「行間たっぷりの映画」悪の法則 dandaraさんの映画レビュー(感想・評価)
行間たっぷりの映画
哲学的詩文が言の葉に乗って、登場人物達の口からこぼれでる。
このセリフが、キャメロン・ディアスの口から出ずると、滅茶苦茶にかっこいい。
劇中、この世に存在する沢山の「世界」について長口上をふるう人物が登場する。
はめられた主人公カウンセラーに対して、彼の言いたいことは結局、陳腐な言い方をすれば「裏社会」に足を踏み入れたお前が悪い、ということ。失敗したことは取り返しがつかないが、死を迎える準備ができるかできないかの岐路にいると言う。
なぜ仲買人のウェストリーは殺されてカウンセラーは殺されず、婚約者のローラが殺されたのか。
「住んでいる世界」をわきまえずに足を踏み入れた彼への罰だろう。
ウェストリーを生かしておいたら示しはつかないが、彼を生かしておいてもなんら脅威ではない。
とるに足らない相手と見下しておきながら、報復というのが妻を主人公にしたスナッフフィルムを届けるという残酷極まりない仕打ち。
「自分の存在価値があった世界」がもうどこにもなくなってしまったカウンセラー。
あるリッチな世界に生きていた平凡な男が、生きる屍になった瞬間を目の当たりにし、戦慄する。
しかし、それもこれも全て最初に忠告を受けていたこと。
マルキナはせせら笑うだろう、忠告を聞かなかったあんたが悪い、と。
特に高度な推理は必要としないが、めまぐるしく登場する沢山の人物たちが、どこで誰をはめようとしているのか、また、麻薬がどういったルートを通って運ばれていき、秩序を乱した者がどのタイミングで殺されるのか、一部始終、目が離せないスリリングな展開だ。
観客は安全圏にいながら別世界を恐る恐る垣間見る。
そこには観客に対しての無駄な説明は一切なく、時折与えられる台詞から事態を推測せざるを得ない。行間たっぷりの映画。
余談だが、ペネロペ・クルスとキャメロン・ディアスはバニラ・スカイでも共演していたが、その時もペネロペは主人公の運命の女で、キャメロンは悪女だった。
美貌も金ももっている女が、嫉妬とも妬みとも違う、他の女に対しての純粋な破壊衝動。
平凡な世界に満足する相手に苛々しながらも、絶対に自分のいる世界には足を踏み入れてほしくないという、矛盾した感情。
そんな機微を演じるキャメロンには悪女がすこぶる似合う。
悪女であることで、セクシーさがひときわ増す。チャリエンよりこっちの方がずっといい。
チーターをペットに荒野で狩りの姿を楽しんでいたマルキナが、「思い出に温度はない」と言い放つ瞬間、彼女の冷たい笑みを眺めながら、つくづく「こちら」の人間でよかったと胸をなでおろした。
原題をカウンセラーとしつつも、真の主役は全くもって彼女であった。