恋するリベラーチェのレビュー・感想・評価
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いわゆる男女の痴話喧嘩(または腐れ縁)を、新たな視点で
ラスベガスで成功と富をほしいままにしているリベラーチェと、何の拠り所もない獣医志望の美青年スコット。親子ほどの年の差、華やかなショーマンとその運転手という力関係、そして同性愛…。はじめから破局は目に見えている。そんな二人の出会いと別れ…と思ったら。破局の後も、物語は続く、人生は続く。そこが意外で、新鮮だった。諸々の後処理、再出発、そして再会と本当の別れ。ドラマティックなあれこれが、淡々と語られていく。遠い物語と眺めていたはずが、いつしか自分の遠い記憶となぜか重なるように思われ、胸に迫るものがあった。 ただならぬ「運命の出会い」を果たし、これは壮大な勘違いに違いない、醒めない夢はない、と底知れぬ不幸の影に気付きながらも、のめり込む二人。束縛し、振り払い、しがみつく。男女ではうっとおしさが先走りそうなやり取りも、彼らがやると違った佇まいとなる。リベラーチェは、若い恋人に高価な品を与えまくり、自分に似せた整形手術を受けさせる。一方の若者スコットも、自分の存在価値=若さと美を失うまいとしてダイエットと薬物にはまっていく。この流れは、決して特異な逸脱ではない。与え•与えられることに底はなく、やればやるほど、拒まれる不安と満たされなさが増していくという皮肉は、多くの人にとって、身につまされる痛みのはず。普遍的なこと、わかりきったはずのことを、一見遠く掛け離れた世界の物語として捉えなおすと、いったいどのように映るのか。それは、本当にわかりきったことなのか。この作品は、そんな揺さぶりと発見を、観る者に与えてくれる。 これは、いつの時代にも、どんな場所にでもある、共に生きようとした二人の物語だ。関係を続けていく中には、色々なことが起きる。理不尽で、不可解で、それでいていつしか微笑みを引き出すような出来事が…。手を替え品を替え、繰り返し語られてきた男女の物語を、ゲイ•カップルの物語として置き換えるといえば、思い出されるのは「ブエノスアイレス」。カーウァイ監督への当時のインタビューによれば、もとは男女の物語だったものが男男の物語となり、レスリー•チャンとトニー•レオンが、追い追われ、すれ違う二人を演じたという。(その後、抜き差しならない男女の物語は「花様年華」へ昇華していく。)身一つで異国を彷徨っていた彼らの姿が、きらめく衣装に身を包んだ本作の2人と重なる錯覚を覚え、はっとした。 …それにしても。「私を愛した大統領」といい、本作といい、かつては公然の秘密というものが確かにあった。リベラーチェの同性愛も、ルーズベルト大統領の脚の障害も、今なら到底隠し通せないだろう。秘密を守り抜くことが難しくなり始めた頃から、タブーをカミングアウトする動きが活発化し、その勇気は称えられた。けれども、カミングアウトの嵐が吹き荒れすぎて、自分にとって大切な•重たい事柄を、心の奥底に沈め置くことの意味を忘れかけていないだろうか。秘密に関する物語は、単なる暴露ではなく、秘密を持つことの意味を問い直しているのかもしれない、とも感じた。
コメディではない
コメディ映画だと思っていたが、実話だし割とシリアスだった。
マットが珍しく問題児の役。後はリプリーとディパーテッドくらい?
主人公がゲイの実話の映画は基本エイズで亡くなって終わる。これも然り。
マットをCGで若返えらしたらしいが、違和感が全くなく気付かなかった。
なぜそこまでしてマットを使いたかったのだろうか
マイケル・ダグラスが似合ってた。2人の体当たり演技がとても良かった。
ちょっぴり切ない
パッケージだけみるとラブコメディかと思ったけど、いやいや真面目なラブストーリー。
男っぽいイメージのマイケル・ダグラスが
ゲイ役にはまっていて驚き。マット・ディモンも
その相手役を好演。
出逢って恋に落ち熱々の二人の関係性が変化していく。ちょっと若い恋人のスコットが可哀想に
感じ切なくなりました。
エンディングはナイスです。
『笑いって差別でしょう?私が自分で常に承知しているのは『私は差別されているから笑われているんだ』ってことなの by マツコ・デラックス
1940~80年代に活躍し、「世界が恋したピアニスト」と呼ばれ人気を博したピアニスト「リベラーチェ(マイケル・ダグラス)」。その元恋人:スコット・トーソンの回想録を原作とし、リベラ-チェの知られざる晩年を描いた作品です。
リベラ-チェはごっついゴールドの指輪を何個も付け、スワロフスキーのビーズに、羽をワサワサつけた派手で奇妙な衣装に身を包み、軽妙なトークで観客を魅了しつつも、クラシックもポップスも華麗に弾きこなす天才的なエンターテナー。演奏すげーです。
そんなリベラ-チェが、金髪の美青年スコット(マット・デイモン)を見初めます。スコット当時10代。マット・デイモン(43歳くらい?)が特殊メイクCG?でつるつるのお肌で登場して、びっくりしました。
リベラーチェの口説き方は、ごくごく簡単。お金と同情です。豪奢な自宅に呼び、こんなに若い男を沢山侍らせてすんごい家に住んでるけど、「実は、僕は孤独なんだ」とアピールするんです。10代のスコットは、勿論ころっといきます。
本当にリベラーチェは、孤独で必死なんです。派手なショービスの世界に君臨しながら、公にはできない秘密があります。同性愛者ということ。そして、「老い」です。カツラをかぶり整形とメイクで老いを隠し、同性愛者であることをすっぱ抜いた雑誌を訴え、スターの地位を守ろうとするリベラーチェを、マイケル・ダグラスが怪演しています。最初はその滑稽さに笑ってしまいますが、段々と可愛く見えてしまうから不思議です。マイケル、今まで嫌っててごめん。と、素直に思いました。
リベラーチェと同棲したスコットは、直ぐに太ってしまいます。リベラーチェが望むように整形とダイエット薬を服用するのですが、その薬のせいで情緒不安定に……。縛り付けるリベラーチェと不安定なスコットの関係は、どんどんと刺々しくなっていきます。永延と続く痴話喧嘩は、痛々しく、息苦しく、こちらまで鳩尾が痛くなりました。当たり前です。親子ほど歳が違おうと、同性であろうと、こと恋愛の縺れとはこういうもんですよね。
そしてスコットは、新たな恋人の出現によりあっけなく捨てられます。養子にする約束も、反故にされ、普通の生活に戻ることに。スコットも精神的に追い詰められていたので、リベラーチェと距離をとった方が良いように思いました。が、顔まで変えたスコットが、哀れにも思えました。
しかしスコットは、エイズ(当初は心不全と発表)で今際の際のリベラーチェに呼ばれます。CG処理をされているのでしょうが、この時のマイケルの顔が土気色で痩せてて酷いです。
「あの頃が、一番楽しかった」
やせ細ったリベラーチェに告白され、涙を流すスコット。スコットが救われた瞬間です。こんな時が来ないと、本当に愛していた人が誰なのか分からないものですね。つか、自分の性欲と孤独を満たす為に、10代の男の子の人生を変えてしまった責任を、死の床でやっと認識したのかじいさん!と腹立たしくなりました。でもスコットも「あの頃が楽しかった」と泣いていたので、まぁ、じゃぁー、いいや。
本作に好感が持てたのは、恐らく恋人:スコット目線であった為、リベラーチェへの恋慕の気持ちが全面に押し出されているからだと思います。愛されたい。優しくされたい。新たな恋人に心移りしているリベラーチェを、また振り向かせたい。その健気で、真っ直ぐな思いに、共感したからだと思います。
さて最後に、お久しぶりなロブ・ロウのお話を。ロブは、整形外科医で出演しています。自身も整形しているという設定なのでしょう。見事な(?)整形顔です。テープで引っ張っているのか?はりついた表情の、いかにもな整形顔です。
今更ですが、マイケル・ダグラスの俳優魂に感動し、マット・デイモンを、まさかこんなにキュートだと思う日が来るとは!と驚いた本作。
ちょっと、強めにお薦めします。
孤独の塊
鑑賞後とにかく涙が止まらず… どれだけの人が共感&理解出来るかは判りませんが。 埋まらない「孤独感」を抱えてなんとか生きてる人間も居るんですよ。 某作品の言葉を借りると、正に「ハリネズミのジレンマ」に焼かれて生きる傷だらけの輩が。 金でも物でも埋まらない、そんな「孤独の塊」同士。 その二人をを演じ切ったマイケル・ダグラスとマット・デイモンが素晴らし… 過ぎて胸に痛すぎる!涙 丁寧なソダーバーグ監督の描写も見事。 コレが最後かもしれないのが惜しまれてなりませんな…
体当たり演技
マイケル・ダグラスとマット・デイモンの演技が凄い。 若さと老い、愛、冷たさ、優しさ、寂しさ、富、怠惰、不安、生きがい、ゲイ、エンターテイメント、これらのキーワードが上手く混ざり合い表現されていた映画だと思うけれど、あまり心には響かなかったので、この評価。
2時間のテレビドラマ
劇場公開作として撮られたものではなく、アメリカでは2時間のテレビドラマとして放映。 内容や質において映画が上でテレビドラマが下という気はさらさらない。(どちらも優れたものもあれば駄作もある。) ただ、この作品はテレビドラマ用のサイズ(画面の構成など)で撮られたもので、劇場のスクリーンで観るには少々キツかった。 ま、テレビならではのキャスト、ダン・エイクロイド、ロブ・ロウが見れて良かった面もあるけどね。
参りました。
恋するリベラーチェ!
ポスターを見て覚悟はして行きましたが、はるかにすごかった。リベラーチェのド派手な一生に目がテン。
スパンコール業界を支えている(!)と豪語するほどのまばゆく輝くピアノを弾くマイケルダグラスの華麗なテクニック。低音から高音へうねりのような華やかなリズム。
イッツショータイム!!
片手だけでも迫力ありまくり、観客を総動員して盛り上げるエンターテイナーのリベラーチェ。
ヘイ!
とこちらも叫んでしまいそう。
その衣装たるや照明に輝く不死鳥。LEDも真っ青、発光してますがな!
ワーオ。
って、マットも本気で驚いてるんじゃないの?
友人に連れられてショーにやってきたスコット、リベラーチェに紹介され、家を案内してもらうことに。
目の悪いプードルの点眼薬を手に入れ、届けたはいいが次のシーンでなぜかシャンパン片手にふたりでジャグジー、ベッドのこっちから半分には絶対行かないと言われ、いつのまにか泊まってる!
目覚めたマット、その寝顔を見つめていたのであろうマイケルのシワだらけの顔がまず目に入るというホラー。シーツがはぎとられ、男ふたり裸でクイーンサイズのベッド、そこへ朝ごはんを持ってきたメイド、朝の光って明るすぎ。ピチピチムチムチのマットの体をなめるように見るマイケルの相好の崩し方、字幕なくてもありありとわかるオネエことば、もしかして実生活もゲイなんじゃ?と寒気に襲われるほどの演技っぷり。
ワーオ!
里親を転々としてきたスコットは、リベラーチェの大きな愛を感じて尽くしていく。里親もいい人たちなんだけどね…
僕はあなたの父であり兄であり恋人であり親友でありたい、つまりすべてでありたいというリベラーチェのことば。異性愛と何も変わらない。
そしてふたりは蜜月へ。宝石、クルマ、惜しげもなくスコットに与えるリベラーチェ。
もうこのあたりからスコットがプードル並にペット化していってる。
運転手となりタカラヅカの男役そっくりな純白衣装に帽子でキメキメ、ラメ入りビキニショーツで泳ぐスコット、いやマット、あんたすごすぎるぜ!!
映画はまだまだ続く。
ほとんど全面改装で若返ったリベラーチェと、彼の若い頃に似せるため整形したスコットは、怪しげなセックスショップへ繰り出していく。てか、そんなゴージャスなケープ着て行かんやろ!突っ込みたいがノンストップ。ふたりの会話もキワドく、お子さまは目を逸らしてください…
そしてスコットはドラッグ常習者となり……けんか、怒鳴り声、まるでリベラーチェの元カレそっくり。
ケアリーという体操のお兄さん的な若いボーイフレンドを見つけたリベラーチェ、スコットは彼を愛しているがゆえの脅迫電話、モノを投げ、異常行動へ。手が付けられなくなり解雇、訴訟。
郵便局で働くスコットは一本の電話を受ける、それは気弱なリベラーチェの声、見舞いにいくスコット。
かつらをとったリベラーチェは最後まで世間に体裁を繕い、エイズだということを隠そうとする。
映画では最後は真っ当に生きているように描かれたスコット、フィクションもあるでしょうが、運命の出会いに飛び込み体ごと委ねた青年の一瞬がよく描けていました。
ソダーバーグ監督もすごいけど、マイケル、マットの体を張った演技に脱帽。
降参です。
ビターな恋物語
主演2人の演技に脱帽しました。
移ろう2人の恋模様と人物感への追求に、とても好感を持ちました。
互いが相手に何かを見つけ、何かを求め、何を愛したか、全部わかっているはずなのにすれ違っていくのがなんとも悲しかったけれど、最後まで2人の愛がちゃんとあって、安心したような切ないような…。
普遍的というか、舞台背景を除けばありがちな恋物語だったのに、この作品がビターに感じるのは2人がゲイカップルだったからか、それとも過剰な感傷さがない演出だからか、はたまたソダーバーグ監督作品だからか…。
一味違う、という感覚は間違いなく感じると思います。
なんたってロブ・ロウ。
あれぇ?なんで?ソダーバーグ監督引退したんじゃなかったの?
と、劇場でチラシを見つけた時は驚いた。
あら!でも面白そうじゃないの~コレ。と思って待つことに。
誰かと思えば化粧を施したM・ダグラスとM・デイモンのMMコンビ。
やだー。こんなの誰が観るんだよ?と思うほど悪趣味なのが素敵。
このエロジジイ(ゴメンね)と中年がゲイカップルって、ナニ?と
思うほどの衝撃度。さらにはR指定とあって、もちろんふんだんに
そういったシーンのテンコ盛り&オンパレードが続く。
いやー。どうしましょうかね、これ。どう書いたらいいんでしょう。
だけど、ソダちゃんの〆にはとっても相応しい作品だった。
このところ、実在した有名人の伝記映画が相次いで公開されたけど、
最も出来が良かったのはコレ!!といえるくらい面白かった。
もちろん見たくないシーン(生理的にもツライ)は沢山あるんだけど、
「リベラーチェ」という人物の陽と陰、光と影、表と裏を絶妙に表し、
なんだこのエロジジイは!?と思わせながら最後まで敬意を払う。
正しく描かれた伝記映画。というスタンスがとても心地良かった。
亡くなってしまった人のことをあーだこーだと祀り上げるのは簡単、
死人に口なし。とはよくいったもので、当人には反論ができない。
だから思い切り描いてやる!というのも結構(映画なんだからねぇ)、
だけどやっぱり過去を蒸し返すにしても最後はキッチリ〆て欲しい。
有名人というからには、偉大な功績もちゃんと遺してきたわけで、
そこを省いてテキトーに描かれちゃったら死人だって浮かばれない。
私はどう考えてもこのリベさんのことは好きにはなれないけれど、
そのエンターテインメントたるや、ものすごい芸術性と説得力。
愛人だったスコットから見れば、今だに愛しい神様の存在なのだ。
ラストの幻想ステージを観るスコットには、ちょっと涙が溢れた。
彼がどれほどリベさんを愛していたかを示した瞬間がそこにある。
ところでリベさん、アカデミー賞授賞式にもゲストで出演したそう
だが、ゼ~ンゼン覚えていない^^;
しかしあのキンキラキンの出で立ちで、ピアノに燭台を乗せて弾く
という、異様なパフォーマンス(失礼)は、なぜか記憶に残っている。
マイケル、マット、そして偉大な顔の功労者^^;ロブ。
この御三方の素晴らしい顔面パフォーマンスと芸達者なゲイの演技。
これだけでも!本当にこれだけでも!観る価値アリの芸術作品。
(最後にこうきたか。さすがソダちゃん。〆まで手を抜いてないね)
ソダーバーグの直球ラブストーリー
引退宣言をしたスティーブン・ソダーバーグの最後の作品になるかもしれない今作はテレビ映画として製作されたが、劇場公開作として遜色ない出来になっている。 派手な衣装と軽妙なおしゃべりで世界的に人気を博したリベラーチェの伝記的映画。 しかし、今作はリベラーチェの秘密の恋人だったスコット・ソーソンの手記を元にしていることもあって、リベラーチェとスコットの出会いから泥沼の別れ、リベラーチェの死までを描いている。リベラーチェの人生を描こうとしたら、もっと散漫な作品になってしまったかもしれないが、二人の関係にフォーカスしたことで、思いのほかストレートなラブストーリーになっている。 見所は、やはりリベラーチェを演じたマイケル・ダグラスとスコットを演じたマット・デイモンの演技合戦だろう。 マイケル・ダグラスは外見もリベラーチェ本人に似せていたが、スターの傲慢さと孤独(これは自身のそれと響き合うのかもしれない)を併せ持つ複雑なリベラーチェという人を体現している。 マット・デイモンを今まで二枚目だと思ったことはないのだが、リベラーチェと出会った時のスコットはまだ20代のカワイコちゃんにしか見えないし、リベラーチェと別れた後の彼はすっかり憑き物が落ちたようにごく普通の男に見える。これを多少のメイクと髪型、体重の増減で演じ分けている。 年上の方は、いつか若い恋人に捨てられる不安に怯えている。と考えがちだが、若い恋人も、自分の若さが失われた時には捨てられるんじゃないかという不安に怯えている。 出会いの高揚、蜜月、倦怠、衝突、そして別れ。 男女の間だろうが同性の間だろうが、恋愛の辿る道は変わらないのだ。 甘く苦いラブストーリーに『恋するリベラーチェ』というタイトルはちょっと軽かったかも。
一幕から大号泣
初めてのソダーバーグ映画でしたが、 正直こんなに泣かされるとは思いませんでした。 舐めてました、すみません。 ソダーバーグも最後なら一回くらい見なきゃと軽い気持ちで臨みました。 リベラーチェは個人的に好きなピアニストなので、それくらいの気持ちで行きました。 それがそもそも間違いでした。 ソダーバーグさん、あなた自身の映画なんですね。 ソダーバーグが、映画に対するお別れを綴った映画。 その人相まで変えて自分が自分じゃなくなってしまって、それでも映画大好きだけどさよならっていうそういう映画と捉えました。 もう一幕目のワリと最初のリベラーチェ登場シーンから号泣。 なんなんでしょう、もう圧倒的! そしてそれに呼応するようなラストシーン。 大満足です。 初めて見るには遅すぎた。 もっと早くにソダーバーグを体験しておくべきでした。 次の映画があることを期待して止みません。
女が男を愛する時ならぬ、男が男を愛する時の打算と純情の答えは何処にあるのだろうか?
この映画でマット・デイモンのロングヘアー姿をみると、「グッド・ウィルハンティング」に出演していた頃の若くてキュートな彼を想い起させてくれる。
未だ未だこんな若い男子役に戻れるのには本当に驚いた。今は細かい皺などはCGで修正しているのだろうが、やはり、立ち振る舞いや、彼が醸し出す雰囲気が、若々しく見えた。急に「ドグマ」や「リプリー」そして「バガーヴァンス」に出ていた頃のイケメン時代の彼を思い出した。
しかし、このマット・デイモンの芸域、幅の広い事には毎回驚嘆する。あまりにも多くの異なるキャラクターにチャレンジするので、決して一つの役柄のイメージで固まる事のない俳優だ。本当に巧く化ける稼業だとつくづく彼には感心する。
だが、流石に今回はイケメンの彼のイメージが壊れるので、マイケル・ダグラスとのラブシーンだけは、お願いだから避けて欲しかったと言っても無理な役処だろう。
これでは彼の女性ファンが離れてしまいはしないか、映画を観ている間中不安であった。
でも、逆説的に考えると、それは良い意味で常に彼のファンの求める一つの理想の形を破り、期待を裏切り続けている実力派俳優魂の現れでも有るのだろう。
そう言えば、やはりこの作品同様にソダーバーグ監督作品の「インフォーマント」ではイメチェンに成功して、メタボな主人公を演じたマットだが、それ後は余り元通りの体型にはならなくなった。
メリル・ストリープも太ったオバサン役にチャレンジした後はやはり、完璧には戻らなかった。ここに色々な役柄に挑戦する俳優の計算通りに終わらないリスクが潜んでいる。
一方の今回のもう一人の主人公リベラーチェを演じたマイケル・ダグラスもいつもアクの強い役を演じる人だが、本作でも、巧い事は非常に巧いのだが、正直激キモイのだ。
有る意味本作は、コメディー映画でも有るのだから、そのキモサが売りの一つだろうから、そう言う意味では最高に上出来なのかな?エミー賞も受賞しているわけだから・・・
リベラーチェは実在したスターピアニストなのだろうが、もしも今回の映画でマイケルが演じている彼が、リベラーチェ本人に似ていると言うのであれば、彼は何処から見ても、誰が見ても直ぐに分る、ゲイ丸出しのオネエキャラに見えた。
だが、ゲイの噂がゴシップ誌に掲載されると、その度大金を払って彼は、イメージダウンを阻止しようと、手を回したらしいが、本当に当時のファンは気が付いてなかったのだろうか?
アメリカの厳しい芸能ビジネス界で、彼は長年スターの座に居られたのだから、そんなイメージよりも、やはり観客を楽しませる事が出来る、ピアノ弾きとしての実力は最高に有った事を彼のファンは認めていたに違いない。そんな彼が、どうして自分自身のイメージの悪化を恐れ、自信を抱いていなかったのか?それが不思議だった。
勿論実在のリベラーチェ本人は音楽家としては、プライドの高い自信家であった筈なのだが、本心は、素のキャラに本人自身が、きっと自信が持てずに、心の弱いキャラだったのかも知れない。近くにいる人間はみんな、自分の金が目当てと逆差別的な被害者意識に固まり、心を閉ざした孤独な人物だったのだろう。
きっと、そんな気弱なリベラーチェとスコットは、共依存の関係で結ばれていたのだろう。
金と仕事、名声を得ても、尚満足出来ずに、不安で孤独なリベラーチェが哀しい。
贅沢な生活をして、金も欲しいが、しかし、好きな仕事に就いて人生の満足を得る事が不可能となったスコットも悲劇だ。しかも、若い貴重な時代をリベラーチェに捧げて来たのだから、スコットがイライラ不機嫌になり、麻薬に溺れていくのも容易に理解出来る。
ここに人間の幸せの本質とは何か?その答えが描かれているのだろう。
本作は、人を愛し続ける事の素晴らしさと、難しさとが混然一体となり描かれる。
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