「【セックスを通して見た人間関係・社会の縮図】」愛の渦 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【セックスを通して見た人間関係・社会の縮図】
池松壮亮さんが、「Summer of 85」の監督フランソワ・オゾンさんとEテレのSwitchで対談した際、自分はセックス俳優みたいに言われることがあると吐露していて、そのきっかけが、この作品ではなかったのかと思った。
“ここには意味ありげで、かっけーことなんて、ないっすから”
窪塚洋介さん演じる乱行クラブのスタッフがエンディング近くに話す言葉だ。
僕たちの世界に向けた皮肉な言葉のようにも聞こえる。
これは、乱行クラブというシュールな空間で繰り広げられる会話やセックスを通じて、参加者のあいだに生まれる連帯感とか、反目とか、イジメや、嫉妬、ちょっとした恋愛感情まで含めた人間関係や社会を見つめたユニークな作品だと思う。
初対面で恐る恐る紹介し合う場面は、まさにそのものだ。
職業なんかで人物をカテゴリーしようとしてみたり、保育士なんて皆んなセックス好きと謙遜とも卑下とも取れる説明も似たようなものかもしれない。
少しよそよそしくても、セックスをして一気に距離が縮まる感じは、男女関係そっくりだ。
一旦、連帯感が生まれると、今度は連帯感を強めるかのように、臭いとか、年齢とか、体型を取り上げて、他者の悪口を言ったり、攻撃したりするのも、僕たちの社会のまんまだ。
他人のセックスを見ようとするのも、ゴシップ探しをするようでもあり、相対的な自分のランクを探る行為のようにも思える。
ほら、皆んなセックスが好きなんだよとか、
他の人はどんなセックスをするんだろうか、
どの程度感じているんだろうか、
本当にイッてるんだろくかとか。
こんな中で、門脇麦さん演じる女子大生と、池松壮亮さん演じるニートは異質だ。
女子大生は、心の中に巣食うセックスへの渇望を抱え、自分は変なのかと悩む存在のように思える。
ニートは、社会の中で取り残されたような孤独を抱え、ここに来たのは、セックスもそうだが、人間関係を求めているようにも見える。
もしかしたら、ニートに芽生えた感情は、”初めての”好きだったのかもしれない。
女子大生にも似たような感情が芽生えていたようにも感じる。
しかし、思いとどまろうとする気持ちが勝る。
セックスは男女の関係を接近させるけど、セックスがきっかけの恋愛なんてあるんだろうかと、セックスの二面性も示唆しているようだ。
セックスを通して人間関係や社会を見せると同時に、セックスと恋愛の関係性も考えさせられるユニークな作品だった。
でも、思い出して欲しい。
“ここには意味ありげで、かっけーことなんて、ないっすから”
僕達の世界も同じかもしれない。
※ ところで、この作品で初めて門脇麦さんを知ったのだが、最後にファミレスを立ち去ろうとする時に、振り返って立ち止まる場面があって、その時の門脇麦さんはものすごくキレイだと思った。
あと、セックス場面多めの映画は総じてスコアが低めなのは、高スコアにするとエロいとか思われそうだからとかだろうか。