「一体誰が、彼らを狂わすのか?」悪の法則 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
一体誰が、彼らを狂わすのか?
今年公開されているペンロペ・クルス出演の作品は何故か、必ずみんなラブシーンが登場する。
正直3度も連続して、そんな彼女を見せ付けられる事にうんざりしてしまい、それだけで、この作品に早くも赤信号が点滅した。
最初のウディ・アレン監督の「ローマでアモーレ」は役柄的には必然なので文句は言えない。
そしてつい先頃公開した、「ある愛へと続く旅」それも、20数年の長い間に及ぶ一人の女性の人生を描いているラブロマンス映画なのだから、有る意味ラブシーンが登場しても、必然なのかもしれない。
だが、本作品に於いて、いきなりマイケル演じるカウンセラとペネロペ演じるローラの2人のベッドシーンから始まるこのファーストシーンを観た瞬間から、何だか嫌な予感がしていたが、その嫌な予感は見事に的中した。
つまり、いくらピュウリツァー賞受賞作家のマッカーシーに寄る書き下ろしのオリジナル作品と言われても、こんなベッドシーンからいきなり始まる作品には、全然魅力を感じられないのだ。
ステレオタイプの映画の演出にはつい
「ブルータス、また、お前もか!」と言った感じで大声を挙げて、叫びたい気持ちになる。
製作される映画作品のほぼ、60パーセントはオリジナル脚本の書き下ろし作品と言われているハリウッド映画界でも、こんなステレオタイプのラブシーンから始まる演出を見せ付けられてしまうと本当に、それだけで、作品の質の粗悪さを感じてしまい、最近のハリウッド映画作品はネタ切れでダメなのかも知れないと落胆する。
客寄せパンダの様に、魅力的な女優のハダカさえ魅せれば、それだけで、客足が増員出来ると願う単純思考こそが、根本的に、ハリウッド映画を劣化させ、客足を遠のかせている事に気がつくべきだ。
それとも、アメリカ人が単純思考なのか、製作サイドが一般観客層をナメテ、古臭いステレオタイプの作風から、脱却出来ずに、バカなハダカで妄想に耽っているのだろうか?
そして、案の定1時間もするとこの歯切れの悪い作品の演出にはすっかりうんざりして疲れ果て、睡魔だけが大きくのし掛かるのであった。
確かに、人間は誰でもカネと欲には弱いのだが、しかし、そんな欲に塗れた、低俗な輩を見せ付けられても観客は、感情移入出来る筈もない。
善良で平凡な一般庶民は、いくら贅沢なセレブな生活に憧れ、お金が欲しくても犯罪に手を染める事は簡単にはしないのだ。
だから、出来心から、犯罪に手を染めましたと言う、そんな道を外したエリート人間の弱さを、主人公の姿に、自分自身を投影してみる事はないので、そんなヒーローや、ヒロインの心理に今更何の面白みも無い。
たとえ自分勝手で、低俗な欲望に勝てない人間の弱い性を描いても、そんな主人公の葛藤に感情移入しろと言う奴
の頭の中って一体どうなっているの?と製作者サイドの人間の視点のズレを感じるだけだ。
だが、ハリウッド映画は、やっぱり巧いと納得する事の一つが、予告編のテクニックの素晴らしさだ。
単純な性格の私は、またしても、この作品の予告編にまた、騙された一人だ。
確かに、キャメロン・ディアスが身も凍るような冷酷な、怖さを漂わせていて、彼女自身を演じる側からみれば面白さの有るキャラクターと言う事になるのだろう。だが、そんな彼女が冷酷で欲望塗れの悪女になる動機も説得力に欠ける演出で何とも納得が出来ないキャラクターだった。