみを描いたらと思いますが…。違うのかな?
その点が、すっきりしない映画でした。
ドラマとして何があるというわけではないが、 この映画には映画でしか表現出来ない世界がある。
ドラマとして何があるというわけではないが、
この映画には映画でしか表現出来ない世界がある。
フランス中西部の港町からノルマンディーの北の港町へ、
巨大なコンテナを輸送する孤独なトラック運転手と、
失業中の父親に虐待され家出した少女がいる。
映画だと言っても意味深い言葉はない。
名前もない。
あるのは、
赤、あか、朱・・・
冷たい雨に輝く夜間街灯の眩しさ、
雨上がりの夜明けの暖かい日差し、
小鳥の声に包まれた草の上の昼食・・・
そう、なぜかアントニオ・ネグリがいる。
波
世界的に有名なファッションデザイナー、そしてシネフィル(映画狂)としても名を馳せるアニエス・ベーが、本名であるアニエス・トゥルブレ名義で描く、初監督作品。
映画評論家、そして映画へのあふれんばかりの情熱、愛をもった語り口で指導者としても多大な功績を残したアンドレ・バサン。彼の理念に共感し、師事したフランスの若き映画人達が作り出した映画制作運動、それが言わずと知れた「ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)」である。
既成の映画理念を叩き潰し、本来あるべき映画の姿を多彩なテクニック、モンタージュをもって模索し、観客に提示した作品群。この個性の爆発に映画館で出会った観客の衝撃はいかほどだったか。今、想像しても胸が躍る。「始まる、始まるぞ!映画が始まるぞ!」と喝采をやまない市民の熱狂が、聞こえてきそうだ。
さて、本作の作り手であるアニエス・トゥリブレが世界に問うてきたブランド「アニエス・ベー」は、パリのエスプリをファッションに落とし込み、洗練された世界観が人気を集めているが、その一方として洗練を鮮やかに裏切る、パンキッシュな精神もデザインに同居する事で、唯一無比のストーリーを描く事に成功する事で、この世界的な評価に繋がっている。デザイナーとしての緻密な才気を支える、既成概念を超えていく反逆精神こそ、このブランドの源泉だと私は考えている。
だからこそ、映画作りに並々ならぬ愛着を持ち、資金面で支援も続ける彼女が手掛ける本作は、無難なドラマであってはならなかった。彼女の芸術であるとともに、ブランドのコンセプト表現の一環でもあろう本作は、冒頭から物語の常套を踏襲しながら、不穏な違和感を随所に織り込み、観客の不快感を呼び起こす。
あえて描く普遍性という縦糸に、唐突なジャンプカット、解像度とカメラを入れ替えて困惑されるモンタージュ、理解を拒絶する言葉の応酬という横糸を織り込み、演出していく世界。まさに、彼女のブランドとしての基本姿勢を、そのまま映画という形で実践したアニエス印の奇天烈な語り口。
もちろん、個々のテクニックは既成のものであり、驚きはない。だが、この観客の不快感を生み出す感覚は、あえてゴダール、シャブロル、マルの映画運動が見せた「今を疑え」とする生意気な暴力への、武骨なまでの敬意がなせる業だ。映画を愛し、同時に映画を底なしに疑うアニエスの、現代フランス映画、はては現代映画界への彼女にしかできない「ヌーヴェル・ヴァーグ」となっているのだ。
物語として、高い水準で納得させる演出になっていないという向きもあろう。いや、むしろそのご指摘は正解だ。納得されては、むしろ困る。「ああ、良かったね」で済むような作品は、恐らくはアニエス・トゥルブレには不本意な評価だ。「心に刻み込む、不快感でも、残るものを」作る。観客に、嫌われるのもまた歓喜の結果だろう。
興行というテーマのもと、無難な設計図で無難に生まれては消えていく悲しき現代の映画達。そんな不幸な子供たちに、やんちゃな暴走という喜びを、爆発を、進化を!一人の映画好きなデザイナーの主張は、その服作りと同様に、世界を熱狂されられるのか。
波は、来ている。後は、あなたが乗るだけだ。
期待してなかったのだが
デザイナーの初監督作品ということで意味不明の変な作品じゃないのかとちょっと不安に思っていたが杞憂でした。いや、所々片鱗はあったか...でも許容範囲でした。
話としてはまず父親の糞っぷりがとにかく目に付きます。働きもせず、
家事育児を長女にやらせ、その長女に性的虐待という糞っぷり。そこから逃げるためにトラックに潜り込み運転手と2人で旅をする訳なのですが...。最初はなぜ運転手は誘拐まがいの行動を...と思ったのですが、彼も何らかの理由で家族を失い落ち込んでいて、少女を娘のように思ってしまったのかもしれない。最後、誘拐暴行容疑で逮捕され黙秘したまま自殺するのですが、少女と出会わなかったらもっと早く自殺していたんじゃないかと思いました。黙秘も少女を守るためでしょうし、すれ違った父親をにらみつける姿はなかなか印象的です。
なんにせよ誰も少女と運転手を理解しないもどかしさがあり口惜しいです。タイトルになっているように名前を聞かれても言えない、でも運転手を呼ぶ少女を見てカウンセラーは何とも思わなかったのだろうか。
最後に、全身白塗りの日本人ダンサーの踊りは、うーん私にセンスがないためさっぱり分かりませんでした。インパクトはあるのですが何を表現していたのか全然です。
感想は、「Hmmm、、、」という感じ(苦笑)。
私は、フランス映画というのは基本的に「分かりあえない」と思っていて(その割によく観ますが)、予めそういうスタンスで観ています。
で、この「Je m’appelle Hmmm…」も、、、やはりそうでした(笑)。
他のレビューアーのかたも書かれていますが、カメラワーク、登場人物ももっとシンプルでよかったのに、とか思うし、
あのエンディングは、、うーんという感じでした。(パパは無罪なのか?!)ピーターは結局謎の人物だったなぁ。良い人だったけれど。。
ウォーボーイが出てきます。 日本のお守りもちらっと出てきます。 ト...
ウォーボーイが出てきます。
日本のお守りもちらっと出てきます。
トラックの運ちゃんと女の子のロードムービーという事前情報のみで観に行ったら、なんだかいちいち面倒くさい映像の羅列でした。主演2人の演技が良かっただけに残念です。
疑問は残る
時間の流れはゆっくりなのに映像がスキップしたり、速回しになったりセピアになったり…何を狙ったかわからない演出もチラホラ。ロードムービーと言うよりファンタジー?都合の良い展開も含めて常に違和感があったけど…全ては回想だからと言うことね。
ピーターの終盤の件は納得いかないかな。
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