「ダメ人間の哀歌」フォックスキャッチャー ko_itiさんの映画レビュー(感想・評価)
ダメ人間の哀歌
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昔、伊集院光の深夜ラジオのコーナーにダメ人間というのがあって、例えるなら。
「婆ちゃんの財布から金を抜き取り、母にプレゼント……ダメ人間だもの」
という調子で自分のダメ人間ぶりを笑いで認め、癒しを得るコーナーだった。この映画でも二人のダメ人間が出てくる。一人はマーク。もう一人はデュポン。もっとも最初の方では二人とも(もしかしたらとは感じてはいるが)自分はダメ人間だとは思ってはいない。
マークは兄を超えたいと思い。
デュポンは母に認められたいと思う。
頑張ればそれが叶うと信じていた。
しかし二人の強い思いは挫折する。
マークは兄を超えられず。
デュポンは母に認められなかった。
結局はすべてはムダになった。そしてそこから二人の運命は変わってくる。マークは自分がダメ人間だと認めリタイヤして興行格闘技に身を落とすことができたが、デュポンにはそれができない。彼は大富豪だからだ。
富と名声をもちながら自分にはそれに相応しい“中身”がまったく無い。
デュポンは最後のドキュメンタリーを観てそれに気づく。そこには自分と同じであるマークが映っている。
だからこそ殺さねばならなかった。人望もあり実力もある“中身”がある人間をだ。そうする事でしか認められなかったのだ。殺された人間には不幸としかいいようがないが、仕方が無い。
だってダメ人間だもの。
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