「ピクサーの志と愛を感じるアトラクション映画」ファインディング・ドリー 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
ピクサーの志と愛を感じるアトラクション映画
ディズニー系映画(「ディズニー映画」と言明しないのは、ディズニー映画とピクサー映画は厳密に違うからだ)では、密かに「障害者」を描くことがよくある。「アーロと少年」の主人公である恐竜アーロには明らかに障害があったし、そもそも片ヒレが小さいニモも身体障害者だ。そしてドリーも「何でもすぐに忘れちゃう」という表現でオブラートに包んでいるが、実際にはドリーもまた「障害者」なのは明らかである。これは「ファインディング・ニモ」の時点ではうっかりすると見落としてしまいそうな要素だ。脇役としてドリーを見たとき「忘れっぽい」のは喜劇的な個性であったし、言い換えれば道化師役だと思われがちだからだ。しかし彼女を主役に持ってきた時、その特異な個性を背負いながら生きることがいかに困難で厳しい現実かについて向き合うことになる。「ファインディング・ニモ」が公開された2003年と今年2016年という13年の月日による、「障害」の概念の多様化も相まって、少女ドリーがただの道化師ではないことがより理解されやすくなった。そんな今だからこそ、13年の月日を経て改めてドリーが主役に躍り出たのはある意味真っ当なことのような気がする。日本以上に多様な人種・民族・宗教で成り立っているアメリカという国で良質なアニメーション映画を作り続けているピクサーならそのくらいの志を掲げていても何ら不思議ではないと思う。しかもドリーを障害児だと特別扱いすることもせず、ちょっとユニークな少女として最後まで温かく見守っているところにも、ピクサーの愛を感じる。
いやはや、そんなことは気にしなくても映画は楽しく作られている。3Dで鑑賞したが、まるで遊園地のアトラクションを楽しむかのように海の中の映像を視界で泳ぎ回り、物語をワクワクしながら見進めた。オリジナルの世界観を壊すことなく、ファニーでユニークでかつ感動的で思慮に富んだ内容に大満足だった。あまりにうまく行きすぎな「旅」の物語だが、アトラクションとして楽しめば良い。(そういえばピクサーの映画は「旅」の物語が非常に多い)
劇場で隣に座った少女たちが声を出して笑いながら、その奥に座っていた母親らしき女性がしきりに涙を拭っていた。横目にその様子を見た時、この映画は大成功だなと思った。