子宮に沈めるのレビュー・感想・評価
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レビュー混乱
そもそも幼児虐待系映画は胸糞だけでなく、心をえぐられるダメージが大きすぎるのでなるべく避けてるのだが、タイトルが気になって視聴。
途中、何度もやめかけた。
生理の処理を雑にする事から、あぁ、夫婦仲良くないのかな〜でも次にはロールキャベツとかめっちゃ手のかかる料理を作ってる。
違和感がすごい。
旦那にもすぐに求めていくあたり、子煩悩ではなく女として見て欲しいのだろうな。母ではなく女。
暗転するたびに荒れていく情景。
妄想に逃げる娘
子供は目に見るものの真似をする傾向が
ある
特に女の子は母の真似をする。お化粧とか憧れるよね
その真似の仕方がエグすぎる。
弟の下腹部にまで唇の跡が…その行動が日常茶飯事とわかる。
泣きたいのはこっちだよ…
顔の見えない大人達。
子供もほとんど見えなくて、ちゃんと観れたのは化粧の時と粘土の時かな。
粘土を食べる時の顔。
粘土の時の表情はすごい
綺麗に整えられた身なり、山盛りのチャーハン、掴むが離れる母の裾。
あぁ…終わったな
残された子供達の行動や言動ほぼ、幸せだった時のものなんだよな〜
ママ(パパ)遅いね〜
ダメでしょ〜
幸せなら手をたたこ〜
ママも一緒〜
母が帰ってきた時、お腹すいた〜とかではなく、ママ遅いよ〜
ママが帰ってくる事を信じてたんだね。
そして、タイトル回収。
3人の子供を赤い糸?へその緒?で沈めてしまった。
まだ、かろうじて幸せだった時の赤い編み物。あれは誰のための何だったのだろう。
レビューではクソ味噌言われてるけど、映画にそこまで精通してないので細かな撮り方や演技など気にならなかったのでそこまで悪くないのでは?とは思った。
撮り方も下手にアップにしたり固定カメラで撮っているので、逆にリアルを感じた
ただ、すっごい引きずってる。
洗濯機がね…
なので良かったのか悪かったのかわからないので、とりあえず真ん中つけとく
誰しもにある部分、
柳楽優弥の"誰も知らない"を真っ先に思い出した作品だった。
連日、胸が痛くなるニュースを私たちは何度も見てきている、
なんてひどい親だ、最初から子供を作らなければ、
きっとこーゆー人は子供好きじゃない、愛情のない人なんだよ、
好き勝手にそれぞれ言うことだと思う、
でもちょうど私もこの間友達と話したが、誰しも心がぷつりと折れる瞬間はあるし、頭ではみんな暴力を考えてしまうものだと思う。それを行動に起こすか起こさないかの違いなだけで。
冒頭、専業主婦であるだろうに毎日おうちの中でスカート履いて、お化粧もして、お料理も完璧にこなしていて、、それでも子育てって"うまくいかない"もの、がつきもので、、
あくまで映画なのでそれでも美しく描かれてはいる。
その中でも、離婚後のアパートで徐々に部屋の中が雑俎と、散らかっていく日々の姿はリアルさを感じた。
子供の成長からしてほんの数ヶ月ほどだろうに。
女の子1人頑張って、いったい何日過ごしたか、のシーンでは早く誰か知らない大人たちが踏み込んできてくれないか〜と心の中で何度も叫んだ、
誰かが悪いということではない、
じゃぁ日本社会がもっと踏み込んだ法改正をすれば?と言ってしまえば解決するだろうか。
小さいところで思うのは保健所の人が定期的に家庭訪問をしてくれる環境下で、同時に児相も連携して最初から同様に話しをしにきてくれてもいいのになーと少し思った。人手はいないでしょうけども。
あと1番最後のシーン、窓を思い切り開け放して隣人から丸見えの状況にしている、
すぐ目の前に家が密集している日本の住宅地といったところ、
このシーンはなんだろう、ネグレクトや虐待している人はこうやってどうにか誰かに見つけてもらいたい、そんな心理があるのでしょうか、、
ひたすら重い。映画にエンタメを求めてこの作品を軽い気持ちで見ると痛い目を見る
実際に起きた出来事を元にして作られた作品
意味深なタイトル 迂闊に見ることはできない雰囲気を感じた。
いつもと同じく、予備知識などなかった。
普通の家庭 忙しい主婦 なかなか登場しない夫… どこにでもありそうな家庭の日常が延々と続く。
子供たちの食事から始まり、遊び、手編みをしながら夫の帰りを待つ。
セリフというセリフはなく、ごく普通の家庭の中を撮影しているように描いている。
やがて夫が帰ってきて書類を探し再びどこかへ出かけようとする。
妻の必死の呼びかけも虚しく、夫は家を出ていく。
浮気だ。
この作品、この家庭の問題がようやく現れた。
妻は離婚を覚悟し、資格取得の勉強をしながら働きに出る。
子供たちを家に残したままだ。
やがてこの女性は自宅に男を連れ込む。何をしているのか、子供は見ていた。
子供のいつもの所作が変化していく。それに母も気づく。
やがて母が帰ってこなくなった。
4歳くらいのサチは、弟のソラのためにミルクを作る。冷蔵庫のものを食べ、観葉植物さえも食べる。
やがて弟が動かなくなった。サチはマヨネーズを舐めながら生きていく。
サチの髪の毛が随分伸びたころ、ようやく母が帰ってきた。
顔にあざ。「帰ってくるのが遅いよ」そう言って母に抱き付くサチ。
「ソラがうごかなくなったよ」
女はソラをビニールとガムテでぐるぐる巻きにした。
そして風呂を入れて、サチをその中に沈めたのだろう。
手編みで作ったのはマフラーだった。
二人の子供をマフラーでつなぎ、編み棒を自分の膣の中に突っ込む。
彼女の様々な心理が複雑に折り重なった行為だろう。とても一言では表現できない。
二人の子をあのピクニックで使ったシートにくるんで、裸のまま、女はあの幸せだった頃と同じ場所から窓の外の光景を見ながら作品は幕を閉じる
これは、人間の狂気なのか? それとも同情を乞うものなのか? 誰かに対する断罪か?
子供のことを一生懸命考えて生きていたのに、なぜ? どうしてもそう考えてしまう。
訪ねてきた高校時代に友人が、派手な格好で青春を謳歌し、タバコを吸う自由さ、彼女にもそこへの憧れはあったのだと思う。
いまの状況を相談できる相手は、誰もいなかったのだろう。
彼女は子供が疎ましかったのだろうか? 子供を放置したのは、夫への当てつけに使ったようにも思う。
男のもとから飛び出して、二人とももう死んでいると思った(実話)のに、サチは生きていた。
作品ではサチも殺してしまうが、実際に起きた事件をテーマにしたこの作品は、ただその出来事だけを描くことで、見た人それぞれがこのことについて考えてもらいたいと、そう思ったに違いないと感じた。
こういったことが実際にある。この事件をこのように世に出さずにいられなかった監督に敬意を表したい。
詳しい
理想と目標が高いほど、落ちた時痛い
自分との違いがわからなくなる
ほぼワンオペで2児を育てているが、主役として描かれる母親の性格は自分と共通点が多い。
やや完璧主義で感情的で愛情深い。
子供に愛をもって接していて
夫に愛されたいと願っていて
夫の愛がなくなったあとも子供と自分との生活を作り上げようと一生懸命に生きている。
仕事をしながらもなお子供に愛情を注いで
引越し後もすぐスーパーの惣菜が描かれているが、きちんと野菜も買っているし、調理器具や牛乳なども揃えている。牛乳パックを開いて、プラスチックを分別している。
でも、そんなよくいる性格の女性でも、こんなにも残酷になれる可能性があるのか。
夫婦の関係悪化の原因はすべて描かれていないが、育児丸投げでいた点は夫が悪くないのか。
養育費を必ず払わせることは法律でできないのか?
社会的底辺にいる友人は、頭が悪く善悪がわからない。
でも、そんな友人すらも頼らざるを得ない彼女に安心できる預け先を提供できない行政は?
子供を産んだ後にまた子供を捨ててまで行く場所があるのだろうか、自分には想像もつかない。
でも、それは誰にでも起こり得るのかもしれないことだ。
虐待しそうになったときに思い出し、何度も考えたい映画だと思う。
心に、瞼に焼き付いてしまう
全てがリアル
演技と思えない。
愛されたい、女性でありたい母親が
壊れていく、堕ちていく過程
涙が出るほど無垢な子供
捨てられたとは知らず
ただ帰りの遅いお母さんを待ちながら
見よう見まねで一生懸命弟の世話をしながら
何とか飢えを凌いで待つお姉ちゃんの姿が心苦しい
床に散らばった粉ミルクで作るミルク
それを共有する二人
弟が死んだ事もわからずにいる姿
弟のオムツのにおいを嗅いで
オムツを交換しようとするもできない
日に日に油ぎってくる髪の毛
お母さんが帰ってきて、
服を脱がしてもらう時、
パンツが汚れてたのもリアルだった
弟の世話ばかりで寂しかったお姉ちゃんが
風邪を引いた時世話してもらって嬉しそうだったし
甘えたい盛りなのにね、、、
お風呂はママも一緒ママも一緒って…
そのあと溺死させられちゃうだなんて、、、
トラウマ
もう少し展開がほしかった
内容的には興味深いものであったが、ドキュメンタリーに近く映画としてはもう少し展開がほしかった。
子供オンリーのシーンが多いこともあり色々と詰め込むのはなかなか難しいのかもしれないが、『誰も知らない』のようなテンポや流れがもう少しほしかった。ちょっと間延びしてると思ったら急に色々と起こったりと観ていてしんどかった。また、ブラックアウトで繋ぐのが目立つ点もやや安易さを感じ、チープな印象を受けてしまった。
ただ、子役の子は凄い。この歳で一人で画をもたせられるのだから。将来が楽しみです。
母親像がブレており説得力に欠ける
実際の事件を元にしているが、
実際の事件の母親像と本作の母親像はとても乖離している。
それ自体は事実から構想を得たフィクションなので良いのだけど。
本作の母親、父親が出ていく前は育児能力はかなり高かったと推察される。
私も今1歳児を育てているが、おうちピクニックであんな素晴らしいお弁当なんか作れないよ。
かなりの高等テク。部屋も片付いているし、親の鑑のよう。
それが父親の家出(離婚?)をきっかけに、どんどん家が荒れ果てていく。
男性が家に来るようになり、母親の服も派手になっていく。
実際の事件では、犯人は男遊びが激しかったようだが、本作では前半、あまりに彼女はしっかりしているので急に男遊びを始めたとは思えず、経済的に致し方なく夜の仕事を始めたのだと解釈していた。
そして一転、家に帰らなくなり、あの結末に。
おそらく実際の犯人は自身の虐待や性被害の経験から、社会的判断能力が低く、境界線知能だった可能性もあるが、本作の母親はとてもそうは見えない。むしろ平均以上の能力を有している。二児をかかえてワンオペ状態にも関わらず、マフラーまで編んでいたなんてすごい。
だからこそ、普通は困窮したとしても児相に相談したり行政に頼ったりする筈だが、そのプロセスが全くなくいきなり乳幼児を部屋に閉じ込め殺害する、といった展開に説得力がなかった。
辛い場面の長回しがしんどすぎる
実際にあった事件を元にしてると聞いてはいたけど、あえて登場人物の背景はあまり描かず、表情もはっきり写さず、観る人の想像力次第でどうとでも捉えられる様、淡々と描写されていると感じた。
それ故、幸せな日常生活からネグレクトという異常生活に向かうのが、唐突と思えると同時に、日常から異常へのすり替わりが誰にでも起こり得るようにも思える。決して起こってはいけないことだけども…
冒頭で生理が始まり、母親から女へ、女からまた妊婦へ、ラストは母親になれない自分への断罪という描写なのか…??
家族というものが壊れていくと、家庭内で1番力なく弱い存在である子供に、それら全てが集約されていくのが痛々しく本当に辛い…
悔しい
コレは辛い
観ていてとても辛い。母親が出て行ってからの2人の様子はもう可哀想で、、、辛い辛過ぎる。さちが包丁を出したところはもうハラハラ💦
母親も最初はキチンと育児していたし、可愛がってもいたが、夫は家に寄り付かず無関心。他に頼る人もいない、母親もあれでは壊れてしまうよなあ。とはいえ、育児放棄が許されるはずもなく、若い男を連れ込んで、子供が起きているのにイチャイチャするのはやはりよくない。
そもそも、夫との関係性がよくわからない。離婚しているのか、別居中なのか。母親の仕事とか、保育園は?とか、わからない事が多く、最後の赤い毛糸とかぎ針の行為がよくわからない。さちの最後もよくわからず、ラスト、母親はどうしたのか?疑問だ。
辛くて、2度は観れないな。そして、この映画を観て思う事、子育てしてきた経験者として思う事は、子供は母親1人で育てるものではないし、母親も1人だけでは大変。父親はもちろん、親類や相談できる友達、ご近所さん、行政等、みんなで育てる、であるのが理想。この母親ももう少しまわりに協力者がいたらこんなことにはならなかったかも。
母性の喪失に加えて父性の無責任さを見る映画。
ドキュメンタリーのようなカメラワーク。幼い長女の在り方が演技とは思えないほど。胸に詰まる。
何日も置き去りにされ、食事も与えられず、部屋を虫がはいずり、排泄すらままならず、それでも子供は母親に捨てられたなど思わない。それは子供が純粋であるというより、母親が絶対的な存在であるからだ。子供にとって親から見捨てられることは文字通り心身の「死」を意味する。親子には明確な権力関係があるのだが、それに無自覚な親は多い。
映画を見て、酷い母親だとなじるのはもっともだが、どうしようもない父親不在感に気づくだろうか。
この映画のモデルとなった母親は、自分の浮気が原因で夫と別れたものの、離婚に際して夫や義理の両親に対して「養育費を求めないこと」「義実家の助けを求めないこと」などを誓約させられていたらしい。それは一見元妻への懲罰に見えるが、実際には子供への虐待である。どんな子供でも両親から養育費を受けとる権利があるからだ。日本では離婚した父親の2割しか子どもの養育費を払っていないという。これは間接的な養育放棄、虐待である。
どんなに親がクズでも子供は守られるべきだからだ。母親の責を子供が負うようなことがあってはならない。
本編でも、母親がクズでも父親がまともなら子供は救われていたかもしれないのに。
本当は、そのまま、少女終末旅行で終わって欲しかった。
真実の事件に対する男目線な結論に見えた。この映画の結末は、生殖行為に対する贖罪に見える。
母親は最後まで、脇役であるべきだった。しかし、
『この女性の異常を表しているのかも』と感じた。つまり、そのまま、餓死させては、何一つ救われない。誰が見ても愚行と感じる事を、この母親に演じさせる。この行為は『育児放棄』なんかではなく『3人の子供に対する殺人』になる。ろうそくが燃え尽きたのでなく、この母親に吹き消されたと言う事だ。表現がおかしいかもしれないが、子供の死を見なければならない観客は、子供の愛くるしく健気な行為に正当な涙を流せると言う事だ。商業映画だと思うが、
そう言った親に対してのメッセージを送る映画として活用しているので、共感をしたい。男目線な話と言う部分だけ、残念ながら評価出来ない。さて、
不謹慎だけど、少女の生命力に『少女終末旅行』を感じた。この映画は残念ながら傑作だと思う。
但し、二度と見たくない。
でも、見なければならない人は、まだまだ、沢山いると思う。こう言う事を『誰も知らない』訳だから。
追伸 中絶の問題は全く別だと解釈すべし。
苦しくなる
子供は嫌いです。
まぁ、二人育てて、もう自立してるけど
少子高齢化や、親のアイデンティティや、世の中の流れや
今の親世代が育って来た環境からか
子供は騒いで当たり前
子供は守られて当たり前
そう思っているように感じる
勿論、子供は守られる者だ
それは、親に守られるべき存在である事が
全ての前提である
結婚する時
[離婚して、子供を抱えて生きて行けるか]を考えた
同僚にそう話した時に
「普通は結婚前に、離婚の事なんか考えないよ」と
一笑に伏された(笑)
が、やはり結婚する時には、そう考えるべきだと
この映画を観て痛感した
実話がベースであるこの映画のモデルとなった母親が
映画の中の母親のように、実は母性かあったのかは知らない
子供の存在が、足枷になる気持ちは判る
かといって、子育てを放棄する事は、あってはならない
子供を持ったら、最大限の努力で、可能な限り
子供の望む未来を与える事が、親の義務だと考える
野生動物は、生命の危機を逃れる為に
生まれて直ぐに立ち上がれる能力を持っている
が、人類の赤ん坊は、食物連鎖の頂点に居て
親が守り育てる能力があるのだから
産まれた限りは、守る必要があるのだ
に、しても
見るに耐えない映画だ…………苦し過ぎる
とってつけた感の背後にほの見えるフェミニズム
作品の内容を要約すると、
シングルマザーの育児奮闘記+『誰も知らない』幼児版+子育て女性の転落ドラマ
ということだろうか。
どれも数多くのフィクション、ノンフィクション等で取り扱われているテーマだから、今さらテーマ的に新鮮さはないが、2つの点で新味を出そうとしているのが感じられる。
①全編がアパートの室内のいくつかの視角から固定カメラで撮影したことで、ドキュメンタリー要素を出している。確かに子役の演技などは非常によくできているのだが、それ以上のものではなく、後半は退屈してくる。
②シングルマザー、子育て、仕事、異性関係を全部一緒にくるんで、それを「子宮という業に引きずられる女性の姿」という視点でまとめている。しかし、いかんせんとってつけた感は否めず、その背後には子供を女性の子宮の産物というフェミニズムで見る軽薄な視線があり、どうにもいただけない。
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