あなたを抱きしめる日までのレビュー・感想・評価
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事実は小説よりも奇なり。
鑑賞出来て本当に良かった。
母は強しっていうけれど、最早強さとかを超越したもっとずっと大きな宇宙なのかな?SF映画じゃないけど、コスモレベルでのだだっ広さ・大きさ、先ず普通の人間には、到底真似の出来ない凄い事を、あっさりやってのけちゃうところも、尊敬というか神の域。(映画の内容と合わせて。)
事実を淡々と受け入れて行く、このお母さんは、やはりタダ者じゃない。
辿り着いた惨い真実にも、怯む事なくすぐさま受け入れ、罪人さえをも赦してしまう精神の強さ・懐の深さ・潔さに、静かに感銘を受けます。
何でもござれ♪な最強母ちゃん、ここにあり!と言った感じ。(ジュディは、ドヤ顔してないけども。)
最近公開された(スポットライト)もそうですが、こういう問題は昔からあったんですね。
赦すとこ
引き裂かれた息子を探し最後は衝撃を受けました
私もカトリック教徒です
協会は子供を売っていた現実
そんな酷いとこができるのでしょうか
信仰とは何かって考えてさせられました
最後引き離したシスターに向かって
私はあなたを赦します。私は恨みたくないと言いました
あなたは私が赦すことで大きな苦しみを背負う
マーティンにあなたひどい顔してるわよという場面もグッときた
日々暮らしていると赦せないとこある
私もひどい顔してるのだろうな
人を赦せる人間に私もなれるだろうか
赦すこと
ジュディデンチってすごいんだなぁ。
なんかすごく、愛おしく見えてきた。
最後に、シスターを赦す彼女と赦さないシックススミス、
「ひどい顔よ」
という言葉に、はっとさせられる。
我々は日々いろんな事に怒っていて
その対象にどうやって償わせようかと考える、
そんなとき、きっとひどい顔になってるんだろうな…と。
ひどいことをされても、相手を恨まず赦すことをしていれば
彼女のように愛しい顔になれるのだろうか。
程好く笑えて程好く泣ける感動作
これが実話と言うのですから驚きです。
修道院が50年前に行った行為も、終盤に明かされた修道院の真実も、本当なら全くもって赦されることではないでしょ・・・。
それだけでも衝撃的だったのに、それを目の当たりにした主人公フィロミナのとった行動は、ある意味もっと衝撃的でした。
事実は小説より奇なりとはまさしくこのことか。
まあ映画的には、とてもシリアスで深刻な話ながら、コメディにならない程度のユーモアが盛り込まれていて、ある種微笑ましい気持ちで楽しむことが出来ました。
フィロミナとマーティンのキャラクター設定が何とも絶妙だった印象です。
純真なお婆ちゃんと皮肉屋なジャーナリスト、この掛け合いが本当にユーモアに溢れていて可笑しいんですよね。
フィロミナに感化されて少しづつ成長していくマーティンの様子も見所の一つだったと言えましょうか。
ロマンティックお婆ちゃんっぷりが可愛かったジュディ・デンチは、さすがの演技でしたね。
しかし息子アンソニーの行方が思いのほか早く判明した時は、意外とあっさりだったなと思ってしまいましたが、クライマックスのあのシーンは、本当に衝撃、私には出来ないなぁ・・・この辺はある意味信仰の差もあるのでしょうか。
しかしよくよく考えれば修道院もフィロミナも同じ信仰を志す者、難しいものですね、信仰心って・・・。
赦す、ということ
こんなことが、赦せるのか?
って、でも、赦せなかったらどうすればいい?死ぬまで引きずりそう、心が休まることはないだろう、仕返しをする?告発する?
そう、記事にして事実を世間に伝えるのはいいだろう。個人としては赦せた方が心は穏やかになれるものなのかもしれない。これからの人生に良いことを学んだ。
感慨深いとやりきれない感がのこるな。
子供を探す旅ではあるが息子と生きて会えていないところがなんか感慨深いしかも実話やしな。信仰についても考えさせられるしな。シスターの養子に出したのも絶対悪いとは思わないしまあいいとも思わんけどね。デンチの濃厚な演技にも素晴らしい。
演じるとはこういうことなのかも…
まるでその人そのもののように思えてくる。ジュディ・デンチもスティーブン・ジョン・クーガンも。子役まで出演者すべてがその瞬間にそこへ行けば、そこにいるような気がする。
・・・なんちゃって~というような場面がない。映画の中の空気感が最初から最後まで変わらない。そして静かな音楽が寄り添うように流れる。人生は思い通りにいかないものだけれど、救いはあなたのすぐ隣にもあるのよというように。
長年の労働のあとに手にしただろう平穏な日々と家族を大切に思うどこにでもいるおばちゃん。大学などには行かなくても物事の本質をあるがままにとらえようとして生きてきた人の賢さを感じさせるセリフたち。ジュディ・デンチの寡黙な青い瞳に吸い込まれそうになった。
人にとって<許される>ことはさして重要な事じゃないのかも。表面上ではなく心から<許す>ということは意味深いけど。あのシスターはフィロメナに<許された>けれど、自分で自分が<許せる>のか。それとも自分の罪には思い及ぶこともなく生涯を終えるのか。
まるで“M”のスピンオフ映画
メロドラマ風のタイトルとは裏腹に非常に力強く、信念に満ち溢れた作品である。
未成年で妊娠したことから修道院に入れられ、生まれた息子を養子に出されたひとりの女性が50年の時を経て生き別れになった息子を探す旅に出る。母親の息子探しという目新しくはないプロットでありながら、テンポの良いストーリーとウィットに富んだ会話でグイグイと観客を引っ張っていく。
主人公フィロミナを演じるのがジュディ・デンチ。ひとつの手掛かりを基に記者のマーティンと共にBMWに乗って息子の行方を追っていく様子はまるで007の“M”のスピンオフ映画を見ているかのような気分になる。
旅を通じて徐々に明らかになる息子の行方とその素顔。時に喜び、時に感情が揺らぐフィロミナの姿は50年間会えなかったとしても母親としての愛情の深さを感じさせる。しかし、今作の特筆せねばならないところは息子探しの旅を通じてフィロミナ自身の過去の過ちと宗教的な信仰と向き合うことになる点である。
それぞれの信念が交差する結末。この物語が実話だというから最後の驚きは半端ではない。どの価値観も考え方も決して間違いとは言えないのだろうが、もし、自分がフィロミナの立場だったらと思うとあの決断はできないだろう。そんな彼女の勇気こそ“100万年に1度の結末”を生み出している。
凄い実話!
4月にある国に行き観光で修道院の中をみたのですが、一言でいって“暗い”。ガイドさんの話だと、やはりそこも昔その中で女の人が死んだとか…、あの時代ならありうるストーリーだと納得です。しかし、何故もっと早く息子探しをしなかったのだろう?残念。カソリックは厳格だとは知っていたにせよ、未婚の母になった娘を修道院に入れたり、ラストシーンでも、戒律だからと言って、母を訪ねてきた息子に対して、しかも死の直前なのに、会わせなかったなど、我々には理解しがたいし、それこそ“赦せない”のですが、当時ならではのその厳しさが伝わってきます。それなのに母のフェロミナが赦すとは、ますます解らないのですが、昔の人にありがちな理不尽でも敬虔なクリスチャンなら従うという、それなのでは!と解釈し、“人を赦すことにより自分も赦される”との解釈をも持ちました。そして内心では自分では出来なかったけれど、裕福な家庭で育てられ立派な人になれた事への感謝もあったのでは?と。しかし、息子は“どんなに母に会いたかっただろうに”が伝わってきて胸が痛んで止みませんでした。
こんな邦題なので50年前に生き別れた息子を探す母と元ジャーナリスト...
こんな邦題なので50年前に生き別れた息子を探す母と元ジャーナリストの旅というものすごい地味な話かと思いきや、クライマックスで一転して驚天動地の結末に辿り着く大傑作。ジュディ・デンチとスティーブ・クーガンがボケツッコミを延々と繰り返す軽妙さとテーマの深遠さのギャップが激しい本作が実話だというのも驚きです。
"赦す”とはなんだろうか
信仰とは、赦すとは、難しい問題ですね。
フェロミナにとってカトリックの信仰があったからこそラストで、シスターたちを赦すということができたのだと思うと余計に。
ジャーナリスト・マーティンとの戻ってくる旅は、フェロミナにとってかつて失った息子との日々を疑似体験したような気分だったのではないかしら。そしてフェロミナとマーティンのやり取りは重くて難しいテーマを描く本作の中で清涼剤のように感じました。
かつてのアイルランドのカトリック修道院については『マグダレンの祈り』を、児童移民については『オレンジと太陽』(原作小説題:『からのゆりかご―大英帝国の迷い子たち―』)、信仰と修道院については『汚れなき祈り』を思い出したのでした。
考えさせられる
実話だけに、考えさせられる映画。
宗教的な話だから考えが全く違うけど、何を持って罪と思うかどうか、それに対してどう向き合うか、罪を赦す行為の難しさ、母親の強さや50年想ってきたことが伝わる映画だった。
お母さん、ありがとう!って素直に感謝を伝えたい気持ちになる映画だよな~
今年のアカデミー賞候補作品や、最近の映画は何故か実話を基に描いているといった作品が非常に多く目立って来ている様に思う。
正に人間が頭で創り出した嘘の話より、現実の人生の方がリアルでよりドラマチックで見応え充分にあると言う事の表れなのだろうか?
時代は何か、生身の人間が日々経験した本当の生活感の有る出来事の方が、理想の生き方を描いた感動巨編より、遥かに共感を憶え、感情移入出来ると言う心境にシフトしてきているのではないだろうか?
本作「あなたを抱きしめる日まで」を観ても、これがアイルランドで現実に有った話だとはとても信じられないショッキングな出来事だ。
特に、このラストシーンでは、もしも自分がこの初老のフィロミナであったのなら決して彼女のような、勇気有る赦しをすることなど出来ないと思うのだ。
しかし、自己の人生は現実として、結果の良し悪しに無関係に受け入れなくてはならないと言う事実の現実の壁がある。
現在から50年以上も前の事件なので、今ではこんな現実は改善されているだろう事を願っているのだが、修道院と言う世間から隔離された閉鎖社会の中では、こんな出来事が起こってしまう現実があるのかも知れない。
人を救う筈の宗教が、時に人を縛り付け、裁き、傷付けてしまうなど、余りにも教義を厳守しよう試みる事で、その信仰が掲げている愛と許しの精神が、原理主義に因って退けられてしまう恐さがこの作品から滲み出ていた。
しかし、ジュディ・デンチがこの映画の初老のフィロミナを演じている事で、何故か暗く陰鬱に作品が成らずに、年老いた田舎暮らしのおばちゃんの純な気持ちが切々と観客に響いて来る立派な作品だった。
養子に出した息子にどうしても再会したくなった老婆?の心境も、アメリカに行く事になり、事態が現実化する事で不安に思う事など、様々に揺れ動く母心を余すところなく熱演している点が素晴らしい。
特にクリスチャンである自分は、信仰生活と家族、そして自分の人生と神様との関係等々様々に考えさせられるところの多い作品だった。
それにしても子供を想う母心とは有り難いものだ。母の日も来月に控えている。
貴方の大切な家族と共に、この映画を観て、家族の在り方について、家族の絆を新たに強くする為にも、この映画を未だ観ていない方には、お薦めしたい!
「おかあさん、ありがとう!」って言葉にしたくなるそんな映画でしたね!
ジュディ・デンチとスティーヴ・クーガン、ふたりの巧さに尽きる
私は、フィロミナが奪われた息子と同じ1952年の生まれだ。フィロミナと母の年齢も数歳しか違わない。現在の母親の健康状態や体力を思うと、物語となる12年前(2002年)、フィロミナが自力で息子の消息を辿るのは最後のチャンスだったといえるだろう。
ほとんどキャリアのないソフィー・ケネディ・クラークが演じる若き日のフィロミナと、大ベテランのジュディ・デンチが演じる50年後のフィロミナが違和感なく繋がる。50年間、長く胸に仕舞い続けた想いへの贖罪がテーマだけに、この女優二人によるフィロミナの時間的な繋がりは作品のデキを大きく左右する。
カトリック教徒のフィロミナは、起きたことの責任は自分にあり、すべての罪を自分が背負うタイプ。一方、彼女とともに息子を探す記者のマーティンは信仰心を持たず、皮肉屋で簡単に人を信じない。このまったく価値観の違う二人が、少しずつ打ち解けていくところが、息子の消息を解明する本筋とは別の見どころとなる。
暗い過去を背負ってはいても、ロマンス小説で100万年に一度の奇跡の出会いに心をときめかすフィロミナ。人は過去と現在を切り離して過ごせるものなのだと改めて感じる。
フィロミナがロマンス小説のあらすじをマーティンに話して聞かせるシーンが楽しい。
マーティンはギネス(ビール)が好きなキャラクターなんだと思って観ていたら、これが大きな伏線だったとは・・・。
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