「傑作。」アデル、ブルーは熱い色 ハンペン男さんの映画レビュー(感想・評価)
傑作。
これほど深く感銘を受けた恋愛映画は数少ない。初めてと言っても過言ではないだろう。
この作品の特殊な部分としてセクシャルマイノリティの恋、異常なまでのアップと長回しの多用、必要以上に長く激しい性描写があげられる。しかし、そのどれもが只の飛び道具的なものではなく、ちゃんとした必然性がある。
まずはアップについてだが、主人公の二人のシーンでは二人の顔以外、ほぼ何も映されていない。これは二人がその時、その瞬間、他の物が見えなくなるほど相手に没頭している事を指し示すのと同時に揺れ動く感情を台詞ではなく表情で伝えるという点でも嘘臭くなくて良かった。我々観客も二人の感情を共有するために有効な手段だったといえる。また、長回しも800時間にも及ぶ撮影時間の中、あのドキュメンタリーを見ているかのような自然な演技を引き出すために必要だったと推測できる。後々長回しだったと気付くほどで違和感のあるシーンもほぼなかった。
性描写についてはなぜここまで長く見せる必要があるのか最初はいささか疑問であったが、なるほど。後半からラストのアデルがエマを激しく求めるシーンにかけて効いてくるのである。あそこまでお互いがお互いを激しく求めあっているものを長々と見せられた後に訪れる別れ。その喪失感を観客は否が応でも共感せざるを得ない。作品全体を通すと感情が全面にでた印象を受けるが、こういう部分を見ると実に緻密に計算されて作られていることがわかる。
最後にセクシャルマイノリティの恋についてだが、まず物語というのは特殊でないとならない。それは単純にそうでないと面白くないからだ。そういう意味でレズビアンの恋というのは特殊だ。しかし、この作品の素晴らしいのは、それを特殊だと押し付けがましくやるのではなく普通の思春期の恋として描いているのである。描いているのではあるが、恋愛の普遍的な部分として「相手にとって自分が唯一無二の存在でありたい」「この人しかいない」「運命」といった願望や理想がこの設定ではより強烈に浮かび上がってくる。それを違うと知った時の現実。そして、自分もその他大勢の中の1人と理解したアデルはラストカットでアップではなく引きの絵で遠くへ歩いていくのである。
もう…こりゃ最高でしょ。1週間はこの映画のあらゆるシーンが頭からは離れなかった。ここまで尾を引く作品も久しぶり。生涯の中でも忘れられない1本となりました。