「【生きること/汗ばんだ肌感】」そこのみにて光輝く ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【生きること/汗ばんだ肌感】
函館三部作とされる作品の2番目が、この「そこのみにて光り輝く」だ。
「海炭市叙景」で感じたのが、温もりを求めながらも、どこか冷たい肌感だったとすれば、この作品で感じられる肌感は、汗ばんだ感触だ。
映画は原作の1章と2章を併せて改編し、ところどころ異なるが、エンディングは原作にもある希望が感じられるものになっている。
達夫が、中島と対峙した時に、中島が吐き捨てるように言う”(家族を)大切にしているから、おかしくなるんだ”とは、実は、千夏の言葉ではないのか。
過去には一人で生きていくことも考えたと言うが、身体を売ったり、自分を最大限に犠牲にしながら、現実の不条理のなかで、家族を支えようとしている。社会福祉の恩恵にあずかることすらしないのだ。
実は、この函館三部作に共通するものが、次回作の「オーバー・フェンス」に聡のセリフとして表現されているように感じる。
「もう死んだみたいに生きなくて良いと思った」
「死んだみたいに生きる」......閉塞感で希望を持ていないまま生きることだ。
死んだみたいに生きなくてもいい状況になるには、千夏は父親を殺さなくてはならないのか。
そんな人が存在していることが、僕たちの生きる社会の現実なのか。
千夏と拓児が抱える現実と、過去の事故から立ち直ろうとする達夫が見出した答え。
時に、ぶつかり、傷つけあいながらも、片隅で(「そこのみにて」)寄り添い、希望を見出そうとする姿が太陽に照らされてまぶしく(「光輝く」)感じる。
社会の隅々であっても、人はきっと光り輝いているのだ。
佐藤泰志作品は、絶望を描きながらも、希望を見出して生きようとする人々を表現しているのだ。
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