アデル、ブルーは熱い色のレビュー・感想・評価
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何処がカンヌに響いたのか?
長い…長すぎる!それだけで☆−1。
映画好きが「フランス映画」と聞いて「ウヘェ…」と思う、正にそんなステレオを体現した一本。
涙鼻水を惜しまず、体当りのラブシーンを演じた主演二人には最大の敬意を払いながら。
作品のテーマも伝わりながら。
ただその長さで台無し…
稚拙で冗長な演出。
無駄としか思えないカットの多用。
3時間級の映画を、過去観たことが無いわけではないし。
LGBT映画が苦手なわけでも無いし。
ただ、直近で観た「トランスフォーマー」よりも長く長く…
「チョコレートドーナツ」よりも心に響かない…
主役の独り、アデルが典型的な「クレクレ雌」なのも興醒めで共感出来ないのもマイナス。
全ての引き鉄を引いておいて「私、悪く無いもん!どうしたら良いっての?!」
なんて態度を最後まで貫かれてもねぇ…
自らを客観的に見られない人間に、同情も出来ないし、今後も推して知られるよね。
性差の前に、思考のフラット化が関係構築には必要不可欠と思い知る一本でした。
余韻残りまくり
自分も実はレズビアンなんじゃないかと思わせるほど、二人の女の子が美しくて魅力的でした。
確かにストーリーは単純で何気ない会話に3時間でしたが、見応えタップリで飽きませんでした。
終始アデルの表情、髪の毛、口半開き等々引き込まれっぱなしでしたし、エマの流し目やちょっと男っぽい雰囲気も魅力的でした。
性描写もドキドキしましたが、やはり美しかったです。羨ましい…
うまい!でも、まあうまいけど。
うまい!と思った。いろんなカットのカメラ割りなどすごい。画面の使い方がものすごくうまい。
そのシーンの殆どがアップのシーンだから引きのショットがものすごく活かされるし、そのアップも微妙に使い分けてて、今一番身近に置きたい人をより大きくする。だから、エマが出てくるまではアデルがほとんど一番大きく映されているが、エマ登場からは二人の大きさがほとんど同じように映されている。
人間は画面の左側にいる人間に対しては親近感を抱き、右側は離れた存在として感じるらしいが、カメラ位置を動かすことによって微妙なその辺で人間の機微を描こうとしていることに感銘を受けた。
特に終盤ででてくるシーンはとてもよかったので必見。
そしてカメラで言えることは、この映画のものすごく肉感的な印象だ。どんなシーンをどんなカットを見ても肉々しい。
演出もそうだが、カメラのせいもきっとある。
この映画はおそらくデジタル撮影なのだろう。今までデジタル撮影には否定的だった私だが、この映画のデジタルはあり!
マジでアリ!
フィルムは綺麗だが、綺麗過ぎて夢を見ているような気分になる。
デジタルなら、そこはもう少し抑えられていて、より現実味のある映像が出来上がる。
デジタルってこういう使い方があるんだと初めて感じた。
もちろんこの映画に言いたいことが無いわけではない。
カンヌが絶賛したというセックスシーンは確かにとても生々しいものであったし、色加減もなんだかとても美しかったけれども、この感じを日本人はもう既にAVで体験済みで、カンパニー松尾などはこれくらいのトーンのものを作っているように思う。
そして、その焼き直しくらいにしか思えなかった私は寝てしまった。
好き嫌いで言えばエマというキャラクターについても独善的であまり好きではない。
自分を認めてくれそうな人のことを天才と呼んでしまう辺りとかなんだかうわーってなって、女のいやなところを見た気分がした。
嫌な部分を見た感じがしたのはアデルも嫌な感じがするシーンはあった。
まあ、その辺は演出がとてもうまいのだと思う。
ただ、まあこんなもんじゃないんですか感は否めない。
風立ちぬの方が個人的にはずっと好み。
観ないと損ですよ
エマの語る実存とは生きる意味に覚醒すること。アデルは動物的欲望によって食べて、生殖し、眠る人間。他人を尊重せず、欲望のまま、時間に流され生きている。それがエマとの別れの理由でもある。そんなアデルが実存に気付く個展シーンは必見。個展を後にするアデル。欲のままに生きる映画俳優の声はもう届かない。もちろん恋愛映画としてもトラウマになりそうな傑作。
ちなみにエマが尊敬するサルトルは、労働者階級の解放こそが人間に残された最後の救い、という言葉を残している。それはこの映画そのもの。
とても美しいがあまくない
きらきらしたガールミーツガールものかと思いきや、さにあらず。
とても美しいがあまくない、厳しい物語。
主演のアデル・エグザルコプロスとレア・セドゥはもう恐ろしいほど素晴らしい。
それにしても、2度のパーティの場面。
生きている人々の中で自分だけが空洞を抱えたブリキ缶のような、
どれだけ動こうと繋がりも機能もしない感覚。
いつもすぐに記憶に蓋をしてきたあの光景をスクリーンで観るとは思わなかった。
劇場を出てからも否応なくフラッシュバックする。
参った……。
出逢いと別離は、熱いブルーの色。
さしたる疑問も挟まず、何となくありきたりで、普通の生活を営みながら、でも、「これ」じゃないんじゃないか、とぼんやり思う。
月並みを望みながら、何処かで強い変化を待っている。
安定を願いながら、時には激しく揺さぶられたい自分も居る。
平安を欲しながら、何故か自滅を選択している。
笑っていたいのに、いつも無意味に泣いている。
本当は満たされたいのに、どこまで行っても満たされない。どっちを選んでも泣いている。どっちを選んでも情緒不安定。
誰が悪い訳じゃない。誰かが間違ってる訳でもない。
これが人生。
彼女の歩んだ数年間。アデルの生きた人生の軌跡。
出逢いと別れは、いつも熱いブルーの色。
さすがパルムドール
というべきものでした。なんといっても主人公アデルのあの生々しい感情を生み出して、捉えてて、3時間に渡って興味を持続させてることがすごい。だって描かれてる事自体は女同士というのを除くと大したことない普通の出来事だから。
裸は確かにいっぱいでてくるけど、それよりも冒頭から終わりまで俳優(主にアデル)をメンタル的に裸になれてる、させてる演出は、やっぱり素晴らしいと思った。加えて、確かにセックスシーンというスペクタクルというか見世物はあるけど、最後のカフェでの生々しいやりとりをみれば、それは重要なモチーフだとわかる。見世物で3時間やってるわけでもない。
観ながら、やはりロメールとユスターシュの国だなということを再認識した。
はい。
この頃、世間で評判の良い「衝撃的恋愛映画」は自分にしてみると、はい。としか言い様のないことが続いてガッカリ。私が歳を取ったということなのか、10~20代(だったと思う)に見たべティブルー程の衝撃はなく…。
でも安定性職業が、奔放が、というギャップや食べるということ、女優の熱のこもった演技、効果的なブルーの使い方、など目を引く所も。人が熱烈な恋をして、その“普通な”結末が描かれている。ベッドシーンはAVのように濃厚だった。女優魂に感服。
こういうのは踏み絵だから怖いね
アカデミー賞と違って、パルムドールなので、
単にLGBTの過激な恋愛映画ではないんだよね。
日本の配給会社がこの映画を理解してないのか(苦笑)
「仕立て屋の恋」の時もそうだったけど、
最初、日本向けの予告編を見た後に、
本国のフランス版を見て愕然とした覚えがある。
同じ映画なのに違うとこ見てんのね。
なんでアデルがスパゲティをくちゃくちゃ
食ってるシーンがあるのか?
ご丁寧にナイフまで舐めてるし(苦笑)
凄く分かり易いと思うんだけど。
初めてフィリピンに来た時、
フィリピン人たちの衣食住などを見て、
これと大体似たような思いをしたものです。
フィリピンの場合はカネだけで知性は関係ないので、
例えば、ペッパーランチに年寄りを連れて行って、
店員に「おまえが混ぜろ」なんて平気で言いますから。
しかしね、
欧州人たちがテツガクしてる暇があるのは、
他方で炊事洗濯をする人々がいるからなのですよ。
アデルとかフィリピン人とかね。
対してつい最近までの日本人に教養に費やす暇があったのは、
炊事洗濯をするマシンを作ったからですね!
その日本も確実に格差社会に向かってる訳なので、
まぁ学生の時に「第二の性」ぐらいは読んでおくとか、
ハリウッド映画ばっかし見ないとか(苦笑)
結局(ヨーロッパでは)性差よりも身分差の方が、
より根源的だったというのが私の読みです。
LGBTについては、好きだという権利があるのなら、
嫌いだという権利も欲しいものです。
生理的にダメなものはダメってことで2点(苦笑)
あのブルーが 目に焼き付いてる
○同じ女性として、演技とはいえ
ここまで晒せるのが凄い。
セックスシーンも、大号泣も。
○映画の尺が長い。
途中「このシーン、カットで良くない?」
と思うところがあった。
(私がお子ちゃまなのかしら)
(ヒロインに同調出来る方には
長くないかも知れない)
○色彩がきれい。
タイトルも手伝って、
未だあの青が目に焼き付いている。
上映時間約3時間
上映時間が長く、眠気との戦いがありました。そしてセックスシーンも長く、心の中でもういいよと思っていた自分がいました。
アデルに感情移入していらっしゃる方もおり、その人たちは泣きながら鑑賞していました。
しかし自分は残念ながら誰にも鑑賞移入をすることがなかったため退屈だと思ってしまいました。切なさを残して終わるようなラストです。その後の行く末を自分で考えてハッピーエンドかそうでないかが決まる作品だと思います。
斬新な愛情表現
さすがにパルムドールを受賞しただけある見応えのある映画だと感じた。特にアデルとエマがけんかするシーンは見物。アデルの懇願し謝る表情の描写と演技。エマの押さえようのない怒り、罵声。それどもどうにか許しを請うアデルの演技は、本当にリアルで素晴らしかった。他の場面でも台詞が哲学的でとてもおしゃれな感じがする。
誰にも見せない女子の姿
セックスシーンが評価されてるのかもしれないが、まぁそれは置いといて。
女の子として共感できる部分が結構ある。
食べ物をくちゃくちゃ食べたりがつがつ食べたり
だらしなくベッドで寝たり
気になる人が近くにいれば他の事はどうでもよくなってしまったり(友達よりも恋人)
女の子っていうのそんなにキレイなもんでもなく開けっぴろげで不潔に思える姿もあるし、本当ワガママでむかつく生き物だよね。うんうん、と思った。
友達にも恋人にも会わないで1人でいるときの女子なんて結構こういう感じ。欲望を全部出せば女子ってこんな感じ。(実際はそれを出すことが難しいけども)分かるーって思ったり分かりすぎて自分を見つめ直す3時間になる映画。
アデル、エマ役の演技が抜群に上手い。アップのカットで必要に二人の表情を追うシーンが多いが、好きなのか違うのかどうするのか分からない、どうしようっていう葛藤が本当に伝わってきて「ああー!分かるけど辛いこういうの!」って叫びたくなった。
エマが本当にかっこいセックスシーンが評価されてるのかもしれないが、まぁそれは置いといて。
女の子として共感できる部分が結構ある。
食べ物をくちゃくちゃ食べたり
だらしなくベッドで寝たり
気になる人が近くにいれば他の事はどうでもよくなってしまったり(友達よりも恋人)
女の子っていうのそんなにキレイなもんでもなく開けっぴろげで不潔に思える姿もあるし、本当ワガママでむかつく生き物だよね。うんうん、と思った。
友達にも恋人にも会わないで1人でいるときの女子なんてこういう感じだよね、って思える映画です。
しかし、アデル、エマの演技が抜群に上手い。アップのカットで必要に二人の表情を追うシーンが多いが、好きなのか違うのかどうするのか分からない、どうしようっていう葛藤が本当に伝わってきて、アデルも涙目で、「ああー!分かるけど辛いよねこういうの!」って叫びたくなった。
エマが本当にかっこいいので好きになってしまう気持ちが分かる。
二人のインタビューがあればぜひ読みたい。
熱く激しい恋
同性同士のセックスシーンが話題になっていたのでもっとエロティックな作品なのかと思っていたら…あるカップルの出会いから別れまでを描いたフツウの恋愛映画でした。
ただ、運命の相手が同性だったというだけ。
しかし、同性同士の恋愛についてタブー視したりことさら強調したりという描写はなく異性の恋愛と変わらない描き方をしていたのがよい。
だからこそ同性同士のセックスシーンが際立ったような気がする。
そしてどちらかというと何事にも冷めているようなアデルがエマに向ける情熱的な視線が印象的。
アデル役の女優さんの唇半開きのぽかんとした表情もかわいかった。
何年かけて撮影したのか、あどけなかった顔つきが終盤には大人っぽく美しいものに変化しており少女から大人への成長(精神的にも肉体的にも)を目の当たりにできたのも貴重に思えた。
アデルにとってのブルーは情熱の象徴。
出会ったときのエマの髪の色、愛を交わすベッドのシーツの色、そして自らがまとうドレスの色…。
3時間と長い作品だけど久々に情熱的な恋愛映画でした。
激しい渇望の描写に麻薬的に填りそうになる怖~い作品
最長7分に及ぶフルヌードのレズシーンは圧巻!しかも長々と絡むシーンは3回はありました。ここまで激しく裸体をさらけ出して、互いを求め合う姿には、厭らしさを超えてパッションを感じました。まさに迸る情念の世界。でもタイトルに「ブルー」がつくのは、なんで?と疑問に思われることでしょう。作品のルックは、美しく繊細な描写ながらも決して根暗なブルーではありませんでした。なぜ「ブルーは熱い色」となるのか。これはラストシーンをご覧になれば納得されると思います。
ラストで主人公のアデルが纏うコバルトブルーの艶やかな衣装が鮮烈でした。この衣装の色がすべてを物語っていると思います。この服を着て、アデルはかつて激しく愛し合ったエマと3年ぶりの再会を果たすのです。アデルにとってのブルーは、髪を青く染めていたエマを象徴する色であったのです。アデルのエマとの忘れがたい強い強い思いを凝縮したかのように、画面のブルーに「熱さ」を感じずにいられませんでした。本作に於いて、耽美だけど、ブルーは熱い色となり得たわけなのです。ブルーを纏うアデルを包み込むかのように、街の色までもがブルーが強調されていて、美しかったです。
しかし、フランス映画の本作は、ご多分にもれず娯楽性を否定して、哲学しているだけに、半端な思いで鑑賞すると手痛いしっぺ返しを喰らうことになるでしょう。何しろ上映時間が長い!3時間もあるのです。その間にどうでもいいような日常生活の描写ややたら長回しで描く登場人物の心情描写が続くのです。またストーリーでも突っ込みどころ満載で、前半のヤマ場となるアデルとエマが出会いシーンは、まさかこんな偶然で出会うわけないだろうと、まさかまさかと目を凝らしていたらやっぱり出会ってしまったので愕然としました。そのシュチエーションが凄いのです。
街角の交差点で髪を青く染めたエマとすれ違っただけなのに、アデルは一目惚れ。その後もエマの幻影を求めるのです。たまたまクラスメートに誘われて、ゲイバーにでかけたものの、ひょっとしたらあの多い髪の女性と出会えるかもと思いつきで店を出て、夜の歓楽街を彷徨い、たまたま入った別のゲイバーで虚ろに目を泳がせていたら、なんとエマがいて、彼女のほうから口説いてきたのです。こんな都合の良すぎる話なんて映画の世界ぐらいのものでしょう。
まだまだあります。放課後になるとアデルの通っている高校の校門にエマが迎えにくるようになったのはいいのです。でもエマのボーイッシュな風貌から、一発でクラスメートたちは、これはレズの関係だと見抜き、アデルをいじめるのです。キリスト教社会では同性愛はタブーなので、異端視されても仕方ありません。乱闘騒ぎまで起こったのに、いつの間にかいじめはなくなってしまっていました。
アデルとエマが別れるシーンも唐突です。さらに、チョットした嫉妬心から男に手を出してしまった過ちをエマは決して許さなかったです。
こうしてストーリーを振り返った見るとき、割と監督はその場の思いつきで、ストーリーをハパッと決めているのではないかと感じました。それでストーリーが力業で強引に進んでしまったしても、それがオレの芸術なんだ、観客に媚びないのだと豪語されそうです。
そんな傲慢さを感じる作品なのに、何故だか女性の心を掴んで強く揺すぶる作品でもあるというところが不思議です。何しろ一緒に試写会に同行した女性は、号泣したそうなのです。あの衝撃的な映像の奥には、心に空洞を抱えている女性のハートを直撃して揺すぶるものがあるのでしょうか。アデルとエマがすれ違い視線を交わした瞬間から、それを見つめる女性の観客にまで、何か穴のようなものに落ちたような気分に陥り、引き込まれてしまうのでしょう。
ただし注意すべきはその心の空いた「穴のようなもの」の存在です。何が欠けているのかというと『真実の愛』なんです。『アナと雪の女王』で語られた『真実の愛』が満たされていないから、心にぽっかり穴が空き、吹雪のなかにいるように寒いのです。しかもエマは実存主義者で、キリスト教的価値感を否定して、『真実の愛』を拒絶。代わりに自分の個性を主張することで「心の穴」を塞いでしまおうとあがいていたのでした。エマにとって、タブーの同性愛にのめり込むのは、自らの個性の主張でもあったのです。しかし、真実の愛を拒絶し続ける限り、どんなに求め合っても「心の穴」という刹那は解消されないでしょう。渇愛というのは、まるで血の池地獄のように性愛に浸り続けないと、心が渇いて、虚ろで独りでいられないものです。
アデルと別れたあと、エマの髪の色がブルーから普通に戻ったとき、その反社会規範的な考え方が家庭愛のほうへ変わったんじゃないかなと思えました。
ただし、誰の心に奥にも「心の穴」は潜んでいます。ひょっとしたら、スクリーン上の“青い髪の女”と目と目が合っただけで、アデルのように虜になってしまうのかもしれません。たとえ刹那と知っていても、肉体の煩悩を忘れさせてくれる激しい快楽に浸ってみたいという渇望は否定しがたい感情です。なのでそんな未知なる感覚に取り込まれてしまうそうな、麻薬的な怖~い作品なんだと付け加えておきます。
中だるみはなかったが。。。
3時間という長編なので、途中中だるみがありそうかと思ったけど、案外展開が早く、少しは楽しく見れた。
ただテンポがいいかというよりは、高校生だったのが突然ガッコの先生として教壇に立ったり、相手と突然同棲してたり、相手が一流の画家にまでのぼりつめてたりと、せめて何か月後とかのテロップが入ってほしかった気もする。また同僚と数回寝たという告白も、映画では描き切れていない、というか全体的に省き過ぎた、長編を3時間にまとめた感があるような、総集編のような雑な構図であったのが残念か。
最後も、え、これで終わり?と不完全燃焼な終わらせ方もどうかと。
まぁ、仕方ないかもしれないが18禁にしてるならヘアーまで完全ボカシはないだろ、と言いたくなった(笑)
ラストが....
かわいい女の子とキレイな女性が恋をする。
これがキタナイわけがない!(*^^*)
ばっちい男が入り込む余地のない世界...
だが、映像は肉欲の裏側までも曝け出そうとする。
繰り返し執拗に、でも美しく表情の一つ一つを丁寧にじっくりと表現しているおかげで、感情の複雑な移り変わりが手に取るよう。
そんなわけで、ニヤけてみたり胸が痛かったりたっぷり感情移入できた。
ちなみに隣の席の女性は、超前のめり。
女性のほうがインパクトが強いかも。
だけどラストがね.....
えっ!?そんな普通な感じですか?
なんかヌルッとした終わり方。
せつない。。。
普通の民家から、これまた普通の女の子が出てきてやってきたバスに乗り込もうとする。
そんな何気ないシーンから始まる本作。
高校生アデル(アデル・エグザルコプロス)のそれこそほんとに何気ない日常が、淡々と語られる。
学校で特に問題児というわけでもなく、親と折り合いが悪いわけでもない。
ただ、淡々と過ぎ行く日常に少し物足りなさを感じていたのかもしれない。
そんなとき、エマ(レア・セドゥー)と出会う。
アブデラティフ・ケシシュ監督は、アデルとエマのセックスをかなりしつこく描写する。それもおざなりの美しいだけのシーンではなく、なにをどうしてるのかわかるようなシーンになっている。
本気とはこういうことをいう、とでも言いたげに。
だが、このシーンがあるから、のちのアデルの失意が観る者の身に迫ってくる。
エマに罵倒され、いっしょに住んでいた部屋から追いだされ、なきじゃくりながら街を行くアデルの姿には、本気で人を好きになったせつなさが伝わってくる。
男と女の話だったらここまで身に迫っただろうか。性差には幾ばくかの打算がつきもので、それでも世の人々は打算を打ち消しながら愛を語っている。
女同士の恋愛をここまで描いた功績は、やはり大きい。
アデル・エグザルコプロスは長尺の本作で出ずっぱりで、様々な表情を見せてくれる。高校生から教師まで、彼女が役柄といっしょに成長したかのようであった。
カンヌ映画祭と久々に相性が合った。
リアルな恋愛体験
主人公が恋を知って、一生懸命愛したけどうまくいかなくって、やがて別れるしかなくなった。
身も蓋もない感想ですが…そうゆうことを、描いた作品だと思います。
でも、そのふつーな筋を、印象的な映像で、語り口でどう表現するかが、芸なんですよね。作家のオリジナリティ、とも言えるのか?
好きか嫌いでいえば、好きに近いです。
楽しく(?)見られました。
アデルのリスみたいな前歯と、エマの前歯のすきっ歯が目につきました。それだけアップが多かったんでしょう。
あと、アデルの髪型ぼさぼさすぎるやろ!(それでも、様になってたけど)
+18たる所以の性描写、たしかに長いですけど、あって良かったと思います。
食べ方がきたない、は多少おもいました。アデルのおとーさんが特に。
つか、この映画に限らず、フランス映画の食卓シーンはあまり綺麗でないと思う。料理も食べ方も机も。
家庭の食文化はあんまり成熟してないんかなーていつも思うです。
アデルは、いつか他の誰かを、好きになれるのかな?と、切なく思うラストの後ろ姿でした。
本能
いっぱい描かれてた性欲と食欲と睡眠欲。同性を愛することだってそれらに並ぶくらい当事者にとってはあたりまえで自然なことですよ。
アデル可愛かった。唇の形が可愛い。
この映画見て初めて浮気ってそんなにダメなんだ…って思った。印象の「怖い」ってエマのことだからね!女の子こわい。
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